読む毒

イヌ

2021年7月第1週の日記

1日

雨が降っていた。

ハンバーグをこねてたべた。ふだんは卵を入れることで卵白が加熱で固まり,ハンバーグの肉を崩れにくくして作るのだが今日は制作の主導権を奪われていたのでそのように出来なかった。

家を出る理由がなくて暇だったので自販機にモンスターエナジーを買いに行った。(糖尿病へまた一歩近づく)

玄関の門柱にみなさんにとって気持ちの良くない生き物がたくさん集まっていてすごかった。これは猫に餌を上げている人がいることの弊害で,猫の残飯を目的としてこのような生き物たちが集まっている。

自分もこういうのをまじまじと見ると2分くらいは食欲をなくすが,切り替えが早いのですぐに忘れてしまう。自分の精神の健康にとって害のある記憶はさっさと忘れた方が良い。

 


2日

雨が降っていた。

朝起きてふとツイッターをやめようと思った。(人生で31,884回目)

3つくらい夢を見たがそのうち2つが正夢になっていたことが朝の時点で判明した。

図書館へ本を返しに行った。返りにZONeを買って飲んだ。(糖尿病へまた一歩近づく)

行きと帰りでカタツムリを2匹発見した。(余談だが夜中に揚げ餅塩を買いに行ったとき帰りに見つけた1匹の近くでさらにもう1匹見つけた。) カタツムリって大きくてすごい。カタツムリは見た目が貝のようであるので,こんな陸地の森でよう暮らしとるなあ,と思う。

ニートなのでブックオフに行った。『住まいのライティング』という住宅の内装の写真集が100円で売ってあるのを発見した。

写真の家の内装はあまりに VRChat のオシャレ部屋そのものだった。いつかワールド自作したくなったときに参考になるかもしれないと思い,購入した。

それから『初めての人のための LISP 増補改訂版』という本も490円で売っていて,LISP に強い興味は購入時点ではなかったが,考古学的興味から気になったので買った。

「前書き(兼あと書き)」を読んで分かったことは,LISP は噂通りに泥の玉(あるいは泥の王様)のようなものであり,そしてこの本の語り口はたいへん面白いものであるということだった。詳しくはまた話したい。

 


夜にアイスコーヒーを2杯飲んだ。

ふと NVIDIA canvas で廃墟や自然風景の有名な写真を頑張って模写してから画像の自動生成をさせたら同じような画像が出てくるのか気になった。そこでインストールしてみたものの GPU が RTX ではなくGTX だったので構成要件を満たさないことに気が付いた。

一刻も早く RTX を買おうと思った。20万~50万円くらいで買いたいという気持ちがあるが,半導体の価格高騰の影響があるらしいのでこれらが適正な値段帯なのかわからず,迷っている。それから NVIDIA からは科学計算用の GPU シリーズもあったはずだが(Tesla だっけ)それらがゲーミンググラフィックボードとしても充分よく使えるものなのか分からず,調べようと思いつつ,調べていない。いま調べた。一部を除いてディスプレイ出力には対応しておらず完全に演算用途に特化しているようだ。数値計算機械学習のオタクなどになるまでは特に買わなくても良いか。グラフィック用でなるべく高性能なものを買えるときに買おう。

はやく水冷式のコンピューターを自宅に設置し,プロセッサーの元気で活発な排熱を,ラジエーターの金属板の隙間を通る冷たい水が受け止めて循環する様子を,にこやかに眺めながら毎日を過ごしたい。

 


3日

0時ごろから1時頃にかけて雨が強くなり1時半頃に3回の警戒レベル4の土砂災害警報が来る。やりようがないのでまた諦めてパソコンをいじっていたところ雨足が弱くなり,日の出の時間になる。日の出を迎えたので寝ようと思ったが,最近の私にしては珍しく寝付きが悪くなかなか眠れない。なぜ眠れないのか私は考えた。昨晩はコーヒーを2杯(600mlくらいかな)飲んでいた。それだ,と思った。夜にコーヒーを飲むのはやめようと思った。

ZONeを飲んだ。(糖尿病一歩)

友人に本を返しに行ったら,友人が他の友人からゲームを借りていて返しに行くところなので一緒に行こうと言われ3人でサイゼリア(サイゼリヤ?)に集まり,だべっていた。

サイゼリア(サイゼリヤ?)にはルネサンス期の絵画が多く飾ってあることはよく知られているが,自分にはサイゼ(ヤ?)との関係がよくわからなかった。そこで次のような仮説を立てた。サ(ヤ?)はそんなに簡単ではない10個の間違いさがしが有名であるが,実は飾ってあるルネサンス期の絵画もそれぞれ10個ずつ間違いが含まれている。s(y?)aはそのようにして我々の美術教養的観察眼を試している,というものである。

雨が止んで街の丘からは小さな水が流れて排水溝に進んでいたが,雨でこれだけあちこちから水が湧き出るならこれらが一か所にまとまってせせらぎのような流れを常に作っていれば私が自然の観察ができて面白いのに,と思った。というかこれと同じことを幼少期からずっと思っていて,街の夢を見るときそこは必ず存在しないきれいな小川があちこちにある街になっているのだ。おわり。