読む毒

イヌ

2021年12月13日の日記 朝と夜

高校生くらいまでの頃は早朝の住宅街というのは全く好きじゃなかった。

夜が明けると最初に鳥が起き始める。次に平屋に住んでいるような老人たちが庭の様子を見たりし始める。その次は働いている人たち,黒いコートを着ている中年のサラリーマンやスマホをいじってる女の人たちが出勤のためにバス停に向かって人の流れを作り始める。大抵は無表情というよりは少し怖い顔で。

早朝の出勤前の怖い顔の大人たちが子どもの頃の自分は苦手だった。そもそもカリカリしている大人全般が苦手というのは今もある。小学校時代の担任の先生とか,関わる他人への余裕を感じない人たち。

だから自分は朝練とか早朝に起きて遠征とかそういうのはなんとなく嫌いで,草木も眠る丑三つ時にひとけの減った夜の住宅街のほうが居心地が良かった。不審者が怖いとも思わなかった。走るのには自信が少しあるし,自分に追いつけるマッチョな不審者なら殺されても仕方ない。

4車線ある道路のど真ん中にたとえ座り込んでも誰にも怒られなさそうな時間帯が好きだった。

 

中学生くらいの頃は夜は寝ないと朝の学校に間に合わないもので,夜更かしというのはスマホまとめサイトを読み続けた夜くらいしかできなかった。

高校生くらいになると,意図的に学校をサボるということをするようになった。そうすると平日であっても前日の夜はいくらでも夜更かし出来る。生活が夜型に傾いていき,真夜中に何となく散歩するということをするようになった。

それから静かな夜は自由だと思うようになった。

 

今はどうか。今は,別に夜がいいとは思わない。鳥が起きて,働く人たちが起きる前くらいの早朝はむしろ好きだ。

まず働く人たちの怖い顔を警戒しなくなった。かれらは自分で一生かかる呪いを選んで受けている哀れな人たちであり,また哀れだからこそ偉い人たちであるという印象を持つようになった。かれらの余裕のなさは自分にとっては憐憫の対象だし,尊敬の対象でもあると思うようになった。

そしてその朝の裏側に,夜に人々が寝ているのは朝に人々が呪われているからであって,夜は呪われた人たちが「寝させ」られている本当は寂しい時間なのだと分かるようになった。

それから早朝はクリーム色の空が見ていて気持ちがいいし,暗くないので街の表情もよく見える。鳥の鳴き声は鳥の元気さを感じさせるし,こうやって真夜中よりも情報量が多いだけで楽しい時間にはなる。まだみんなが起きてこなくて,ある程度静かなうちは,朝でも楽しい。