読む毒

イヌ

2021年2月23日の日記 鎌倉って鎌の倉ってことですか?

長い自分語りをしたくなったから,する。人間がする話というのは長ったらしい自分語りか,謎の目線で他人をずけずけと評価してみるかの2パターンしかない。自分は,他人を評価することは嫌いで(まあ心の中ではこいつはこういうやつだとか思ってるだろうけど,それを言葉の形にして意味があると思うことはまずない),問題は常に自分の中にあると思っているから,自分語りの内容ばかり考えている。たとえば今の一文は自分語りに該当する。

人は自分語りをして,それを人に見てもらい認めてもらうことや,共感をしてもらったりすることを目的とする。こういった自分語りやお悩み相談はそれが親睦を深めるひとつの儀式になっていて,親睦を深めるためにこういった儀式が行われる。別にそれだから面倒だとかそういうことは思っていなくて,自分はこれを心地よいことだと思う。一方で心の底からなんとも思っていなくても,儀式を繰り返すことで見かけ上は,つまり儀式の文法に則って解釈するには,親睦を永遠に深め続けることもできる。これは本当に恐ろしいことではないかと思う。

 

レンタカーの夜に借りて朝9時までに返すナイトプランが異様に安かった(夜逃げに役立ちそうだ)ので,鎌倉の海までドライブに連れて行ってもらった。引越しを除いて,家賊以外とのドライブはこれが初めてだ。

深夜に,車で横浜の中心部に出てそのまま鎌倉方面へ向かって進んだ。その途中にある地名や道路の景色にどれも心当たりがあって,やはり自分は横浜という場所に住んでいたのだなと思った。それぞれの場所に色んな懐かしい記憶があるということも思い出していた。

突然の告白をすると,私は追突したら死ぬ速度を出す乗り物全てのアンチなのだが(アンチになったのには色んな理由がある。車内の特有の空気が臭い,乗ってると酔うのが嫌,車内が狭かったり人と密集したりするのが嫌,など色んな理由がある。そして何より,追突したら死ぬというのは特筆すべき重大な問題であろう)最近は和解しつつあるところだと車内で語った。友人も車があると行動の幅広がるからいいものだと言った。

そういえば,わたしには実家がなくなるという話があるのだが(突然の告白2),実家から別居している母親とこの間話したとき,むかし母がさんざん家を買うように父に促したのに,お金が集まると車ばかり買っていたのがいけなかったと言っていた。考えてみると幼い頃には実家に車があって,よくベイブリッジの向こうまで買い物につれていかれたものだ。(ちなみにその頃も上と同じ理由で車のアンチだったので乗りたくないと拒んでいた。渋々乗っても,揺れるから漫画を読んだり DS をしたらいけないと言われて,それほど自由を奪われると車内で妹とはしゃぐくらいしか娯楽がなくなるのでそうするが,十分うるさくなると父親がキレ始めるので,車の中では自由にはしゃぐ権利もなかった)

車は結局売っていたし,財政が破綻していたのだと思う。財政は今も破綻しているようだ。父親には財や物を管理する能力がなく,労働を続ける能力もなかった。悪いことが起こると,イライラし易く,すぐ必ず周りの人間にお前が悪いと怒鳴り散らすような心に余裕のない人だったから,父の周りにいた親族はみんな離れてしまった。父は短期間だけ集中してなにか上手く働くようなことは得意だった。そうして色んなことをやってきたから何でもできるような器用さもあり,周りの人にはそれが評価されていた。

結局父親には家を管理する能力がなく,その上で代わりに家を管理できるような利発な人間が家賊のなかにいなかったのが不幸だったのだと思う。なにもうまくいかなければ,苦しくなり,人は病を患う。そうなって世帯のヌシである父親が精神疾患で就業不能となると,自分が高校生になった頃からは生活保護を受けて生きていけるようになった。豊かな物を新しく買うということは少なくなったが,父親は落ち着いていたし,母親は違う家に住んでいたから家賊のオス(父)とメス(母)が接近による喧嘩作用が起こるということもなかったし,比較的穏やかな暮らしができていた気がする。無需要脱線昔話終。

こうやって車のことを考えていると,車というものに向き合わないといけないほど自分が大人の役割を持たされる歳に近づいているのかと思う。やる気がこれだけ萎えてしまったのに,これから人間資源(社会や家庭の資源)としての20代,30代,40代をやっていく存在に自分がなるのだろうと思うと,恐ろしい。恐ろしいから,同じように,「社会で,人として,生きていく」ことを恐れている20代の人たちのツイッターアカウントばかり見てしまうのかもしれない。わたしのおそれ。日に日に人間の高度なモノマネが要求されるということ。人のモノマネにはそれを続けるほどそれ無しで生きることが難しくなるという依存性があり,人のモノマネを求められて応えようとしてしまったところから全ての間違いが始まってしまった。

 

海へ朝6時に着いて,太陽の姿は見えないのに空は赤く,海は大きく荒れていて触ったら死にそうだった。実際死ぬのだろう。誰も触らなかったから確かではないが。波に揉まれたら陸へ戻れそうはなかった。次は誰かに触ってもらおう。砂浜へ降りる階段のところには人の姿は自分たち以外にほとんどなかった。私が自販機でお茶を買っている間に,早朝の散歩をしていた聾の老人が手話で「降りるな」と何度か友人たちに伝えに来たそうだ。6時半頃にもなれば太陽の丸い形が見えるようになり,波は少し穏やかになり,無数のサーファーが沖へ出ていった。遠くから見るサーファーの黒い粒のような人影は海鳥が波に浮かんでいるようだった。500人くらいいたのではないかと思う。(500人くらいが海に出ても疎らに感じる広い砂浜だった)

それを見ていて,人数の規模的になんとなく小学校の全校集会を思い出した。時間帯もそれらしかったかもしれない。

海に入って遊ぶわけにもいかないので(「降りるな」と散々忠告されたわけだし。全身がずぶ濡れだったら車も汚れる),

砂浜で落ちている物を漁ったり撮影をしたりした。心の中では鮫か哺乳類の骨を見つけられたら一番嬉しいと思っていた。良い落とし物としてウミウの死体があった。夏なら,山なら,虫が湧いて腐っていくだろうに,ウミウの死体は死んで数日は経ちそうだが他の生き物に荒らされた形跡はほとんどなかった。枝で叩いたり羽を広げたりすると,死体は硬く,ごろっとした重みを感じた。初めて見たときウであることは分かったがなんのウか分からず,くちばしの形から同定をした。もし手袋でもあったらもう少し身体を見て,雌雄も確認したらよかったのかもしれない。とにかく砂浜には若く活きていた鳥のきれいな死体が流れ着いていた。

それから貝殻。ごろごろした石が溜まっているあたりに,形を残した大きな貝殻も無数にあった。この殻がすべて生き物の死骸なのだと思うと,面白いと思った。かれらはこの海のどこかで何年も炭酸カルシウムを蓄え続け,そして意味不明な形をした貝殻を造形する。大量の貝殻が流れ着いている場所。墓標が均一に並んでいる静かで無機質な墓地とは違う,死の騒々しさを感じた。

それから,シーガラスとして重宝されるにはまだ早い,生成りのシーガラスを集めた。きっとこの海で捨てられたガラスが,この浜の砂利にもまれて丸みを帯びたのだろう。(海の砂浜とかいう尖ってて危ないものが勝手に丸くなって安全になるシステムありがとう) 瓶の飲み口だったか,底だったか形がまだ残っているような生成りのシーガラスたち。太陽にかざすと淡い

ソーダ色の光で輝く,歪なかたちのシーガラスが大切なものに思えた。(ちなみに持って帰って洗って干して一日経ったらそこまで要らない気がしたので,今度海に帰そうと思う)

帰り道も,自分に所縁のある町を車で貫通していくように進んでいった。色んな思い出の場所。そこに行って何かがあったことは覚えているのに,自分が何をしていたかが半分くらいしか思い出せなかった。昔のことが,思い出せない。古い話はみんな忘れてしまう。

思い出を大事にしたとして,世界中でそれを覚えているのが自分だけだったとして,自分がいつか死んだらそのメモリは完全に消えてしまう。それならわざわざ自分の記憶域を圧迫しないで,すぐに忘れてしまえばいいと思う。自分の記憶域には,この世から消えない事実だと思えることだけを入れればいい。そう考える。そうやって自分の構成要素を減らしていく。自分を減らして,死んでるみたいになることは,死への正しい備え方だと思っていた。覚えていたいことはいくらでもあるはずなのに。

 

この辺までは,一昨日の夜に眠け眼で書いていたこと。今はご飯を食べていて,ご飯の話をするのだが,牡蠣っていう貝を食べる文化ありますよね。貝は排泄器官があんまりなかったので,体内に老廃物が溜まってるんですけど,あの,貝の腸みたいな部位,海藻を消化した排泄物ですよ〜〜みたいな感じのところを,人間が食べるのっておかしくないですか?????

なんで人間が,よくわからない海の底で意味不明な造形の殻にこもってぐにょぐにょしてる謎の生き物の消化器官を丸ごと食べるの??食べなくて良くない?食べない方がいいですよ本当に。牡蠣って海の濾過器みたいに言われますけど,それって汚れを回収して貯めてるってことですよね。それで一定の確率でノロウィルスを貯蔵している牡蠣をたべて人間がお腹壊すのって,本当に意味のないダメダメシステムじゃないですか??????焼いても焼かなくても牡蠣を食べるな。牡蠣アンチです。(目の前に食べ物を出されると頑張って食べる習性があるので実家で目の前に近づけられた牡蠣料理を頑張って全部食べました。ダメダメシステムの一環にして頂き,ありがとうございます)