読む毒

イヌ

2020年6月14日の日記 大人

頭痛で目が覚めてから薬を飲んで元気を取り戻し無理やりごはんを食べたが気晴らしにNetflixでピンポンを見始めたらこれが面白くて全部見ちゃった!

ピンポンというのはざっくり言うと大人になる話で,いい話だった

 

自分もいつか大人になるのかな〜〜〜〜

ずっと

雨にぬれた靴は

かんたんにくさくなる

どうして?そんなふうにしてわたしを困らせるのだろう

靴がくさくなる必要は どこにもない気がするのに

変わらないはずの なぜか思い出せないチャイムの音が聞こえた

 


霧がはりついたような窓

に 浮かんでいる誰かの指のあと あぶら 汗 だろう

紙がまるくなる 鉛筆がかけなくなる

みんなの匂いがかたまって

それはとても嫌なことだ

隣のクラスの先生が怒っている声が聞こえた

 


学校のなかの 行ったことがない場所

水槽のなかに 泡をつくる機械 の 名前はなんていうのだろう

行き止まり の階段

にのぼったことはない

男子が何度も先生に怒られて

それを見ていたから

メダカの水槽はほんのり 魚くさい

強い風がふいて雨が学校にあたる音が聞こえた

 


おとなになるということは たくさん痛くなるということらしい

誰にも甘えられなくなり、

セックスの気持ち悪い話が すべて現実になるということらしい

みんな違うところに いってしまうということらしい

身体が ぶくぶくと ごりごりと 歪んでいくということらしい


それは、

先生のように

お父さんやお母さんのように

おばあちゃんのように

スーパーの店員さんのように

テレビのCMの人のように

なるということらしい

 


それから それから

 


わからない

 


椅子を引きずるたくさんの音が聞こえた

蛇口をひねった音が聞こえた

スプーンを落とした音が聞こえた

となりのクラスの子の泣き声が聞こえた

トイレを流した音が聞こえた

先生を呼びだす放送が聞こえた

牛乳をこぼした音が聞こえた

保健室の体温計の音が聞こえた

教室の引き戸をあけるのが聞こえた

音楽室からたくさんのリコーダーが聞こえた

ランドセルのブザーを間違えて鳴らしたのが聞こえた

遠くでカラスが鳴いているのが聞こえた

変わらないはずのチャイムの音が聞こえた

2020年6月6日の日記 ホタル

ホタルを見に行った。ホタルをまともに見た記憶は,今日を合わせて人生で2回しかない。それは単に忘れているだけなのかもしれないけど。

初めにいくつか思い出話をする。これらの話は人生で何度も口に出した記憶があるから,私に詳しい人なら聞いたことがあると思うかもしれない。

 


ホタルを1回目に見たのは幼い頃だった。小学生低学年だったら幼稚園児生だったか憶えてないけどたぶん小学生低学年だっただろう。横浜市にある三渓園という日本庭園で,ホタルの光を見るイベントがあった。三渓園には以前はホタルがいたが年々減少したためにどこかから捕獲したホタルを放流してイベントにしている,と父が言っていた気がする。幼い頃のことだから父が本当にそう言ったのか,それが事実なのか,調べればすぐ分かるだろうが調べてないのでわからない。

当時の幼い自分はそれはおかしいと父に訴えた気がする。

(ホタルの放流はその土地でのホタルの生態維持にはおそらく繋がらないが,一方で既に維持されている生態系の破壊行為にはなる。イベントとしては成立するが生態系維持について全体で見ればマイナスだ,と言った気がする。もしかしたらその後の人生のどこかでそう思ったことを後付けで当時思ったことにして覚えてしまったのかもしれない)

ホタル見物には一緒に両親と妹,それから祖母がいた気がする。兄もいたかもしれない。血縁の関係者はこれ以上いるが,家族が4人以上揃う,ということは年々減っていったから,いつどのとき誰がいたかということを詳しく覚えていない。

 


このときの最大の思い出はナメクジを掴んだことである。

ホタル見物にはたくさんの人がいて,三渓園の狭いベンチは全て埋まっていた。売店で誰かが何かを買ってきて,それを飲むために椅子代わりに大きな石に座った。石に手をつくとヌルッとした感触があり,何も知らない子どもだった私はそれを「ホタルのウンチ」と判断して手に握りしめた。そしてホタルのウンチだ!と手のひらを見せた。するとそこにいたのはナメクジだった。

私はひどく狼狽えて,石鹸で手を洗いたいと親たちに泣き叫んだ。親たちは(おそらくこの場で最も支配的な立場にいるのは父親だから,実質的に父親は)この要求を重視しなかった。私はその辺の蛇口の水で手を洗って帰宅した。その日は帰るまで手で体を触らないように注意した。ご存知の通りナメクジは超危険凶悪細菌爆弾であるわけだが,幸いにも私は何の影響もなく生きている。あるいはその病原体は遅効性で,影響がこれから現れるのかもしれないが。

 


余談開始。

これと類似したエピソードで記憶にあるものが他にもある。幼稚園の遠足のときの話だ。遠足で私は町の近くにある山を整備した公園に行った。公園の帰り道,大きな墓地の脇道の,木で舗装した階段の踊り場に,白いキノコが生えていた。幼稚園児だった私はそれを当時初めて連れていってもらったスーパーマーケットの野菜売り場に並んでいたキノコと同一のものだと判断した。その判断力を周囲に自慢したかった。そしてそれが食べれるものであると証明するために,遠足の列で前に並んでいる友達の目の前でそのキノコを飲み込んだ。

数日経ってから私はそのことの危険性にひどく怯えて親たちに何かを訴えた気がするが,結局何もなかった。あるいはその神経毒は遅効性で,影響がこれから現れるのかもしれないが。

ただそれから小学生,中学生と成長するにあたって私は一度笑い出すと止まらなくなる「ツボ」という体質がずっとあったので,家族はそのとき食べたのがワライダケであったのではなかいかと言うことがあった。実際にそれがワライダケであったのかどうかを確かめる術はないのだが。(ツボの体質は高校生あたりまで,もしかすると今でもあったから,それは本当に遅効性の神経毒であったのかもしれない。学校に通ってた頃は一度笑い出すと止まらずに,特にそれが授業中ならひどくて授業を止めてしまうほど大声で笑ってしまった記憶がたくさんある)

 


さて,今日の話。

今日はやはり横浜市内にある大きな自然公園にホタルを観に行った。その感想を書いていきたい,というところだがなんと書くのに飽きてしまった。

実は前述の思い出話パートは昨日の時点で書いていたのだが,今日の話を今日する気力がなくなった。であるから今日どんな場所でどんなホタルを見てどう思ったかはまた今度書くことにする。おわり

2020年6月4日 泣きたくなかった

日記ではなく,回顧録

 

幼い頃から中学生くらいの頃にかけて,自分は何かを恐れたり怒られたりして泣くということがすごく嫌いだった。理由は,泣くことが精神的な屈服を表していると思っていたからだった。子どもらしくてシンプルで良い理由だ。

 


それでも,子どもらしく半ベソになったり目に涙を溜めたりした記憶はたくさんあった。親に怒られたり,先生に怒られたりしたときだ。昔から大人に怒られることは多かった。今でもそうかもしれない。好奇心が強すぎて制御不能で,人の話を最後までおとなしく聞かず,さらに怠けもの,そんな感じの典型的な怒られる子どもだった。ただ学校には絶対に物の破壊活動や他人への攻撃に勤しむ男児がいると思うので,それよりはマシだと思っていた。自分の意思と大人が決める生活に衝突があるだけだと思っていた。まあたぶん自分は結局今でも悪い子のままなのだろう。悪い子と言うのは肉体労働をして得たお金を肉親に還元せず弱ケーニッヒの補題と同値になる命題に興味を持ったりすることだ。

 


そういったわけで子どもの頃はたくさん怒られてたくさん泣きかけたことがあっただろう。そういったとき自分がそこまで泣きそうになった理由を今でも明確に覚えている。というか,今思い出しても同じ気持ちになれる。

 

それは

『自分は"""絶対に間違っていないのに""",体面を取り繕わずに大声で怒鳴り散らかし,自らの暴力性を匂わせている男の人やおとなの人の興奮状態を鎮めるために,自分が悪かったと認め,隷属的な態度を取らなければならない』という状況の不条理さだ。その屈辱感に怒りを覚え,それから自分に強い無力感を感じた。情けなさを感じた。間違ってないのに,間違ってましたと言わなきゃいけない,その無力感に泣きそうになった。でも我慢した,という覚えがたくさんある。一番古いものだと幼稚園の年長組で室内水泳の課外授業をしていたときだ。(この話はしないけど)

 


そういうわけで大人とか先生のことは何となく敵視するようになった気がする。(関係あるか?)

高校生くらいになると心と身体と自立心が発達していたので完全に大人のことを舐めていた。自分は間違っていないと思うのに大人から怒られているとき,「私は間違っていないのに,自らの感情を総動員して怒りの状態に陥ってるこの大人は,完全にただのアホだ」と内心笑いながら反省の言葉を出せるようになっていた。

 


それからさらに時間が経って,今では泣こうと思っても泣けない,というのが実感に沿う。何かに泣くような理由は自分にはなくなった。あるとしたら目に砂が入ったときとか男に目を殴られたときとかだ。(目を殴られたら病院に行こう。逃げることができたらの話だが)

今の自分は屈服したくないみたいな自立心とか弱さを見せないとかそんなことを考える必要は今やどこにもない,とすら思っているかもしれない。そうであれば,涙を見せて弱ってる様子を醸し出すなら今しかないぞ!というタイミングで人工的な涙が出したことは大人になってからいくらでもあっただろう,という気もしてくる。きっとそのことを覚えていないだけで。クソ人間だ。おわり。

2020年4月17日 毒

退屈なのでなんとなくはてブロを書くことにした。別にこれを書いてて楽しくなったり,気がまぎれるというわけでもない。何か出来事があったということでもない。むしろ何もない。何かあってほしい。しかし起こってほしい面白いことにも心当たりがないなあ。

 

はてブロで日記を書くとき書くことがあるというわけでもないので考えながら書いている。さっき肺(気管支)にジュースが入ってからとても苦しい。春なので山を見に行ったら黄緑色の葉が地面を覆っていた。ソメイヨシノの花が散ってから新緑が現れるまでの時間があまりに短くてびっくりする。パンジーの花の色と模様をずっと見ていると不安になる。道路の端に咲いているスミレを見ると頑張れ〜と思う。

 

廃校を改装してシェアハウスにして3人くらいで暮らしていたアーティストの話を聞いて自分も廃校に住みたいと思った。パーソナルスペースが広すぎるのか,昔から部屋は体育館くらい大きくあってほしいと思っていたし,家も4階建てくらいある学校ほど広いのがちょうど理想だ。狭い空間が嫌いだ。広々としているところにいて不安を感じる,ということが全くない。太平洋くらい大きな土地を所有して住むことになったって精神的にはきっと問題ない。

素朴なものが好きだ。単純な仕組みが好きだ。体育館はツルツルの冷たい床しかない。これはとてもいいことだ。人間の部屋にはモノが多すぎる。たくさんのモノが相互に関係していて,人間はそれを調整しないといけない。これはすごく嫌なことだ。世界の複雑さが常に目に見えてしまう。複雑なモノに対してそれを処理する力を身につけるための訓練を人間は一生している。大変なことだ。部屋にいるときくらいそんな時間から抜け出たい。たくさんのモノがある部屋という複雑な環境から抜け出したい。

 

庭も山くらいほしい。山くらいあればイヌも今より自由に生きれるだろう。住宅街でのイヌの散歩はイヌにとっても私にとっても苦痛だ。注意しなければいけないものが多すぎる。その苦痛に耐えたり緩和したりすることが社会に閉じ込められたイヌとその面倒をみせられている私の役目らしい。私を苦しめる全てのイヌと人間が明日も幸福に生きてくれると良い。

 

大きな土地の管理には色んなモノが必要だ。そういったモノを全てお金に還元できるのが社会の仕組みなので,お金が必要とも言える。お金という仕組みは本当につまらない。お金があれば何かができるということは正しいが,なければそれができないということはない。お金に囲まれているとそのことがわからなくなってしまう。

家を買って暮らすのにもたくさんのお金が要る。あるいは要らない。お金には興味がないのでお金を集めることに自分を費やす気があまりないが,お金があれば色んな願いが叶う。莫大なお金。まあでも物質的な自分の願いにもさほど興味がない。魚の模様をヘブライ語に見立てる時間が欲しい。

 

たまにしか言わないけれど自分は頭がおかしいから自分の全ての願いが叶うと本当に思っている。自分には運命があり,運命は誰に与えられたものでもないが,運命の上には自分の全ての願いがきっとある。運命に従って生きる限りそのことは確約されており,そして自分は今まで運命に逆らったことがない。だから今までの人生で何一つとして間違いをしたことがない。一見すると,明日こうなると良いと思うような願いは叶ってないではないかと思われるかもしれない。実際には自分はそういった短い時間での出来事全てに本質的な頓着がないので,それらはいっときの感情に過ぎず,自分は願ってすらいないのだ,と思う。広い空間への希望をついさっき語ったが,長い時間にも希望があり,短い時間のことは捨象している。単純で不変の何か,自分にはそんなものしか見えていない。

運命がどんなものであるかとか,自分の願いが何であるかとか,そんなことは知らないし,わからない。あまり興味もない。自分の未来にも世界の未来にも興味がない。つまらない。もっと面白いことがこの世界にはある。

 

莫大な願い。いつか全て叶う。私の願いが叶わなかったことは一度もないのだから。

2020年4月1日の日記

生まれてから一度も睡眠をしていないので,睡眠の仕方を知らない。聞くところによると,真っ暗闇の中で目を瞑って数時間ほど意識を失うことを睡眠というらしい。そんなに長く気絶するなんて恐ろしいことのように思えるが,フツウの人は毎日それをするそうだ。

 

生まれてから一度も睡眠をしていないので,睡眠の仕方を知らない。私も昔みんなと同じように布団の中に入って目を瞑っていた時期があった。どの時点で意識を失えば良いのか,よくわからなかった。私が眠ることはなかった。使わなくなった布団は捨ててしまった。

 

生まれてから一度も睡眠をしていないので,睡眠の仕方を知らない。睡眠には「夢」という不思議な幻覚体験が伴うそうだ。いつか私も「夢」を見てみたい。