読む毒

イヌ

2022年12月 第1週の日記

最近,対戦ゲーム辞めてめっちゃ勉強するぞ!(遅い)と心に決めたらオンラインで人と遊ばなくなったのでマジで他人とお話することがなくなりました泣

会話とは自己開示・相手の情報を聞く・第三者の情報を交換する,の3つからなります。

ここでは1週間ごとにやったことリストの形で日記を自己開示をすることで反省をしたり誰かに話してる気持ちになったりすることにします。そういえば物凄く昔もそんな気持ちで日記を書いていた。


12/01

・半額のバナナを3房買った。

レンダリングパイプラインに関する色んな機密情報を盗み見た。

・求人を沢山探した。

スマホアプリを減らした。

SNSをもっと減らすのが正しいが踏み切れなかった。具体的に減らしたいのはInstagramTikTok,残したいのはLINEとTwitter,迷っているのはdiscord。

AMD Radeon ProRender をインストールした。Cycles と AMD RPRを使い分けていきたい。

・GPT-3 Chat にエロいことと自分のことを聞いたら答えてくれなかった。

 


12/02

午後の紅茶キャラメルミルクティーが美味しかった。ジュース代まじで控えた方がいいと理解している。喫煙者のタバコ代と変わらない。

・いつも食べているそば屋さんのお吸い物から古いタオルみたいな匂いがした。実際に古いタオルとか混ざっててもおかしくないとは思ったが、お腹が空いていたので食べた。

・2週間くらい前に買った気がする柿を剥いたらまだカチカチだった。たぶん常温じゃないと熟さないのに冷蔵保存してたせい。

・最近はメタクエスト,PS VR,未発売のVRバイスなどでVRをひたすらやっているのだが,一人称視点での酔いやすさが半端ではないと思った。視界が動いてるのに姿勢に加速度がかからないのは平衡感覚がおかしくなって当たり前だ。

三人称視点との切り替えがVRアプリケーションの標準になるべきだと思った。

・「宝石の国」の読んでなかった最新話を読んだ。「あなたの骨が埋まった体」、アニメ「チェンソーマン」8話を見た。

・SEKIRO と OMORI を久しぶりにやってみたが SEKIRO が開始直後から面白すぎて死ぬかと思った。

・ちょっと本を読んだ。

 


12/03

・タイ料理屋さんでカオマンガイを食べた。

・好きな人の顔を眺めたらかわいかったのでアニメキャラかと思った。

VTuber専門雑誌の「VTuberスタイル 12月号」を立ち読みした。200名?くらいの若手VTuberが1コマで自己PRをする欄が巻末にあり、印象的だった。激戦区……

・「季刊 エス 10月号」を買った。恋人が立ち読みしてるのを一緒に眺めたら面白かった。

伊勢丹で家具や雑貨や服を見た。この日知ったのはアーキヴィストの柳本浩市と,動物の剥製を使った衣装製作と撮影をしている2人組のMOTHMEISTERだった。

服にブランドがあるのは想像できるが,実は全ての家具や雑貨に──箸でも櫛でも鏡でもカーペットでもクマのぬいぐるみでも机でも歯ブラシでもペンでも──それ専門のブランドがあり,老舗のブランドであったり新進気鋭の若手ブランドがあるらしい。そして新しいアイディアを高額な商品として提供しているのだ。伊勢丹に行けばそれを目撃することが出来る。

Amazonでしか家具や日用品を買わない自分には遠い世界だ。

・「葬送のフリーレン」をオススメしたらこの世の全部の漫画を読んでいるのか?と聞かれた。人生の時間を使って面白い漫画は全部読んでいる。

2022年7月12日の日記 蟹冷房

地球温暖化陰謀論ではなく科学的事実なのだが,陰謀論であると主張する人もいる。

たしかに歴史的には地球温暖化を加速させたのは,蟹や牛などではなく,現生ホモサピエンスの先進国側なのに対して,これから発展を目指す発展途上国たちにエコな開発だけをせよ,と先進国が制限をかけてしまうのは高度に政治的な主張である。

高度に政治的な主張には,陰謀の創造が伴う。点と点を繋げて隠されたライン,陰謀を見出すことは可能だが,そのラインが不確かであることを立証することは難しい。これを悪魔の証明という。

 


ところで私の体感上では夏というのはどんどん涼しくなっている。夏を暑いと感じることは歳を取るごとに減っている。

なぜか?

冷房の効いていない空間に外出する時間が減っているからである。

 


しかし,実はここにも陰謀論が存在する。私が涼しくないところへの外出を減らしているのではなく、涼しいところが私の外出を妨げているのではないか?

おっと,これは陰謀論ではなくコペルニクス的転回による別説と言った方が正しい。

 


話は変わるが,蟹は夏を暑いと感じるのだろうか。夏の暑さを感じるには,季節による水温の変化,蟹の温度を感覚する器官の存在,そして蟹が冷房のある空間で過ごしているかどうか,の3つパラメータが関係する。

これは勘なのだが,どうやら蟹は暑さを感じていないようだ。そして蟹は冷房のある空間には暮らしていない。

 


そして,ここでまた点と点がラインで繋がりだすのである。蟹は冷房のある場所にいないのではなく,蟹がいないことによって冷房が発生するのだ。

どうだろうか。皆さんも身に覚えがあるのではないか。皆さんが冷房で涼んでいるとき,そこには確かに蟹がいない。

蟹の非存在が冷たい空気を発生させることは東京大学の1980年の研究でも知られており,現代の冷房の室外機は「蟹の非存在」を使って温度調節をしていることは一部の人たちによく知られている。(蟹ヶ峰というロゴマークのついた冷房があったら,それだ。)

 


しかし,これを聞いて次のように思う人もいるのではないか。

でも水族館などでは蟹がいるのに夏は冷房が効いているじゃないか,と。

この現象を解明するには新しい物理法則の導入が必要になる。

気体は加圧すると体積が減って温度が高くなり,減圧すると体積が増えて温度が下がる。

ボイル・シャルルの法則である。

詳細は割愛するが,水族館などではこのボイル・シャルルの法則を使って電力で気体を加圧したり減圧したりし,外部の空気の気温を上げ下げしているのである。

そして賢明な読者はお気づきだろうが,この原理には蟹の関与は必要ではない。

そう,本当は冷房は蟹の関与なくして完成させることが出来たのである。

2021年12月13日の日記 朝と夜

高校生くらいまでの頃は早朝の住宅街というのは全く好きじゃなかった。

夜が明けると最初に鳥が起き始める。次に平屋に住んでいるような老人たちが庭の様子を見たりし始める。その次は働いている人たち,黒いコートを着ている中年のサラリーマンやスマホをいじってる女の人たちが出勤のためにバス停に向かって人の流れを作り始める。大抵は無表情というよりは少し怖い顔で。

早朝の出勤前の怖い顔の大人たちが子どもの頃の自分は苦手だった。そもそもカリカリしている大人全般が苦手というのは今もある。小学校時代の担任の先生とか,関わる他人への余裕を感じない人たち。

だから自分は朝練とか早朝に起きて遠征とかそういうのはなんとなく嫌いで,草木も眠る丑三つ時にひとけの減った夜の住宅街のほうが居心地が良かった。不審者が怖いとも思わなかった。走るのには自信が少しあるし,自分に追いつけるマッチョな不審者なら殺されても仕方ない。

4車線ある道路のど真ん中にたとえ座り込んでも誰にも怒られなさそうな時間帯が好きだった。

 

中学生くらいの頃は夜は寝ないと朝の学校に間に合わないもので,夜更かしというのはスマホまとめサイトを読み続けた夜くらいしかできなかった。

高校生くらいになると,意図的に学校をサボるということをするようになった。そうすると平日であっても前日の夜はいくらでも夜更かし出来る。生活が夜型に傾いていき,真夜中に何となく散歩するということをするようになった。

それから静かな夜は自由だと思うようになった。

 

今はどうか。今は,別に夜がいいとは思わない。鳥が起きて,働く人たちが起きる前くらいの早朝はむしろ好きだ。

まず働く人たちの怖い顔を警戒しなくなった。かれらは自分で一生かかる呪いを選んで受けている哀れな人たちであり,また哀れだからこそ偉い人たちであるという印象を持つようになった。かれらの余裕のなさは自分にとっては憐憫の対象だし,尊敬の対象でもあると思うようになった。

そしてその朝の裏側に,夜に人々が寝ているのは朝に人々が呪われているからであって,夜は呪われた人たちが「寝させ」られている本当は寂しい時間なのだと分かるようになった。

それから早朝はクリーム色の空が見ていて気持ちがいいし,暗くないので街の表情もよく見える。鳥の鳴き声は鳥の元気さを感じさせるし,こうやって真夜中よりも情報量が多いだけで楽しい時間にはなる。まだみんなが起きてこなくて,ある程度静かなうちは,朝でも楽しい。

2021年7月 第4週の日記

19日

コーヒーを飲んだ。テニスをした。嬉しい話をして嬉しかった気がする。

 


20日

病院に行く。行った。骨髄炎菌ワクチンを打った。渋谷川はいつも謎の工事が行われている。昔はウナギやカワウソがいるような川だったらしい。今は何もいない。

 


21日

不眠とワクチンの副作用でめっぽう具合が悪い。具合が悪いがチケットを取ってしまったという理由で無理して映画を見に行った。

 


22日

ウナギかガーパイクを飼おうか検討していた。非常食になるという理由でウナギにしようと思った。

 


23日

「花束みたいな恋をした」「ファイト・クラブ」を見た。花恋について考えられることは考え尽くした気がするので特に言うことがない。ツイッターに書いたことをここにそのまま書く。

 


花恋,忘れると決めたあとの3ヶ月間にそれ以前の生活よりも楽しく暮らせていた描写がかなり意味不明だったのでそこだけまだ納得できてない。

 


麦は二人の時間が減っていく(=かつて言っていた「絹ちゃんとの現状維持」が出来ていないこと)を生活様式の問題だと思ってて,絹は生活様式の問題だと分かった上でそれを受け入れることを「ハードルを下げる」ことだと思ってるから,ハードルは下げたくないと思っている。

 


このようなすれ違いは気持ちだけの問題ではなく,環境や経緯などいろんな物事が絡んでいるというのが前半部の主張だったように見えたんだけど,別れる決断をしたあとは別に生活様式を変えたりすることなく3ヶ月間は初心を取り戻したように仲良くできていた。これが自分には非自明なギャップに感じる。

かれらは生活様式に梃子を入れをすることなく,気持ちを切り替えただけで良い関係に回復できている。実は生活様式の問題ではなくて気持ちの問題だったのか?

 


もし気持ちの問題だったなら,今日から初心に戻ってこれからは上手くやろう,という麦の主張は全く成立するように思える。

「別れる決断をして,その後も一緒に過ごしたけど,やっぱり別れて良かったね」という話ではなくて,「別れなくても良かったかもしれないんだけど,別れました」という終わり方で,別れたことによって何を得るのかよく分からないので,別れる必要あったの?と思ってしまう。

 


まあ,別れを決める前の会話であったように,何かを得るために別れる話じゃなくて,損切りをするために別れる話(それこそ「ハードルを下げる」事を繰り返さないように)だから,別れてこれから何を得るかは分からないけど,二人でいることで互いに擦り切れるのを止めるために別れたという話なんだろうと思った。

 


あと絹ちゃんは「ハードルを下げたくない」わりにはノリで事務職を辞めて新しく何かを得るビジョンがある感じもしなかったので,やはり結局かれらが別れたあとに何を得るのか分からない。麦は既に仕事をやっていく覚悟を決めているので,絹ちゃんを失っても仕事を続けるのだろうが,絹ちゃんは麦を失ってその後に何をして生きていくんだろうか。

 

いままさに麦くんや絹ちゃんと同じような年齢層を生きている同世代のみんなに花恋を見せて何を思うのか社会実験をしてみたいし,たぶんそう思ってる人が作った映画なんだろうなと思った。

 

24日

異次元的な感覚。

 


25日

もう忘れた。『零號琴』を読みましょう。

 


日記に飽きたので第5週の日記はありません。

2021年7月第3週の日記

12日

モンスターエナジーを飲んだ。よく寝れなかった。

 


13日

病院に電話をし,ZONeを飲んだ。

夜23時ごろにテニスの練習をした。その前後で23キロ散歩した。これでよく眠れるだろう,と思ったがそんなことはなかったので追加で1時間運動してからベッドに戻ったが,よく眠れなかった。

 


14日

コーヒーしか飲まなかった。翌朝4時ごろに少しうとうとできたので4時間程度よく寝れた。

 


15日

寝た

 


16日

テニスした

 


17日

ZONeを飲んだ。テニスした

 


18日

よく眠れなかった。テニスした

2021年7月 第2週の日記

4日

モンスターエナジーを買って飲んだ。何故か家の門柱にずっといる野生の番猫は,雨の日の夜は庇の下で寝ていると分かった。

 


5日

モンスターエナジーを買って飲み,アイスコーヒーを2杯飲んだ。

 


6日

モンスターエナジーを買って飲んだ。傘が汚れてて開きたくなかったので雨に濡れた。

 


7日

モンスターエナジーを買って飲んだ。マリトッツォを食べた。#マリトッツォを絶対に流行らせる

お絵描き伝言ゲームをやった。

 


8日

モンスターエナジーを買わなかったし飲まなかった。マリトッツォを食べた。

 


9日

ZONe を買って飲んだ。デトロイトビカムヒューマンを1週した。何もしてないのに勝手に戦争が始まっていったので人間は野蛮だと思った。

 


10日

ZONe を買って飲んだ。長谷川白紙さんのライブ配信を見たあとにインドの音楽を聞いた。ひじきの元ネタが海藻なのが未だに納得いかない。

 


11日

ZONe を買って飲んだ。松屋に行ってみたがネギをのせてるやつは口に合わなかった。

2021年7月第1週の日記

1日

雨が降っていた。

ハンバーグをこねてたべた。ふだんは卵を入れることで卵白が加熱で固まり,ハンバーグの肉を崩れにくくして作るのだが今日は制作の主導権を奪われていたのでそのように出来なかった。

家を出る理由がなくて暇だったので自販機にモンスターエナジーを買いに行った。(糖尿病へまた一歩近づく)

玄関の門柱にみなさんにとって気持ちの良くない生き物がたくさん集まっていてすごかった。これは猫に餌を上げている人がいることの弊害で,猫の残飯を目的としてこのような生き物たちが集まっている。

自分もこういうのをまじまじと見ると2分くらいは食欲をなくすが,切り替えが早いのですぐに忘れてしまう。自分の精神の健康にとって害のある記憶はさっさと忘れた方が良い。

 


2日

雨が降っていた。

朝起きてふとツイッターをやめようと思った。(人生で31,884回目)

3つくらい夢を見たがそのうち2つが正夢になっていたことが朝の時点で判明した。

図書館へ本を返しに行った。返りにZONeを買って飲んだ。(糖尿病へまた一歩近づく)

行きと帰りでカタツムリを2匹発見した。(余談だが夜中に揚げ餅塩を買いに行ったとき帰りに見つけた1匹の近くでさらにもう1匹見つけた。) カタツムリって大きくてすごい。カタツムリは見た目が貝のようであるので,こんな陸地の森でよう暮らしとるなあ,と思う。

ニートなのでブックオフに行った。『住まいのライティング』という住宅の内装の写真集が100円で売ってあるのを発見した。

写真の家の内装はあまりに VRChat のオシャレ部屋そのものだった。いつかワールド自作したくなったときに参考になるかもしれないと思い,購入した。

それから『初めての人のための LISP 増補改訂版』という本も490円で売っていて,LISP に強い興味は購入時点ではなかったが,考古学的興味から気になったので買った。

「前書き(兼あと書き)」を読んで分かったことは,LISP は噂通りに泥の玉(あるいは泥の王様)のようなものであり,そしてこの本の語り口はたいへん面白いものであるということだった。詳しくはまた話したい。

 


夜にアイスコーヒーを2杯飲んだ。

ふと NVIDIA canvas で廃墟や自然風景の有名な写真を頑張って模写してから画像の自動生成をさせたら同じような画像が出てくるのか気になった。そこでインストールしてみたものの GPU が RTX ではなくGTX だったので構成要件を満たさないことに気が付いた。

一刻も早く RTX を買おうと思った。20万~50万円くらいで買いたいという気持ちがあるが,半導体の価格高騰の影響があるらしいのでこれらが適正な値段帯なのかわからず,迷っている。それから NVIDIA からは科学計算用の GPU シリーズもあったはずだが(Tesla だっけ)それらがゲーミンググラフィックボードとしても充分よく使えるものなのか分からず,調べようと思いつつ,調べていない。いま調べた。一部を除いてディスプレイ出力には対応しておらず完全に演算用途に特化しているようだ。数値計算機械学習のオタクなどになるまでは特に買わなくても良いか。グラフィック用でなるべく高性能なものを買えるときに買おう。

はやく水冷式のコンピューターを自宅に設置し,プロセッサーの元気で活発な排熱を,ラジエーターの金属板の隙間を通る冷たい水が受け止めて循環する様子を,にこやかに眺めながら毎日を過ごしたい。

 


3日

0時ごろから1時頃にかけて雨が強くなり1時半頃に3回の警戒レベル4の土砂災害警報が来る。やりようがないのでまた諦めてパソコンをいじっていたところ雨足が弱くなり,日の出の時間になる。日の出を迎えたので寝ようと思ったが,最近の私にしては珍しく寝付きが悪くなかなか眠れない。なぜ眠れないのか私は考えた。昨晩はコーヒーを2杯(600mlくらいかな)飲んでいた。それだ,と思った。夜にコーヒーを飲むのはやめようと思った。

ZONeを飲んだ。(糖尿病一歩)

友人に本を返しに行ったら,友人が他の友人からゲームを借りていて返しに行くところなので一緒に行こうと言われ3人でサイゼリア(サイゼリヤ?)に集まり,だべっていた。

サイゼリア(サイゼリヤ?)にはルネサンス期の絵画が多く飾ってあることはよく知られているが,自分にはサイゼ(ヤ?)との関係がよくわからなかった。そこで次のような仮説を立てた。サ(ヤ?)はそんなに簡単ではない10個の間違いさがしが有名であるが,実は飾ってあるルネサンス期の絵画もそれぞれ10個ずつ間違いが含まれている。s(y?)aはそのようにして我々の美術教養的観察眼を試している,というものである。

雨が止んで街の丘からは小さな水が流れて排水溝に進んでいたが,雨でこれだけあちこちから水が湧き出るならこれらが一か所にまとまってせせらぎのような流れを常に作っていれば私が自然の観察ができて面白いのに,と思った。というかこれと同じことを幼少期からずっと思っていて,街の夢を見るときそこは必ず存在しないきれいな小川があちこちにある街になっているのだ。おわり。