2021年7月 第4週の日記
19日
コーヒーを飲んだ。テニスをした。嬉しい話をして嬉しかった気がする。
病院に行く。行った。骨髄炎菌ワクチンを打った。渋谷川はいつも謎の工事が行われている。昔はウナギやカワウソがいるような川だったらしい。今は何もいない。
21日
不眠とワクチンの副作用でめっぽう具合が悪い。具合が悪いがチケットを取ってしまったという理由で無理して映画を見に行った。
22日
ウナギかガーパイクを飼おうか検討していた。非常食になるという理由でウナギにしようと思った。
23日
「花束みたいな恋をした」「ファイト・クラブ」を見た。花恋について考えられることは考え尽くした気がするので特に言うことがない。ツイッターに書いたことをここにそのまま書く。
花恋,忘れると決めたあとの3ヶ月間にそれ以前の生活よりも楽しく暮らせていた描写がかなり意味不明だったのでそこだけまだ納得できてない。
麦は二人の時間が減っていく(=かつて言っていた「絹ちゃんとの現状維持」が出来ていないこと)を生活様式の問題だと思ってて,絹は生活様式の問題だと分かった上でそれを受け入れることを「ハードルを下げる」ことだと思ってるから,ハードルは下げたくないと思っている。
このようなすれ違いは気持ちだけの問題ではなく,環境や経緯などいろんな物事が絡んでいるというのが前半部の主張だったように見えたんだけど,別れる決断をしたあとは別に生活様式を変えたりすることなく3ヶ月間は初心を取り戻したように仲良くできていた。これが自分には非自明なギャップに感じる。
かれらは生活様式に梃子を入れをすることなく,気持ちを切り替えただけで良い関係に回復できている。実は生活様式の問題ではなくて気持ちの問題だったのか?
もし気持ちの問題だったなら,今日から初心に戻ってこれからは上手くやろう,という麦の主張は全く成立するように思える。
「別れる決断をして,その後も一緒に過ごしたけど,やっぱり別れて良かったね」という話ではなくて,「別れなくても良かったかもしれないんだけど,別れました」という終わり方で,別れたことによって何を得るのかよく分からないので,別れる必要あったの?と思ってしまう。
まあ,別れを決める前の会話であったように,何かを得るために別れる話じゃなくて,損切りをするために別れる話(それこそ「ハードルを下げる」事を繰り返さないように)だから,別れてこれから何を得るかは分からないけど,二人でいることで互いに擦り切れるのを止めるために別れたという話なんだろうと思った。
あと絹ちゃんは「ハードルを下げたくない」わりにはノリで事務職を辞めて新しく何かを得るビジョンがある感じもしなかったので,やはり結局かれらが別れたあとに何を得るのか分からない。麦は既に仕事をやっていく覚悟を決めているので,絹ちゃんを失っても仕事を続けるのだろうが,絹ちゃんは麦を失ってその後に何をして生きていくんだろうか。
いままさに麦くんや絹ちゃんと同じような年齢層を生きている同世代のみんなに花恋を見せて何を思うのか社会実験をしてみたいし,たぶんそう思ってる人が作った映画なんだろうなと思った。
24日
異次元的な感覚。
25日
もう忘れた。『零號琴』を読みましょう。
日記に飽きたので第5週の日記はありません。