読む毒

イヌ

2019年4月1日 労働の記憶

こんにちは。

私は東京にある大学の数学科に通っているような学生で,最近は逆数学と代数幾何に興味があります。
先日,いわゆるアルバイトと呼ばれるものの面接を受けたのですが,2週間くらい経っても採用の連絡が来ず,履歴書の連絡先を書き間違えたか,あるいは不採用のどちらかではないかと感じながら過ごしています。

面接を受けたのは家の近くのきれいな大型書店でした。
アルバイトの面接を受けることはほぼ一年ぶりでしたが,採用されると都合が良かったので採用されなかった(だろう)ことに悲しみを感じました。

そこで私はどうして採用されなかったのかを考えることにしました。私は面接当時,全くの無感情で緊張も何もなく,かなり質素な受け答えをしていたことを思い出しました。
面接を受けたら緊張やストレスを覚えるだろうなと思っていたので,あれほど無感情になれたのは珍しく感じました。
当時の私の心境は,生活費に(慢性的に)困っているので金銭を得る必要があるとは感じていましたが,それ以外は全くの無でした。
そして,そういった無感情で質素な人物は,採用を判断するには人柄が不透明すぎると思うのが一般的感覚ではないかと自分は予想しました。
そこで自分が労働というものについて,どのような関わりや思い出があったかを振り返ることにしました。
労働について何か感想を持つことで人間味を増やし,今後採用を判断する人間が私に不透明な印象を持つことが減らせれば良いだろうと考えたからです。

せっかくなのでそれをブログにも載せることにしました。(ブログに載せる意味については私は考えていないので,読む意味を見出せた方のみが読むと良いでしょう。)


以下目次です。

 

1.私の近況など
2.コンビニバイトの体験
3.イベントスタッフの体験
4.引っ越しバイトの体験
5.まとめ

 

1.私の近況など
最初に私について話してみようと思います。
私はお金がありません。私の実家は非常にお金がなく,仕送りのようなものを直接的に貰わずに生活しています。どのくらいお金がないかというと生活保護を受給するくらいです。そういう訳あって住所は実家ではありません。生計の具体的な実情はここには書くつもりはありません。
私は今は数学に興味があり,労働は数学ではなく,また時間が搾取される内容が多いので抵抗感があります。
お金を使ってできることには基本的に意欲がなく,お金は生活に必要なものである,ということ以上の意義を感じていません。
しかし,私は生活を果たせるほどのお金の出所が現状はありませんので,給与を貰わなければ生活が果たせません。
生活を果たせないことは,私の生活に重大な問題を起こします。
重大な問題を防ぐため,私は労働をし,給与を得ることにしました。
そこで,近所の大型書店の採用面接を受けることにしました。
そこを選ぶ成り行きはあまりに自然で,本当に何も感じていなかったのですが,こうして反省してみると私の体験や性質,歴史的経緯があると感じました。大雑把に言うと,私は

作業は単純だと良い(体力が必要であっても良い)
シフトは固定的だと良い
家に近いと良い(また早起きする必要がないと良い)
柔軟な接客はない方が良い
客層が悪くない方が良い

などのことを暗黙のうちに仮定していたことが分かりました。
何故そう思うにようになったのか,それは私自身の体験や歴史的経緯を観察することにより考察していきます。

 

2.コンビニバイトの体験
土地柄なのか普遍的なのかはわかりませんが,私がいたコンビニでは昼下がりから夕方にかけては機嫌の悪い老人のような客が多く,夜からは疲れて余裕を失った仕事帰りのような客が多くいました。総じて客は攻撃的な傾向があり,私は嫌な思いをすることが度々ありました。

業務内容は多岐にわたり,人間の生活の全てを司るロボットになるような気分がしました。
しかし私はそのような役割を与えられたロボットにしては几帳面ではなく,やる気がなかったため。結果,すぐにやめました。
なかでも,店長が接客の声を大きくするように求めてきて,4時間程度の勤務で毎日声が少し枯れて帰ることになったのが一番嫌でした。

私は,多彩な対応を求められたり,攻撃的な人間に丁寧に接客をするのは嫌だなあと感じるようになりました。

 

3.イベントスタッフの体験
イベントスタッフでは,イベントの開催に合わせて1-2週間ごとにシフトを調整して働きました。イベントというのは主にスポーツ系のものでした。
シフトの予定決めや連絡がこまめで,頻繁に電話で連絡するのがストレスでした。
向こうからいつ電話が来てもいいように構えるのも,自分から適切な時間を見計らって電話をし予定管理者を呼び出すのも億劫でした。

仕事の日は目的地のスタジアムに行き,小規模のスポーツイベントではテントの設営や回収・入場時のチケットの確認・客の誘導・警備に準ずるような役割をしました。
大規模なスポーツイベントでは,物品販売・お弁当販売・ポップコーンなどの軽食販売,それからお酒の販売がありました。

大規模なスポーツイベントとは野球のことで,スタジアムにはたくさんの観戦客がいました。
スタジアムはお酒の持ち込みが禁止されているため販売店がその場でお酒を入れて売ることになっていました。お酒の販売は,お酒の名前と作り方の対応を覚えるのが大変でした。
物品販売ではレジがないため小型バーコードリーダ兼決済マシンを扱いました。その小型機械はボタンが少なく操作が分かりにくく,その上客はたくさんくるので疲れました。
それから,客が指定した商品は店頭に並べられているとは限らず(例えば記念Tシャツなどがそう),ガラクタの山のように積み上げられている段ボールの中から探し出すのが大変でした。

一方で小規模スポーツイベントでの設営や誘導は比較的楽に感じました。設営というのは具体的にはテント・座席・看板・売店などの設置と回収をしました。
イベント終了後にたくさんの人々に対し マイクを持って帰りの案内を繰り返し伝える役割をしたこともありますが,意外と緊張はせず,アナウンサーでも何でもない自分がたくさんの人に何か喋りかけていると思うとおかしく感じ,楽しい思い出になりました。

結局,毎日違う作業をするのは慣れにくく,慣れないのにたくさんの客を相手にしないといけない忙しさがあることに疲れました。


4.引越しバイトの体験
イベントスタッフの体験から販売は辛いが運搬などはそんなに辛くないという感触を得たので,去年の春休みに10日間ほど連勤して辞めました。
繁忙期ということで時給は良かったようでした。
引越しの業務形態はトラック1台ごとに運転手と補佐の2人チームがあり,繁忙期はそこにバイトが加わるというものでした。
そういったチームは場合によっては合流することもあり,移動経路や時間に合わせた柔軟な予定調整などは会社で待機している事務の人たちが細かく管理しているようでした。

仕事は基本朝の7時(そうでないときは10時)に会社集合で,トラックに乗って引越しの目的地へ行き,客の家で荷造りを部分的に手伝い,トラックのコンテナへ運びました。
荷物を運ぶ際に壁にぶつけても良いように,作業の前に壁に青い板のような緩衝材を取り付ける作業がありました。
台車を使うことも多いので床にも緩衝材を敷きました。
特にマンションでは,エレベーターを経由するので部屋からトラックまでの経路を全て緩衝材で保護しました。

作業は比較的単純で,トラックで移動→緩衝材を設置→荷物をコンテナに詰む→緩衝材を回収→引越し先へ移動→緩衝材を設置→荷物を客の指示通りに下ろす→緩衝材を回収と,繰り返しを感じるものでした。トラックでの移動中(片道30分〜3時間)はやることがなく,寝たり軽食を食べたりしました。他人の家にズカズカ侵入して荷物を持ち運ぶ感覚はたのしく感じました。

搬入作業はバケツリレーのような形で行われるので作業者同士のコミュニケーションは非常に多かったと思います。具体的には荷物の天地不動や,割れ物があるので落下注意などの伝達,荷物を落とさないためのかけ声などがありました。大型家電や家具のように複数人で運ぶものもありました。
バイトが運搬に集中していられるのは上司が細かい判断をして指示するからですが,そうでない"悪い"上司もいました。
ただ短期のバイトを労働力として上手く活用できないのは上司の指示が悪いというのは,上司たちの間には共有されているようで,上司の上司が雑な指示を叱っている光景もありました。
バイトは高校生や女性もいて,社員は体育会系っぽさは感じましたが若い人から真面目そうな人もいました。一応力仕事の部類らしいのですが,他の業界と比べて反社会的そうな人は少ない,と社員が語っていたのを記憶しています。

時間は7(or10)-16が基本で,場合によって残業が発生し21時終了になることもあったので長時間勤務の部類だと思います。
移動は基本的にトラックなので残業を断るときは会社へ帰っている途中の他のチームのトラックに拾ってもらうか,一人で電車で会社まで移動する必要がありました。自分は暇だったので残業は全て参加しました。
私は当時生活習慣が死んでいたので,朝7時出勤のために徹夜が習慣化しました。自分は睡眠時間が減ると体調不良が直に起こる体質でしたが,その体験から徹夜による体調不良に耐えて徹夜で作業する癖がつきました。結果,今に至るまでの間で健康は非常に悪化したと感じています。(病院に行かなくては……)
私は車も車に乗ることも嫌いなので,当時は毎日車が嫌いとツイートしていました。

結果,車に乗る仕事はしたくないと思うようになりました。
それから,早起きや長時間労働も嫌でした。
一方で手持ち無沙汰な時間や,知らないところに行くこと,筋肉痛になるくらいの重い荷物を運搬することなどにはあまり抵抗感がありませんでした。

 

5.まとめ
自分は数学科の人間ですが,ややこしい作業を覚えたり,毎日変わる作業に柔軟に対応したらすることに知恵を使う意欲は一切わかず,アルバイトでは単純な体力仕事の方が親しめました。
それから,攻撃的な人間を宥めるような作業も嫌いなので,そういった機会が多く発生するような接客にも抵抗感がありました。

 

そうすると私は棚をいじったり本を運んだり,レジで会計したりするくらいの仕事がいいなあと流れるように考えて書店バイトを選んだのだと思います。
書店の客層に攻撃的な人間が少ないというのは私が勝手に作ったイメージです。
それも,少なくともコンビニよりは遥かにマシであるでしょうし,そうであれは十分です。
それから私が最初に大型書店へ行ったときは,家から近いとか,店員の年齢層が自分に近いとかもそういう事情も考慮していたと思います。

 

こういったことを踏まえると,労働に対する意識を全く自覚していないながらも,自分にとって都合の良いものを明確に選んでいたのだということが分かります。
都合の良いものを逃すことは,なるべく少なくしていきたいところです。

 

残念ながら現代の日本では,私のようなただ多少の数学に詳しそうな無職は何かしらの単純な労働に従事し,雇用者に私の時間を提供することでしかお金が得られません。

そういう意味で,私は労働を避けることが今はできないでしょう。避けることができないのなら,都合の良いものを選びたいところです。
ここまで述べてきたような"確かな感情"や経緯が自分にあるということを忘れず,人と対面するときに無感情になり過ぎないように注意してみようと思います。
おわり。