読む毒

イヌ

下書きツイートの研究

最近,熱いコロッケを食べたら口蓋を火傷しました。珍しい痛みがします。

自分の下書きツイートを深くまで見返したら2年あるいはそれ以上前から見つかりました。全部ツイートしようかなと思ったのですが多すぎるので,ブログで【初公開】します。ちなみに趣味について情報的な地雷があったりセンシティブなツイートも隠さず表示されています。

 

新しいものから順に。

 

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・ソシャゲの話が多いですね。

・"数学的「色即是空」" とは,少し古い集合論の解説文で,ZFCで空集合から集合論の宇宙が作り上げられていく様子を指して述べられていたものです。

ネガティブな内容も単純な事実なので特に隠さず載せています。

 

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・零號琴にハマっていた時期のようですね。今年の前半でしょうか。

カシミール効果の勉強は一旦挫折しました。

 

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・"ピアノ調律タイムアタック" 映画『羊と鋼の森』の内容を記述しています。

・ソシャゲのスクショがありますね。ケイトさん……

・"あなたが愛おしい" 誰のことなんでしょうね。

・"苗字を先祖のゲーデル数" これは子が親のうちひとつの姓を選んでいくことに対して,姓全ての情報をゲーデル数化して圧縮するアイデアですね。

・"ラブホのそれ" 匂わせツイートみたいで厭ですね。

・"白くて透明なカーテン" レースカーテンになりたいですね。

 

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・ソシャゲにハマっている時期なのでまだ今年の前半でしょうか。ちなみにカリムの姓はアルアジームですね。

 

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・"ダンブルドア校長顔面パンチにめっちゃ強い説" これは男性の顎髭がパンチから顎の骨を守る作用があるという調査を見ての反応です。

・キンプリを見ていますね。キンプリの内容は忘れてしまいましたがとにかくアッパーだったことは覚えています。

・"熱海の温泉を引いてる廃ホテル" 住居用に買い取っても改修しないといけないので大変ですね。隠居をするときにそういうことをしてみたいです。

・"オナサポのサブスク" オナサポという単語を見て思いついたツイートなんでしょうけど,面白いですね。性愛のサブスク。

・"ヱヴァ序" エヴァって全てがひとつの計画の上でしたみたいな終わり方するけど,シンジくんが生命的にも精神的にもエヴァパイロットで居られない状態に何度もなりかけているのですごい不安全な計画でしたよね。

・"「今度の■■■■はヤバいわよ!」" ヤバいですね☆

・自生の夢にハマっていますね。ちなみに半分しか読んでいません。

 

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・"ラクダ破壊者" 砂漠で迷ったときにラクダの死体の腹を切ると水があるのでそれを飲むというサバイバル動画を見た感想です。体内の水は消化物が混ざってるのでとても臭いようでした。

・"明晰暗転" 不眠で一週間ほど寝れなくて寝ないで本を読んだりインターネットをしていたときに強い偏頭痛の前兆が現れたときのツイートだったと思います。視界がおかしくなったので死ぬのかと思いました。

・"というのは嘘 ほんとはね" 本当は,何なのでしょう?

・"腰" 痛かったんでしょうね。

 

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・"オス"  "メス" これらの言葉遣いはあまりしないのでなんらかの文脈があっての反応なのでしょうが,どんな経緯かは忘れてしまいました。前後を失うと品性が無く見えるものは結局のところ品性がないのと変わらないので注意をしたほうがいいかもしれませんね。

・「わ」が多いですね。

・サバサバしてるからさあのやつはその後 MAKE AMERICA … の字体を変えてツイートしましたね。

・"他に望むものはない" これは本当にその通りです。穏やかに過ごしたいですね。

・"根源に近づきたい" 今のところ結局これらのことにはあんまり手が伸びず他のことをしていますね。

 

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・"スターウォーズep2" スターウォーズのep1-3はネタバレをすると,兄弟のようでも親子のようでもある師弟が,師は弟子を愛し,弟子は師を憎み,ふたりは殺し合いに発展するのですが,そこがスターウォーズ全編を通して一番好きです。巨大感情。

・"だけど変わってはいけるから" 悲しいときにFor フルーツバスケットのこれを聞いてギャン泣きしました。ちなみに月ノ美兎さんのカバーも好きなんですが声を聞くだけで楽しい気持ちになってしまうので月ノ美兎さんのカバーでギャン泣きをしたことはないです。

 

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・"森島帆高" この頃よりはお金持ちになりましたが帆高より満たされていない気がします。

・"これが戦車道" ガルパンにハマっているようですね。

・"レックウザのレイドバトル" ポケモンGOをしていたほぼ最後の時期だと思われます。そうするとこの下書きは今年度よりも前の時期(2020年3月以前),去年の冬から今年の春にかけての下書きではないでしょうか。ポケモンGOは自動ログインに失敗すると再ログインの手続きが面倒なのでそのまま引退してしまいます。

 

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・トウモロコシの写真がありますね。去年の7-8月でしょうか。

・"ラティメリア メナドエンシス" 所謂シーラカンスの亜種です。小学生の頃から好きです。

・"お気に入りの布" この頃からたびたび巻き込まれています。

 

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・"船を漕いで暮らしたい" ベトナムの水路や水田をボートで移動する農家の暮らしを見ての反応だと思います。

・"内輪ノリ" 今は内輪ノリとは和解しました。

・"歩いてたらゴリブリ" いいですね。

 

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・"DARPA" DARPAに入れたら虐殺の文法を研究したいですね。

・"狂人" 私は私が狂った信仰の持ち主であることを自覚しています。

・"遅刻したくないモチ〜〜" しそうだったんでしょうね。

・“輝夜月" 懐かしい話ですね。

 

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・"広い怒り方" 良い言い回しですね。これから使っていきたいです。自分の言語運用のルネサンス

・"ナンパやめろ" その後に続く内容を見ると恋愛観の押し付けですね。おそらく当時もそのことを分かった上で下書きにしたのだと思います。

・"ナナチはかわいいですね" おそらく当時は深き魂の黎明の公開予定すら発表されてなかった時代だと思いますが,今では有名なセリフになりましたね。

・"スコップ落ちてた 元気です" スコップの落とし物と元気に何の関係が…?

 

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・"最悪全員死ぬよね" なんの話なのか気になりますね。面白くて且つ最悪全員が死ぬこと,あまり想像がつきませんね。

・"ギターの音" ギターサウンドのアンチツイートがわりとありましたが最近は和解しました。

・"無関心でいること" おそらく2年くらい前だと思いますがこの頃はこういう状況設定も結論も曖昧な思想ツイートをすることを好んでいました。

・"知り合いが" これが一番古いので何があったのか気になりますね。もう思い出せませんが。

 

終わり。

2020年9月7日 塩

ふと人と話したくなった。出かけた場所のこと,生活のこと,天気のこと,自分の変化のこと,なんでもいい。

そういうときはツイキャスで誰も返事をしてくれない独り言をするだけでも自分は満足できてしまう(省エネな性格ですね)のだけれど,ツイキャスをしない・自撮りをしないという誓いを立てているので(立てていませんが)代わりに日記を書き始めた。自分は話をできるほど信じられる人がいないので,日記,ツイート,なんらかの適当な形で独り言をするしかないのだと思う。といっても自分は会話を諦めているのではなくそれを望んでいるから,Twitterをしていることが多い。Twitterは各々の独り言をコミュニケーションに近い形に変換する機能だから,そういうわけで自分はTwitterから一生離れられないと思っていた。最近はそうでもない気がしてきている。

 

最近はソシャゲをしている。ソシャゲの何がソーシャルなのかまだ知らない。ソシャゲには『ガチャ』というシステムがあって,これによって日本の若者は目当てのJPEGとボイスデータに月給の何パーセントかを課金する。目当てのJPEGが当たると若者はTwitterで報告をするので,そういう意味でソーシャルなのだと自分は思っている。この推理が正しいのかまだ分からないが,真実はいずれ知ることになるだろう。

スマホゲーは音ゲー(CytusとDeemo)と荒野行動にはまっていた時期があったが,ゲームをそんなに続けられる性格でもないのでスマホゲームはしばらくやっていなかった。ソシャゲを始めたのは,春休みと流行りの病の影響で2ヶ月ほど仕事がなくなっていたときに『ツイステッドワンダーランド』の広告を見てやってみたというのが始まりだった。𝑻𝒘𝒊𝒔𝒕𝒆𝒅-𝑾𝒐𝒏𝒅𝒆𝒓𝒍𝒂𝒏𝒅 をやったところで先月くらいにまた別タイトルの広告を見て(フォロワーがハマってたのもあるが)『魔法使いの約束』をやっている。物事を比較することが嫌いなので比較するために書いているのではないが簡単に所感を書く。ツイステは章ごとにキャラクターの内面に関係する問題提起とその決着が行われる。問題の可視化にはオーバーブロットという設定がいい感じに活躍する。お約束の展開のようなものができていてわかりやすいと思う。

まほやくは純粋にコンテンツの提供量が多くて嬉しい。あと話が生々しくて自分好みな気がする。シナリオや会話劇が純粋に楽しい。育成の仕組みは複雑なのでまだわかっておらず勘でやっている。個々のキャラクターと親睦を深めているような体験ができて楽しい。メインストーリーは15章まで進めて,今のところ何も世界や人物の問題が進展した感じがしない。というか我々がキャラクターにゲームで提供されている機能を通して作用しても,そのときに特別な返事がもらえるだけで,彼らや世界に変化を与えられる気がしない。サザエさん時空のように,その場その場では問題や解決が起こり,信頼が深まるような終わり方をするが,その事件の以前とそれ以後で本質的な変化はなく,永遠にキャラクターの刺激的な言葉を聞く時間を自分がこれから過ごしてしまうような想像をしてしまう。ゲーム内での自分の存在感というのは,こちらとゲームとの間に壁がある以上もっとも最初に諦めることなので(前もこんなことを考えていた気がする。『ALTER EGO』をやったときかな。あのゲームはそういう内容だった),諦めるとして,キャラ同士の問題の決着はどんどん見ていきたいと望んでしまうが,こういうことを考えてしまうのは勇み足気味だろうか。彼らが引き起こす問題を(自分にとっては)長い時間をかけてまま見守っているべきだろうか。今から自分がメインストーリーを進めたらわかるだろうか。まだ誕生から長い歴史を持たないゲームコンテンツなので,みんなが信じているように話が進むことを自分も信じて穏やかに供給を待っているべきだろうか。というか,それしか道がないので,そうするしかなかったな...

 

川崎の新設水族館(カワスイ)で魚を見た。イグアナやアルマジロを見た。アルマジロはネズミやブタの印象に似ていて哺乳類らしい感じがした。イグアナはずっと寝ていて,触ったらむにむにしていそうだった。まだ大きくないピラルクがいて,カワスイが数十年の歴史を持つ水族館になったときこのピラルクがまだ生きていたらとても大きくなるのだろうと思った。カワスイは淡水生物がメインに展示されていて,アクアリウムブーム世代の成金みたいな太ったおじさんが水槽ごとに近くにいる若い女性に絡むようにはしゃいでいて,魚の萌えポイントを友達に話したかったが蘊蓄を開始した瞬間にこのおじさんと同じ土俵に上がることになるなと思った。

 

自分の誕生日に母親と会った。母親にタイの特殊な形式の食事をご馳走してもらった。母親はタイ人で,その辺で行われているタイ仏教的な儀式に自分が同行した。儀式の後は捧げ物である食事をみんなで食べる。その日は徹夜明けだったので,儀式の時間は眠らない程度の動作が求められつつぼーっとできて,よかった。食事にはそこにティラピアという魚があった。ティラピアはタイで一般的な食用魚で,かつてタイで食糧難があった頃に今の上皇が食用としての導入を提案した歴史がある。カワスイでも見た魚だったので,こんな形で再会するとは,と思った。

みんなは知らないかもしれないけど自分の母親はタイ人と言われている。そのことについて保守的な日本人である祖母からはとても恥ずかしいことだと小学生の頃は毎日言われていたので自分も子供の頃はなんとなくそう思っていた。地元には外国人は少なくないので,それが珍しいとも特別なことだとも思わなかったが,母親について他人に積極的に語ってはならないと思っていた。というか家庭内でそういう空気感を祖母が積極的に作っていた。今は祖母は歳をとったので家庭内でのそういう働きも衰えたし,そもそももう家庭らしい場は存在していない。自分は歳をとってそういうことへの気持ちが何もなくなったので,事実として語ることが出来るようになったが,やはり何も思う所はない。

 

夏が始まる前にキュウリの苗を二つ買った。キュウリの苗は売り場にある一番高いやつ(SSR)と一番安いやつ(R)を買ったが,SSRはキュウリをたくさん作ってくれるのに対してRはそうでもなかったので,違いが実証できて嬉しいと思った。

 

世間では毎年夏が暑くなっていくと言われるのに対して自分は毎年夏の暑さを感じなくなっていくと思っていたが,単純に自分が昼間に外出する時間が減って冷房のある室内にいる時間が増えているだけだと気がついた。いつか夏のない場所に住みたい。あるいは夏の温度を下げたい。これと似ている話として,自分は幼い頃から毎年アゲハチョウの大きさが小さくなっていて環境問題の影響だと思っていたが実際には自分が大きくなって生き物が相対的に小さく感じるようになっただけというのがある。この話はもう何度もしている気がする。5億回くらいしている。老人なので同じ話ばかりしてしまう。違う話をしよう。最近,誰も使ってない埃だらけの部屋に,子供の頃に市民プールで使うテントを入れていたショルダーバッグを見つけた。うちには誰も使ってない埃だらけの部屋が多い。子供の頃はその鞄がこの世で最も大きな鞄だと信じていたが,やはり今の自分には特別なことはない大きさの鞄だと感じた。

 

この間ブヨという生き物に刺された。それ以前はブヨという吸血激ヤバ害的危険生物の存在を認知していなかったが,刺され跡が普段と違うのでインターネットを信じてインターネットで調べたらそういう吸血激ヤバ害的危険生物がいるとわかった。ありがとうインターネット。

それからしばらくした日のリビングで,自分の腕に蚊より小さい変なハエのような生き物が蚊よりぶっといストローのような針で私の血を吸おうとしていたので,ブヨだ!!!と興奮しながら捕まえて水で流した。家でも外でもブヨを見るのはその日が初めてだと思うが,認知していなかっただけでこの吸血激ヤバ害的危険生物は自分は昔にも出逢っていたのだろうか?

 

まだ書いてないことはたくさんあるが,眠くなってしまった。流行病があっていろんなことが変わってしまったのだから,ただ若かっただけの頃より日記に書くことはあるはずなのに,書く余裕がない。眠いし,お腹も空いている。家の近くにある24時間やっていてカタコトの日本語を話す店員さんしかいない定食屋さんの,ご飯に人間の食べ物が乗ったやつを食べたい。記憶が疑わしいが確かそれはチーズ牛丼みたいな名前をしていた気がする。しかしお金がないので我慢する。それと,私はもう老人なので,眠いときにそんなものは食べてはならない。

明日早朝から免許の試験に行くつもりだったから今のうちは勉強したかったし,今日は早朝から犬の散歩をするつもりだったが全然うまくできなかった。自分はまだ若者だから,若者には失敗がつきものというわけらしい。

2020年6月14日の日記 大人

頭痛で目が覚めてから薬を飲んで元気を取り戻し無理やりごはんを食べたが気晴らしにNetflixでピンポンを見始めたらこれが面白くて全部見ちゃった!

ピンポンというのはざっくり言うと大人になる話で,いい話だった

 

自分もいつか大人になるのかな〜〜〜〜

ずっと

雨にぬれた靴は

かんたんにくさくなる

どうして?そんなふうにしてわたしを困らせるのだろう

靴がくさくなる必要は どこにもない気がするのに

変わらないはずの なぜか思い出せないチャイムの音が聞こえた

 


霧がはりついたような窓

に 浮かんでいる誰かの指のあと あぶら 汗 だろう

紙がまるくなる 鉛筆がかけなくなる

みんなの匂いがかたまって

それはとても嫌なことだ

隣のクラスの先生が怒っている声が聞こえた

 


学校のなかの 行ったことがない場所

水槽のなかに 泡をつくる機械 の 名前はなんていうのだろう

行き止まり の階段

にのぼったことはない

男子が何度も先生に怒られて

それを見ていたから

メダカの水槽はほんのり 魚くさい

強い風がふいて雨が学校にあたる音が聞こえた

 


おとなになるということは たくさん痛くなるということらしい

誰にも甘えられなくなり、

セックスの気持ち悪い話が すべて現実になるということらしい

みんな違うところに いってしまうということらしい

身体が ぶくぶくと ごりごりと 歪んでいくということらしい


それは、

先生のように

お父さんやお母さんのように

おばあちゃんのように

スーパーの店員さんのように

テレビのCMの人のように

なるということらしい

 


それから それから

 


わからない

 


椅子を引きずるたくさんの音が聞こえた

蛇口をひねった音が聞こえた

スプーンを落とした音が聞こえた

となりのクラスの子の泣き声が聞こえた

トイレを流した音が聞こえた

先生を呼びだす放送が聞こえた

牛乳をこぼした音が聞こえた

保健室の体温計の音が聞こえた

教室の引き戸をあけるのが聞こえた

音楽室からたくさんのリコーダーが聞こえた

ランドセルのブザーを間違えて鳴らしたのが聞こえた

遠くでカラスが鳴いているのが聞こえた

変わらないはずのチャイムの音が聞こえた

2020年6月6日の日記 ホタル

ホタルを見に行った。ホタルをまともに見た記憶は,今日を合わせて人生で2回しかない。それは単に忘れているだけなのかもしれないけど。

初めにいくつか思い出話をする。これらの話は人生で何度も口に出した記憶があるから,私に詳しい人なら聞いたことがあると思うかもしれない。

 


ホタルを1回目に見たのは幼い頃だった。小学生低学年だったら幼稚園児生だったか憶えてないけどたぶん小学生低学年だっただろう。横浜市にある三渓園という日本庭園で,ホタルの光を見るイベントがあった。三渓園には以前はホタルがいたが年々減少したためにどこかから捕獲したホタルを放流してイベントにしている,と父が言っていた気がする。幼い頃のことだから父が本当にそう言ったのか,それが事実なのか,調べればすぐ分かるだろうが調べてないのでわからない。

当時の幼い自分はそれはおかしいと父に訴えた気がする。

(ホタルの放流はその土地でのホタルの生態維持にはおそらく繋がらないが,一方で既に維持されている生態系の破壊行為にはなる。イベントとしては成立するが生態系維持について全体で見ればマイナスだ,と言った気がする。もしかしたらその後の人生のどこかでそう思ったことを後付けで当時思ったことにして覚えてしまったのかもしれない)

ホタル見物には一緒に両親と妹,それから祖母がいた気がする。兄もいたかもしれない。血縁の関係者はこれ以上いるが,家族が4人以上揃う,ということは年々減っていったから,いつどのとき誰がいたかということを詳しく覚えていない。

 


このときの最大の思い出はナメクジを掴んだことである。

ホタル見物にはたくさんの人がいて,三渓園の狭いベンチは全て埋まっていた。売店で誰かが何かを買ってきて,それを飲むために椅子代わりに大きな石に座った。石に手をつくとヌルッとした感触があり,何も知らない子どもだった私はそれを「ホタルのウンチ」と判断して手に握りしめた。そしてホタルのウンチだ!と手のひらを見せた。するとそこにいたのはナメクジだった。

私はひどく狼狽えて,石鹸で手を洗いたいと親たちに泣き叫んだ。親たちは(おそらくこの場で最も支配的な立場にいるのは父親だから,実質的に父親は)この要求を重視しなかった。私はその辺の蛇口の水で手を洗って帰宅した。その日は帰るまで手で体を触らないように注意した。ご存知の通りナメクジは超危険凶悪細菌爆弾であるわけだが,幸いにも私は何の影響もなく生きている。あるいはその病原体は遅効性で,影響がこれから現れるのかもしれないが。

 


余談開始。

これと類似したエピソードで記憶にあるものが他にもある。幼稚園の遠足のときの話だ。遠足で私は町の近くにある山を整備した公園に行った。公園の帰り道,大きな墓地の脇道の,木で舗装した階段の踊り場に,白いキノコが生えていた。幼稚園児だった私はそれを当時初めて連れていってもらったスーパーマーケットの野菜売り場に並んでいたキノコと同一のものだと判断した。その判断力を周囲に自慢したかった。そしてそれが食べれるものであると証明するために,遠足の列で前に並んでいる友達の目の前でそのキノコを飲み込んだ。

数日経ってから私はそのことの危険性にひどく怯えて親たちに何かを訴えた気がするが,結局何もなかった。あるいはその神経毒は遅効性で,影響がこれから現れるのかもしれないが。

ただそれから小学生,中学生と成長するにあたって私は一度笑い出すと止まらなくなる「ツボ」という体質がずっとあったので,家族はそのとき食べたのがワライダケであったのではなかいかと言うことがあった。実際にそれがワライダケであったのかどうかを確かめる術はないのだが。(ツボの体質は高校生あたりまで,もしかすると今でもあったから,それは本当に遅効性の神経毒であったのかもしれない。学校に通ってた頃は一度笑い出すと止まらずに,特にそれが授業中ならひどくて授業を止めてしまうほど大声で笑ってしまった記憶がたくさんある)

 


さて,今日の話。

今日はやはり横浜市内にある大きな自然公園にホタルを観に行った。その感想を書いていきたい,というところだがなんと書くのに飽きてしまった。

実は前述の思い出話パートは昨日の時点で書いていたのだが,今日の話を今日する気力がなくなった。であるから今日どんな場所でどんなホタルを見てどう思ったかはまた今度書くことにする。おわり

2020年6月4日 泣きたくなかった

日記ではなく,回顧録

 

幼い頃から中学生くらいの頃にかけて,自分は何かを恐れたり怒られたりして泣くということがすごく嫌いだった。理由は,泣くことが精神的な屈服を表していると思っていたからだった。子どもらしくてシンプルで良い理由だ。

 


それでも,子どもらしく半ベソになったり目に涙を溜めたりした記憶はたくさんあった。親に怒られたり,先生に怒られたりしたときだ。昔から大人に怒られることは多かった。今でもそうかもしれない。好奇心が強すぎて制御不能で,人の話を最後までおとなしく聞かず,さらに怠けもの,そんな感じの典型的な怒られる子どもだった。ただ学校には絶対に物の破壊活動や他人への攻撃に勤しむ男児がいると思うので,それよりはマシだと思っていた。自分の意思と大人が決める生活に衝突があるだけだと思っていた。まあたぶん自分は結局今でも悪い子のままなのだろう。悪い子と言うのは肉体労働をして得たお金を肉親に還元せず弱ケーニッヒの補題と同値になる命題に興味を持ったりすることだ。

 


そういったわけで子どもの頃はたくさん怒られてたくさん泣きかけたことがあっただろう。そういったとき自分がそこまで泣きそうになった理由を今でも明確に覚えている。というか,今思い出しても同じ気持ちになれる。

 

それは

『自分は"""絶対に間違っていないのに""",体面を取り繕わずに大声で怒鳴り散らかし,自らの暴力性を匂わせている男の人やおとなの人の興奮状態を鎮めるために,自分が悪かったと認め,隷属的な態度を取らなければならない』という状況の不条理さだ。その屈辱感に怒りを覚え,それから自分に強い無力感を感じた。情けなさを感じた。間違ってないのに,間違ってましたと言わなきゃいけない,その無力感に泣きそうになった。でも我慢した,という覚えがたくさんある。一番古いものだと幼稚園の年長組で室内水泳の課外授業をしていたときだ。(この話はしないけど)

 


そういうわけで大人とか先生のことは何となく敵視するようになった気がする。(関係あるか?)

高校生くらいになると心と身体と自立心が発達していたので完全に大人のことを舐めていた。自分は間違っていないと思うのに大人から怒られているとき,「私は間違っていないのに,自らの感情を総動員して怒りの状態に陥ってるこの大人は,完全にただのアホだ」と内心笑いながら反省の言葉を出せるようになっていた。

 


それからさらに時間が経って,今では泣こうと思っても泣けない,というのが実感に沿う。何かに泣くような理由は自分にはなくなった。あるとしたら目に砂が入ったときとか男に目を殴られたときとかだ。(目を殴られたら病院に行こう。逃げることができたらの話だが)

今の自分は屈服したくないみたいな自立心とか弱さを見せないとかそんなことを考える必要は今やどこにもない,とすら思っているかもしれない。そうであれば,涙を見せて弱ってる様子を醸し出すなら今しかないぞ!というタイミングで人工的な涙が出したことは大人になってからいくらでもあっただろう,という気もしてくる。きっとそのことを覚えていないだけで。クソ人間だ。おわり。