読む毒

イヌ

2020年4月17日 毒

退屈なのでなんとなくはてブロを書くことにした。別にこれを書いてて楽しくなったり,気がまぎれるというわけでもない。何か出来事があったということでもない。むしろ何もない。何かあってほしい。しかし起こってほしい面白いことにも心当たりがないなあ。

 

はてブロで日記を書くとき書くことがあるというわけでもないので考えながら書いている。さっき肺(気管支)にジュースが入ってからとても苦しい。春なので山を見に行ったら黄緑色の葉が地面を覆っていた。ソメイヨシノの花が散ってから新緑が現れるまでの時間があまりに短くてびっくりする。パンジーの花の色と模様をずっと見ていると不安になる。道路の端に咲いているスミレを見ると頑張れ〜と思う。

 

廃校を改装してシェアハウスにして3人くらいで暮らしていたアーティストの話を聞いて自分も廃校に住みたいと思った。パーソナルスペースが広すぎるのか,昔から部屋は体育館くらい大きくあってほしいと思っていたし,家も4階建てくらいある学校ほど広いのがちょうど理想だ。狭い空間が嫌いだ。広々としているところにいて不安を感じる,ということが全くない。太平洋くらい大きな土地を所有して住むことになったって精神的にはきっと問題ない。

素朴なものが好きだ。単純な仕組みが好きだ。体育館はツルツルの冷たい床しかない。これはとてもいいことだ。人間の部屋にはモノが多すぎる。たくさんのモノが相互に関係していて,人間はそれを調整しないといけない。これはすごく嫌なことだ。世界の複雑さが常に目に見えてしまう。複雑なモノに対してそれを処理する力を身につけるための訓練を人間は一生している。大変なことだ。部屋にいるときくらいそんな時間から抜け出たい。たくさんのモノがある部屋という複雑な環境から抜け出したい。

 

庭も山くらいほしい。山くらいあればイヌも今より自由に生きれるだろう。住宅街でのイヌの散歩はイヌにとっても私にとっても苦痛だ。注意しなければいけないものが多すぎる。その苦痛に耐えたり緩和したりすることが社会に閉じ込められたイヌとその面倒をみせられている私の役目らしい。私を苦しめる全てのイヌと人間が明日も幸福に生きてくれると良い。

 

大きな土地の管理には色んなモノが必要だ。そういったモノを全てお金に還元できるのが社会の仕組みなので,お金が必要とも言える。お金という仕組みは本当につまらない。お金があれば何かができるということは正しいが,なければそれができないということはない。お金に囲まれているとそのことがわからなくなってしまう。

家を買って暮らすのにもたくさんのお金が要る。あるいは要らない。お金には興味がないのでお金を集めることに自分を費やす気があまりないが,お金があれば色んな願いが叶う。莫大なお金。まあでも物質的な自分の願いにもさほど興味がない。魚の模様をヘブライ語に見立てる時間が欲しい。

 

たまにしか言わないけれど自分は頭がおかしいから自分の全ての願いが叶うと本当に思っている。自分には運命があり,運命は誰に与えられたものでもないが,運命の上には自分の全ての願いがきっとある。運命に従って生きる限りそのことは確約されており,そして自分は今まで運命に逆らったことがない。だから今までの人生で何一つとして間違いをしたことがない。一見すると,明日こうなると良いと思うような願いは叶ってないではないかと思われるかもしれない。実際には自分はそういった短い時間での出来事全てに本質的な頓着がないので,それらはいっときの感情に過ぎず,自分は願ってすらいないのだ,と思う。広い空間への希望をついさっき語ったが,長い時間にも希望があり,短い時間のことは捨象している。単純で不変の何か,自分にはそんなものしか見えていない。

運命がどんなものであるかとか,自分の願いが何であるかとか,そんなことは知らないし,わからない。あまり興味もない。自分の未来にも世界の未来にも興味がない。つまらない。もっと面白いことがこの世界にはある。

 

莫大な願い。いつか全て叶う。私の願いが叶わなかったことは一度もないのだから。