読む毒

イヌ

2020年6月6日の日記 ホタル

ホタルを見に行った。ホタルをまともに見た記憶は,今日を合わせて人生で2回しかない。それは単に忘れているだけなのかもしれないけど。

初めにいくつか思い出話をする。これらの話は人生で何度も口に出した記憶があるから,私に詳しい人なら聞いたことがあると思うかもしれない。

 


ホタルを1回目に見たのは幼い頃だった。小学生低学年だったら幼稚園児生だったか憶えてないけどたぶん小学生低学年だっただろう。横浜市にある三渓園という日本庭園で,ホタルの光を見るイベントがあった。三渓園には以前はホタルがいたが年々減少したためにどこかから捕獲したホタルを放流してイベントにしている,と父が言っていた気がする。幼い頃のことだから父が本当にそう言ったのか,それが事実なのか,調べればすぐ分かるだろうが調べてないのでわからない。

当時の幼い自分はそれはおかしいと父に訴えた気がする。

(ホタルの放流はその土地でのホタルの生態維持にはおそらく繋がらないが,一方で既に維持されている生態系の破壊行為にはなる。イベントとしては成立するが生態系維持について全体で見ればマイナスだ,と言った気がする。もしかしたらその後の人生のどこかでそう思ったことを後付けで当時思ったことにして覚えてしまったのかもしれない)

ホタル見物には一緒に両親と妹,それから祖母がいた気がする。兄もいたかもしれない。血縁の関係者はこれ以上いるが,家族が4人以上揃う,ということは年々減っていったから,いつどのとき誰がいたかということを詳しく覚えていない。

 


このときの最大の思い出はナメクジを掴んだことである。

ホタル見物にはたくさんの人がいて,三渓園の狭いベンチは全て埋まっていた。売店で誰かが何かを買ってきて,それを飲むために椅子代わりに大きな石に座った。石に手をつくとヌルッとした感触があり,何も知らない子どもだった私はそれを「ホタルのウンチ」と判断して手に握りしめた。そしてホタルのウンチだ!と手のひらを見せた。するとそこにいたのはナメクジだった。

私はひどく狼狽えて,石鹸で手を洗いたいと親たちに泣き叫んだ。親たちは(おそらくこの場で最も支配的な立場にいるのは父親だから,実質的に父親は)この要求を重視しなかった。私はその辺の蛇口の水で手を洗って帰宅した。その日は帰るまで手で体を触らないように注意した。ご存知の通りナメクジは超危険凶悪細菌爆弾であるわけだが,幸いにも私は何の影響もなく生きている。あるいはその病原体は遅効性で,影響がこれから現れるのかもしれないが。

 


余談開始。

これと類似したエピソードで記憶にあるものが他にもある。幼稚園の遠足のときの話だ。遠足で私は町の近くにある山を整備した公園に行った。公園の帰り道,大きな墓地の脇道の,木で舗装した階段の踊り場に,白いキノコが生えていた。幼稚園児だった私はそれを当時初めて連れていってもらったスーパーマーケットの野菜売り場に並んでいたキノコと同一のものだと判断した。その判断力を周囲に自慢したかった。そしてそれが食べれるものであると証明するために,遠足の列で前に並んでいる友達の目の前でそのキノコを飲み込んだ。

数日経ってから私はそのことの危険性にひどく怯えて親たちに何かを訴えた気がするが,結局何もなかった。あるいはその神経毒は遅効性で,影響がこれから現れるのかもしれないが。

ただそれから小学生,中学生と成長するにあたって私は一度笑い出すと止まらなくなる「ツボ」という体質がずっとあったので,家族はそのとき食べたのがワライダケであったのではなかいかと言うことがあった。実際にそれがワライダケであったのかどうかを確かめる術はないのだが。(ツボの体質は高校生あたりまで,もしかすると今でもあったから,それは本当に遅効性の神経毒であったのかもしれない。学校に通ってた頃は一度笑い出すと止まらずに,特にそれが授業中ならひどくて授業を止めてしまうほど大声で笑ってしまった記憶がたくさんある)

 


さて,今日の話。

今日はやはり横浜市内にある大きな自然公園にホタルを観に行った。その感想を書いていきたい,というところだがなんと書くのに飽きてしまった。

実は前述の思い出話パートは昨日の時点で書いていたのだが,今日の話を今日する気力がなくなった。であるから今日どんな場所でどんなホタルを見てどう思ったかはまた今度書くことにする。おわり