読む毒

イヌ

2021年4月1日の日記 142万8692円

桜餅とか桜茶ってあるけど,あの桜の風味ってなんなんでしょうね。桜の実(さくらんぼ)とは全く違う風味なんだけど,私たちは桜の花や葉を齧って食べたりはしないのに桜の風味を知ってますよね。不思議じゃないですか?あれみんなで協力して嘘をついているだけかもしれないですよね。

 

上着を着なくて良いくらい暖かい季節になった。今日は公園で白いタンポポを探してみたんだけど全く見つからなかった。ついにこの公園から絶滅したのかもしれないと思った。

幼い頃に白いタンポポを見つけると珍しくて摘んでしまっていた。こうして絶滅していく。反省。(タンポポの綿毛を人工的に飛ばすのは生殖に加担しているので良いですよね?)

 

珍しく実家にいて,珍しく暇で,珍しく眠かったので,昼間から夜までずっと寝ていた。

自分に懐いている犬がいて,一緒に寝ていた。自分に懐くものを見ると,自分が巧みな方法で信頼のできるものに擬態しているだけではないかと思ってしまう。そういう擬態を如何に取り返しのつかなくなるまで続けるかということが社会性なのだろう。取り返しのつかなくなるところまで続けてしまった人はもう引き返せないので,その社会性を維持するだろうという信念が共有されることで世の中はどうにかなっている。そこで突如現れた凶悪なドラゴンが街と人々を蹂躙する。

 

何をしていても退屈だと思う時間が増えた。歳をとってから気が短くなった気がする。すぐに結果が見えてこないことを続けることにストレスを感じるようになった。無い近道を夢想してしまう。可処分時間が減ったからかもしれないし,自分の老化を感じて残り時間の無さに漁っているのかもしれない。焦燥は全てを悪くする。同語反復的かもしれないが,焦らないことには心に余裕を持つことが必要だ。余裕を持つための最も簡単な方法は諦念にある。全てを諦めていれば何も恐れることはない。逆説的だが,私は本気を出さないことでしか本気になることができない。そんなこともないか。嘘かもしれない。自分が自分について書くことが正しいとは限らない。

昼寝をしながら,何故こんなに生きていて退屈に感じるのか考えた。それは目の前にあるものがつまらないからではなく,自分がつまらないからでもない。もっと別の問題なのだと思いついた。おそらく,ただ単にこれほどずっと一人で生きているのが退屈なだけだ。世界を探し回って僅かに出会えるような,自分と同じような心の持ち主に,何かを共有することの喜びをもっと知りたいのかもしれないと思った。今までの自分はその感情は単なる弱さだと思って切り捨てていただろう。これからの自分がどう思うかは分からない。春になると冬季鬱が終わり,脳の人間性を司る部位が活性化し,社交的になるからだ。

 

夜も寝られず,退屈すぎてブログを書き始めた。今日も頑張って,同じくらいの年代の方々がよく読んでいるようなブログを書いてウケを狙うぞ,と思った。自分の過去の反省や,今の悩みを生み出している環境を,シニカルな文章で描くことによって同年代の方々に支持されるような,そういうブログを書いてやるぞ!と思ったが,書くことが何も思いつかなかった。進路や人間関係や仕事や自分の人間性の反省をそういうふうに書きたい気持ちがあるときもあるが,書き飽きたという気持ちもある。

 

代わりに最近知った面白い話をしようと思ったが,最近知った面白いことも何もなかった。

 

マクドナルドは17時以降になると「夜マック」というメニュー群が発生し,100円を払うとバーガーの中身が倍増するパティ2倍ができます。

 

早朝になると町中の鳥が囀り始める。周り360°の家の屋根より高いところから鳴き声が聞こえてくる。今年の春の花はどこに何を見に行こうかな。

 

終わり。