読む毒

イヌ

2018年5月9日 食事について思うこと

(雑感)

食事というのは私が生まれたときからずっと抱えている重大な問題なので、色々と思うところがあります。
今日はそのことについて雑に書きます。人と違っているところがいくつかあると思うので、見た人は怒るかもしれません。
敏感な人は見ないでください。見たなら怒らないでください。

自分は食べ物に感謝していると思います。
たまに食べ物を見たときに、それが元々は何らかの動物だったことを思い返して痛切に悼む人がいますが、自分はそれほど悲しむことはあまりありません。
理由は想像力と経験の無さに由来しています。
(*生き物としてウナギが好きなので、ウナギが食べられてることには悲しんだりします。ネコやイヌはまあまあ嫌いなので、それらを食べる文化があったとしても全く何とも思いません。僕にとってはダンゴムシの方が重要です。)

コンビニにあるような加工され調理され尽くした肉や卵を見て、それらの原型がどんな動物だったかを想像することは、自分には簡単ではありません。
それから、動物を殺して、加工し調理して肉塊にした経験もあまりないので、動物を殺す様子もあまり知りません。
これらのことが、これから食べる肉塊を見ても特に感情を沸かせない理由になっていると思っています。

しかし前述のようにある程度の感謝はしています。食べ物の元となった動物の死に関する想像力と経験が強くなくても、死というものの漠然としたイメージはもてます。
それから社会的にお粗末にするべきでないという要請があるので、それに従順な態度もする必要があります。

何より、働いたお金と毎日の時間を大きく削ってまで食事という儀式をしているのだから、それが有り難いものであると信じ込まなければとてもじゃないけど馬鹿馬鹿しくなります。

食事というのは、原材料に対する気持ち以外にも、加工・調理者(*ほとんどの場合で人間)に対する気持ちも抱く必要があります。
私は人間によって食べ物を差し出された場合は、口に付ける場合は必ず完食するように心がけています。
"調理者への感謝は完食することで表さなければならない"とするのは完全に間違った主張だと思っていますが、一般的にそういう気持ちが人間にあるのでそれに従っています。

("調理者への感謝を完食で表さなければならない"ことへの反例は簡単にできます。例えば30kgの料理を作った人がいたら、それを1回の食事で完食することは人間にはまずできません。(*ゾウならできるかもしれません)
馬鹿げた例だと思うかもしれないので他の例を考えると、例えば胃の機能が低下している人は一般的とされる量でも食べきることは難しいでしょう。こういった例を除外して考えるとするなら、除外することを肯定する理由は何でしょうか……)

口にする場合は、と書きましたが口にしない場合も十分あります。なるべく自分の前に口にしたくないものが現れないように最大限の努力をしていますが、そういったものが出てくる場合も十分あり得ると思います。そういったとき自分は一口も食べないと思います。

食事というのは自分にとっては幼い頃からストレスでした。
まず、よく分からないものを口に入れて飲み込むという動作は、非常に不衛生に感じられます。素朴な感情です。
人間は、この世に存在する大概のものは口に入れないようにしていますが、食べ物と飲み物だけは口に入れます。(それから、恋人など他人の体の一部)
食べるという理由で、物を口に入れ、飲み込んで体内にまで入れるのはなかなか違和感があります。
食中毒などもあり、人は食べるという行為をしただけで最悪死にます。
(*その食中毒さえなくても誰かが毒を入れていたら死にます。ところで食虫植物というものがありますが、わたしはあれが好きです。)

食べても食べても数時間後にはそれらを排泄するということも、掘った穴を埋められるような気分になります。それどころか自分の体から汚いものが出てくるのも嫌な気分になります。
人類が、蟹のように砂の隙間にある有機物だけを吸い込んで完全に分解しきる消化形態なら良かったのにとよく思います。
人間が蟹を好きになるのはこのような背景があると自分は思っています。
人は潜在的に蟹に憧れています。

それと食事にはルール(マナーと呼ばれているもの)が大量にあるので、例えば食事中に食事以外の何らかの作業をすることが良くないとされています。そのため食事をする際には食事だけに専念することが求められ、これはシンプルに不便です。

ここまで読めば分かる通り、自分は食事に関する抵抗感が物心ついたときからそこそこあり、それは止むことなく毎日続いています。
抵抗が少ない食べ物というものがいくつあるので、それらを優先して食べようとするため偏食が強い方だと自認しています。

可能なら、何一つ食べたくないという気持ちが強いです。水は体温調節に便利なので水を飲むことは認めたい気持ちがあります。生物も人間が食をやめることが可能なら、殺されなくなることが可能になるので嬉しいんじゃないかと素朴に思います。動物が何を考えているか知りませんが。

しかし、人間は何も食べないでいると死ぬので、今言ったことは可能ではありません。餓死したくない気持ちが食べたくない気持ちより強い限りは食事を強いられることになります。強いられてきて、生きてきました。
(*ダイオウグソクムシなら食べなくてもそれなりに長く生きられるらしいので、ダイオウグソクムシによく憧れます。)

『可能なら食事をしたくない、食べるとして偏食ぎみになってしまう、ということは"食事への感謝"とはまったく相反するものではない』ということを主張するのがこの記事の目的だったのですが、飽きてきたので話を変えます。

(*そういえば烏龍茶を久しぶりに飲んだのですが、記憶にあったよりも苦い気がしました。)

自分は睡眠障害(*診断書無)があるので、普通の時間に寝ることも起きることもできません。
日本時刻において社会が一般的に活動を開始する時間に起きることは到底できないので、夜間の大学に通っていますが、その時間ですら間に合うことがだいぶ難しいです。(*というかほぼ間に合っていません)

であるから朝起きてほぼ何も食べず支度をして大学に向かい、それなりの時間を電車に乗っているのでやはり食事をする時間はなく、大学に着いても遅刻ぎみかギリギリなのでやはり食事をする時間はありません。
しかし食事をしないでいると空腹で気持ち悪くなるし、脳のパフォーマンスも下がるので、生きるというのは本当に不便だなと思います。

簡単かつ即座に食べれて(*3分以内が理想)、栄養があり、空腹を解決できる(つまり胃の消化機能を十分使う)ような食べ物が早くできると良いなあと思います。(*仙豆ですね)

2018年5月8日 学校

目が覚めたので起きました。
雨がたくさん降ってました。
遅刻の時間になってました。
昨日いつ寝たか忘れました。

冷蔵庫を漁ってご飯にしました。
時間がないので少しだけでした。
着替えて歯を磨きました。
カバンに本を入れました。
魚に餌をあげました。
ちゃんと手を洗いました。

雨なので傘を持ちました。
自転車が壊れてるので駅まで歩きました。

傘をさしてるので手がうまってました。

駅に着きました。

雨が降ってるので電車が混雑しました。
人がいて湿気がありました。

電車で外を見てました。
電車に乗ってたら日が暮れました。
すごい速さで東京に向かってました。
時間があるので本を読みました。
内容は全部忘れました。
昨日見つけた新しい音楽を聞きました。
ずっと同じ曲を聴いてました。
何をしていたかよく分からない時間でした。

学校に着いたのでおにぎりと水を買いました。
授業はもうほぼ終わりでした。
教室に入ると先生に嫌な態度をされると思いました。
教室にはいきませんでした。

図書館で本を返しました。
本は重い本でした。
まだ読み終わってませんでした。

今度使う本を探しました。
1つだけ棚に残ってました。
ボロボロで黒くなってました。
残念な気持ちになりました。

次の授業に向かいました。
エレベーターに乗りました。
体が浮いて変な気分でした。

教室に向かいました。
授業は始まってました。
先生の話を聞きました。
授業が終わりました。
今日の授業は楽しかったでした。

教室の人たちが話してました。
みんな友達がいるみたいでした。
僕には友達はいませんが、今日は楽しかったでした。

空き教室に向かいました。
一人で入りました。
さっき買ったおにぎりがありました。
食べたら酸っぱくて嫌でした。
借りてきたボロボロの本を読みました。
他の本も読みました。
ノートを書こうとしました。
よく分からなかったので帰りました。

雨が降って寒かったでした。
電車に乗って帰りました。
乗る電車を間違えました。
すぐに気付いて良かったでした。
でも20分かかりました。
電車に乗って外を見てました。

すごい速さで家に向かってました。
外はもう真っ暗でした。
でも街の灯りがありました。

お腹が空いたのでご飯を食べに行きました。
しょっぱくてまいりました。
でも美味しかった気もしました。
でもしょっぱくてまいりました。

電車に乗って帰りました。
もうすぐ終電の時間でした。

駅から歩いて帰りました。
雨が降ってました。
外は寒かったでした。
水溜りを踏んでしまいました。
革靴が濡れてしまいました。
かわいそうだと思いました。

家に着いたらお風呂に入って、薬を飲んで、ベッドに入ると思いました。

2018年4月16日 日誌

なんだか世間を騒がせている「バグダッド日誌」に関するツイートをいくつか見て、たまには自分も日記を書こうという気持ちになってしまった。

バグダッド日誌」というのはイラク派遣された陸上自衛隊の活動報告で、緊迫した情勢とは反対に空気系の日常4コマみたいな1日が並んでいてなんだか面白い。調べると出てくるので読むといいだろう。

調べなくても今は話題だからTwitterでたくさんそれに関するツイートやスクリーンショットが出てくるだろうが。明日の朝にはさっそくニュースで取り上げられているとも思う。

 

さて、毎度のことだが日誌を書こうと思うものの書くことが何もない。いつものように記憶にある出来事をいくつか箇条書きのように思い出して、全体として何のまとまりもないまま書き飽きたところで終わろうと思う。

 

ツイッターをしていると、いや、ツイッターだけでなく人間と関わっていればほぼ必然的なのだが、恋愛に関する話をよく聞くことになる。

みんな、恋愛をしていて大変そうだなと思う。全然ひとごとではないのだが。

何でそんなに大変そうなのだろう?と思ったが、自分の幸福に関する重大な問題なのだから、大変になって当然だと思った。

 

土曜日、学校をサボって浅草に出かけた。大学は今は履修登録期間なのでまだ出席はとってないはずだが、出席をとらない授業なのにレポート課題が出てたりするのでもしかしたらサボったのは不味かったかもしれない。あとで顔も知らない会ったこともない同学科生にその日の授業の詳細を聞いたが、無断欠席=再履修の科目があったらしく、おそろしい気持ちになった。まあ、気にしない。留年してもしなくても人生がつまらないことに変わりはないし、些細なことだと思う。留年したら学費が払えなくて退学することになるけど。

 

大学に行っても話す相手がいない。まだ誰とも話してないし、全員が話したいと思えないような雰囲気だ。教室に入るたびにみんなに退学してほしいと思う。高校生の頃は自分が中退したいと毎日思ってて、実際そうしたが、今は自分以外の人たちに退学してほしいと思ってるからきっと成長だ。

本当に自分以外みんなが退学したら運営に支障が出て自分も困ることになるだろうけれど。

 

大学にいる若い人たちは、何だかみんな中学生みたいで、関わりたくない。すぐに集まろうとして、とにかく大声を出してはしゃぐ機会を作ろうと働きかけている。髪を染めて、恋愛関係くらいしか悩みがなく、その悩みが何よりも深刻だと思ってそうな顔をしている。(顔で人を判断してはいけないし、人の悩みも馬鹿にしてはいけない。)

みんな、明日生きるためのお金のことで悩んだりしてなさそうだし、夜寝るのにも困ってなさそうで、親の金で買ってもらった服やゲームで楽しんでいそうで、そこまで全てが自分と異なった環境にある人たちと話やテンションを会わせろというのは、無理があるように感じる。

何だか、こういうのは傾モノであろうとする人たちがよく言いそうなことなので、これ以上言いたくない。

 

浅草の話をしよう。その日は、合計6時間の授業があり、最初の授業に20分遅刻して参加したが、次の授業は受けなかった。

何となく浅草に行きたかったので地下鉄に乗って浅草に行った。地図を見ると靖国神社や皇居が近くにあって、そこに行くか悩んだが、電車に乗るほどの距離ではなく、歩くにはまあまあの距離なので、歩くのが面倒だと思ったから電車で浅草に行くことにした。

 

地下鉄はなんだが閉鎖的で、風を切る音と電車が軋む音が怖く、ホラー映画でよく題材になるのもわかるなといつも思う。電車が到着するときは、さりげなく自分の死を感じる。一瞬だけ怪物が目の前に現れたような感覚、といっても伝わりはしないか。

ビルと道路で埋め尽くされている東京の地下に長いトンネルが立体的に交差していて、そこを今自分が高速で通過していると考えると地下鉄も楽しい乗り物であるという気はしなくもない。でもそれは想像で楽しむことに過ぎず、目の前にある閉塞感や軋みの音の不気味さには勝てない。

 

浅草にある大きな門を見たけど、何も感動しなかった。あれだけ大きな木造の門をどうやって作ったのかとか、門によじ登って上から人を見下ろしたら楽しいだろうなとかは思ったかもしれない。京都か奈良で似たようなものを見た記憶があるが、何だったか思い出せない。知恩院だったか、東大寺だったか。

フランスにも同じような大きな門があった気がする。海外にある"門"というのは基本的に石でできていて、だから日本の木造の門よりも遥かにスケールがでかい。でもスケールがでかくなると、細かい彫刻とか飾りが目視できないから、デカければ良いとも思わない。僕は凱旋門よりも日本の木造の門の方が好きだ。

 

あちこちで藤の花が咲いていて、良かった。藤は派手すぎない感じと、高い場所から垂れるからあまり接近できない感じが人間との距離感のバランスがよくていいと思う。好きな花だ。

 

浅草に行って、たくさんの外国人に揉まれたが、特に何も買ったりはしなかった。そもそも浅草の一番大きな通りは外国人向けのお土産ショップが多くて何も買うようなものがない。そこから少し離れると和食のお店だったり、和菓子のお店だったり、秘密基地みたいな落ち着いた喫茶店が増えて、そこには入りたいとも思ったが、お金を使いたくなかったのでやめた。いつか入ってみたい。

そこから更に離れると居酒屋やカラオケ、ファミレス、ネカフェ、ラブホなどが増えるジャンクな土地柄になってくる。

 

前に横須賀で友達2人と遊んだとき、秘密基地のような喫茶店に入ったことがある。その2人は音楽を作ってて、僕はあんまり共通の話題を持ってないので、黙っていたけど、楽しかった。基本僕は喋るとき以外は黙ってるので珍しいことでもないと思う。(自明な文だ)

落ち着いた喫茶店なのにゲラゲラ笑って会話してしまったから、友達の1人が今度からここに来れなくなると言っていた。でもその2人はずっとドラッグの話をしていたし、そっちの方が問題があると思った。横須賀は屈強なアメリカ人海軍兵士が多くて、シンプルに居心地が悪かった。デカい軍艦を見て、ああいうのに乗って戦争したりすると人は気持ちがよくなるんだろうなと思ったのを覚えている。

 

話を戻そう。浅草で何も楽しむことが見当たらなくなった僕は、目視で観測できるスカイツリーに向かって歩くことにした。スカイツリーに一度だけ行ったことがあって、そのときは母と妹が一緒だった。その時はスカイツリーに付属している展望台にも水族館にも入らなかった。たしかそのとき中学生だった僕も妹も母の財布を心配したのだろうけど、今思えばたかが数千円よりもあのとき3人でそういうところに入ることの方が母にとっては意味のあることだっただろうと思う。それから、母はお金があるので、何の心配もする必要がなかったとも思える。

 

スカイツリーに着いて、インドカレーを食べた。見た目がオシャレなので金額が高めだったが、家の近くのネパールカレー屋の方が僕好みの味だった。別に不味いわけじゃないが、二度とここに来ることも、食べることもだろう。

1人で入店したので、周りがカップルやグループが多いのと対比されて目立っただろうが、慣れたことなので気にしない。

 

そのあと、昔はいらなかった水族館に入ることにして、魚を見た。淡水魚のアクアリウムのレイアウトがかなり良かった。それからニホンウナギナマズがいたのが非常によかった。アマミオオウナギは何度か見たことがあり、そちらも迫力があって感動する生き物なのだが、ニホンウナギの生きてる成体は初めて見るので貴重な体験だと思った。(しかも数十匹いたので、本当に良かった。)

 

海水水槽に関しては特に覚えてない。普通のものだったと思う。ペンギンとアシカの水槽が隣接していて、本来なら捕食関係にあるこの生き物たちが隣接しているのは双方にとってストレスなのではないかと思った。それから、アシカの方が体の大きな生き物なのに、ペンギンの方が人気の生き物だから水槽が大きくて、少しアシカがかわいそうに思えた。

 

その日は登校のために昼に起きた、つまり早起きをしたので、スカイツリーの水族館で眠くなって少しうとうとした。いや、それなりの時間うとうとしていたと思う。

 

スカイツリーを出るとすっかり暗くなっていた。また歩いて浅草に向かった。浅草の通りはシャッターが閉まって人混みがなくなっていた。そこで踞っているうちに22時くらいになっていて、雨が降り出したのでファミレス(デニーズ)に入った。終電が24時で、電車に乗って家に帰る頃合いかなと思ったが、1時間電車に揺られて帰宅してただ寝て過ごして日曜日が自然に終わったらまた1週間登校して、とこれがこの先数年続くと思うとなんだかすごくしんどくなった。帰りたくないと思って、24時までファミレスで勉強していたら終点がなくなって、そこで朝まで過ごすしかなくなった。

このことをツイートしたら人から心配されるかもしれないだろうと思って、Twitterでは言わなかった。ブログに書いても同じだと言われるだろうが、不思議とブログは誰も読んでない気がするので、全部書けてしまう。

 

僕は睡眠時間の短縮には本当に弱くて夜更かしもオールなんかも全くできないのでファミレスで一晩過ごすのは辛く、ネカフェで寝ようとしたが、ネカフェの利用に入会が必要で、身分証に学生証が使えなくて会員登録できなかったのでダメだった。(僕は財布を2つに分けていて、身分証はその日忘れた財布の方に入っていた。)

デニーズに引き返して、さっきも食べたチョコレートカフェをまた頼んだ。わざとらしいチョコレートの味だった。

 

何度か寝ようと体勢を変えて見たが店内の明るさと音で全く寝れなくて、寝させてもらえない拷問を受けているときの苦しみはこんな感じかなあと思った。ある程度したら眠いのかそうでないのかよく分からなくなってきた。お腹が空きすぎると平気になってくるような感覚だった。こういう時僕はおしゃべりになるが、喋る相手がいないので独り言をしていたのを覚えている。

お酒を飲み始めたときとか、判断力が弱り始めたと自覚があるときは余計なことを言わないように黙るけれど、本当に頭が弱っているときは僕はおしゃべりになる。とくに眠いときとかもそうだし、僕は根本的にはおしゃべりだと思う。口数が少ないと思われるのは、相手に何を言うか厳選しているうちにその人に言うべきことが全部なくなってしまった場合だと思う。

おしゃべりでなければこんなブログを書いていないだろうし、Twitterもしてないだろう。

 

寝られない苦しみを受けつつファミレスで仮眠して過ごしていたが、3時頃にとうとう気が狂ってしまいのろのろ歩きながらラブホに向かった。昼まで寝ようとしたがどこも空き部屋なく、諦めた。そのまま駅に行って、そこで始発が来るのを待った。さすがにあの場面でラブホに入ってたら「頭の悪い1万円の使い方2018年ランキング1位」に絶対なっていただろうし、行かなくて良かったと思う。今考えるとビジネスホテルに泊まるべきだったと思う。おそらく何度かビジホを目視していただろうが、ビジホと普通のホテルの見分けがそのときはつかなかったし、思考力もなかった。

 

雨が降っていて、風が強かったのでたくさん濡れた。地下鉄のシャッター前ではホームレスが寝ていて、そこで雨宿りしようとしていた僕はホームレスと一緒するのは嫌だと思ってしまったので、外にある小さな屋根のところで体育座りして始発を待った。風が強かったので小さい屋根では当然雨に濡れた。

それから始発に乗って横浜に帰ったが、3回寝過ごして3回余計な駅に着いた。そのうち1回が高校の頃の最寄りだったので、なんだか懐かしかったが、懐かしさを堪能するほどの余裕はなかった。

 

横浜は浅草よりも雨が強くて、傘を持ってない僕は帰るとき大量に濡れた。そのとき前日からの1日の全部を後悔した。

無意味に終電を逃すのはもう二度とやめようと思った。

家に帰りたくないとかそんな理由じゃなくて、本当は僕はあのときはどうにか死にたくて、でも死ねないから朝まで彷徨ってただけなのだと思う。

 

水曜日には上野動物園に行った。もうだいぶ眠くなってきたので文章が一層粗くなると思う。

パンダを見たけど、見ただけだった。ウナギの方がよっぽど見ていて面白い。パンダはただカラーリングが面白いということと、笹を食うというキャラクターだけで人から愛されることが確約されていて、非常にムカつく。絶対に好きにはならないと思う。

その日の夜は歌舞伎町で肉を食べたが、本当は歌舞伎町にはあまり行きたくなかった。男が騒ぎながら歩いているのを見るとすごく辟易とした気持ちになる。大人しくできないのかお前らは、という気持ちになる。うるさい犬を見てるのと同じ気持ちだと思う。ただそれだけなので、食べた料理やアルコールはかなり良いものだった。同行者も良かった。

寝よう。続きは今度書く。

ヒアリ

皆さんがブログを書いているので僕も書くことにした。しかし、何も書くことがない。これから書くことを考えることにする。

 

電車が来るまで3分くらい考えてみたが、やはり何も書くことは思いつかなかった。近況について、思い出せることから書いてみよう。

受験が終わった気がする。しかしこれはどうでも良い。

 

ペットボトル飲料のほうじ茶ラテが街から消えた。まず、セブンイレブンの棚から、その次に、自販機から消え去った。春になって暖かくなり、季節的に需要がなくなったからなのか、味が悪いことが周知とされたのか分からない。僕は、ほうじ茶ラテに関しては特許を取得するべきだと思うほど絶賛していたが……

 

今年の冬(去年の冬でもあるだろう)は、ほうじ茶ラテにゾッコンだったが、それだけでなく板チョコレートもよく食べていた気がする。

自分は食欲が慢性的にないので、よほど気に入ったものでなければ積極的に食べようとは思えない。しかし食事を続けなければ我々は死ぬので、生命維持の為の食事の機会というものが何度でもやってくる。そういうときは心を無にして味覚を意識から遮断し、これは作業だと思って、とにかく口に入れて噛んで水で流している。野生動物みたいで、品が悪い。だから僕が食事をしているところをあまり見られたくない、という気持ちがある。

何を話したかったかというと、僕が一時期に同じような飲み物、お菓子、料理にハマるのは、このような強い偏食傾向が由来している。コンビニに食料を求めて入ると、たくさんの既製品の食料に圧倒されて、自分はどれを食べれば良いのか、ということが全く分からなくなる。このような症状は自覚する限り中学生の頃からあった。(中学生の頃には塾の都合でコンビニで夕食を買う習性が出来ていた。)

そうすると、偏食の仕組みに合わせて、何か一つ、決まり切った商品を迷いなく選ぶことを続ける、ということが時間を失わないための良い手段となる。

このように、自分は同じものを買い続ける、それがなくなると何を買えばいいのか選べなくて困る、という性質があるので、街からほうじ茶ラテが消えたのはかなりショックだった。温かい飲み物が飲みたいときに毎回迷わなくてはならなくなった。

まあそれも今日の気温の感じだと温かい飲み物を飲みたくなる機会は減りそうだし、次の冬まではもう問題がないのかもしれないが……

 

区役所で書類をたくさん発行した。近くにチューリップがたくさん植えられている公園があり、チューリップが良かった。肉厚な植物を見ているのは楽しい。ランとか特に好きだ。

チューリップを見ているとなぜか美味しそうだなあと思えてきたので、花びらを一枚かじってみたくなったが、たしか毒があったような気がしたのでやめた。

 

人間が生きていて、羨ましい、という気持ちを覚えるようになった。これはきっと大きな進歩だ。電車に乗るとたくさんの大人がスーツを着ている。道路にはたくさんの車が走っている。彼らは別に遊んでいるわけではない。生きるために仕事をして、お金を稼いでいるのだ。

朝起きて、毎日毎日働いて、夜に帰り、それで生きている。

街中でべったりとくっつきながら歩いている学生の男女がいる。

女の子がツイッターで恋人の話をしている。

気温が暖かくなると勝手に桜が開花する。

つい最近まで大人しく枯れていた紫陽花は、目を離した隙に葉を緑色に直している。

地面からオオクロアリが湧き出て、元気よく歩き回っている。彼らもまた遊んでいるわけではなく、食い扶持を得るために昆虫の死体などを探している。クモもいる。ゴキブリも出てきた。

子供たちが大学の新入生になる。スーツを買う。授業が始まる前から"お友達"のグループを作り出している。

人に恋愛の悩みが発生している。人に恋愛の欲求が発生している。

人が、執着心を見せたりしている。

落ち着いた夜のカフェがある。お酒を飲むためのお洒落なお店がある。肉を食べるための場所がある。電車が音を立てて走っているが、これも何となく走っているのではない。鉄道会社が運営して、仕事に向かう人々と、仕事から帰る人々を運んでいる。ペンペン草も、きっと伸びているだろう。

 

全てが僕にとっては遠い世界だと思う。自分は決してそれらになれない。強い隔たりを感じる。どこが違うのか、よく分からない。生きる力が、君たちにはある。僕にはない。僕は、自分はきっと明日死んでしまうだろう、と思っている、そこがダメなのかもしれない。生きてみたい。言葉というものを発してみたい。考えというものを持ってみたい。ツイッターを使ってみたい。はてブロに記事を投稿してみたい。本を読んでみたい。車というものに乗ってみたい。音楽を聞いてみたい。食事をしてみたい。恋愛をしてみたい。魚を見てみたい。川の水に触りたい。匂いのしない花でも、匂いをかいでみたい。大きな鳥の羽根に触ってみたい。トンネルに響く音を聞いてみたい。人の髪に触ってみたい。人の肩の関節の動きを見てみたい。他人が理解できる考えを持ってみたい。人間になってみたい。他人に共感をしてみたい。脳や顔面というものを持ってみたい。声を出してみたい。服というものを着てみたい。日差しというものに当たってみたい。信号が変わるのを待ってみたい。他人から影響を受け、他人に影響を与えてみたい。今日が始まって、今日を終えたい。

 

今まで一度も、どれもしたことがないだろう。きっとこれからも全てできない。

2017年4月6日 無

昨日の日記はわりと良いことを書いたんだが、なぜか公開されたのが書きかけの状態になっていて、完成形の日記が公開されなかった。

書き直す気力もなかったので消してしまった。

 

あーあ、久しぶりに面白いこと言ってたのになー

 

いや本当に面白いこと言ってたんだよ。たぶん今までのよく分からない拙文に比べて、遥か上をいく会心の出来だった。書き上げた状態のものが公開されなかったことが残念で仕方ない。

 

ちなみに今日の日記はいつも通りの駄文であるから、有意義な時間の使い方をしたいなら読まない方が良い。

 

 

昼間、昨日に続いて数学書が届いた。

 

公開していた欲しいものリストから、フォロワーさんに買って頂いたものだ。

本当に感謝としか言葉が出ない。感謝。

 

ツァラトゥストラはかく語りき」「解析学徹底入門」「ルベーグ積分入門」(テレンス・タオ)、「ベーシック圏論」を頂いた。

これらだけで1万円は超えている。他にもシャンプーとか、避妊具とか、男性器を模したオモチャで自慰に適するモノとか。いや、避妊具もいつ使うか分からないし、立派な男性器のオモチャに至ってはどうしろっていうんだ。使えというのか。欲しいものリストに入れたのは私なのだが。本当に買う人がいるとは思ってなかった。もっと建設的なお金の使い方もあったはずだ。

 

とにかく、頂いた数学書に関しては今は読めない部分が多いが、来年あたりには読めるようになっておきたい。必ず役に立てます。

 

 

話は変わる。

なぜ東大を目指すのか聞かれることがたまにある。入試国語的に20文字以内ただし句読点含む で簡潔に答えると、「リベラルアーツ進振り制度があるから。」(19文字)という答えになる。

 

僕は自分に何が出来るのかというのは受験勉強ではある程度しか分からないと思っている。数学は比較的好きでやってるが、入試レベルの数学ができても(あまり出来てないけれど)、研究レベルで出来るのかは研究してみるまで分からない。

入試数学ができることは入試数学ができることの必要十分条件だが、研究ができることの必要条件でしかない。

 

私は自分が好きな分野ではなく、得意な分野を研究していきたいなと思っている。そっちの方が自分のためにも、社会のためにもなるだろう。好きな分野は趣味でやれば良い。

 

僕は自分の得意な分野が何なのか知るために大学に行こうと思っている。

もし研究をやっていけるほど得意な分野は自分にないと分ったなら就職をすれば良い。勉強は趣味でできる。高校の教師とか、一般企業とか。

 

自分にとって得意な分野を大学で知るための具体的な手立てとは、学部1〜2年のうちに興味のある分野を適当に漁ってみることだと思う。

そして、そのようなことをするのに最適な大学はと言えば東大に限られる。残念ながらと言うべきか、リベラルアーツの信念の元に進振り制度のようなことをやってる大学を東大くらいしか僕は知らない。

 

これはすごく不思議でたまらない。入試レベルの化学をやって、その人が化学が得意か本当に分かるのか?化学でも物理でも数学でも論理学でも哲学でも、実際に大学にはいってみたら他の科目の方が得意だなんてありえる話だと思う。それなのに現代の制度では、大学に入学した時点で生徒の学部は決まっていて、その学部の中で細分化した専門学科へ進んでいくことになる。

 

この辺は整数論加藤和也がもともとは航空学科にいたという話を知ってから強くそう思うようになった。

 

そんなところ。勉強しないとなあ。みんな勉強している。驚く。当然だよな。生きてる時間は短い。生きてるから僕らは勉強しなけらばならない。進化してないというのは、つまり退化してるということなので。

 

日記を書くようになってから1000文字とか軽く書いてしまえるんだなと思うようになった。

 

日記やツイッターで無駄な時間を費うな、勉強しろと言う方もいるかもしれない。その意見には私は断固反対せねばならない。何故ならツイッターを時間の無駄と言う主張を認めると、私の人生の9割9分9厘が人生の無駄であるという事実が導かれてしまう。それを認めるわけにはいかない。

 

やはり、なんというか生活が面倒に思えることがある。

生きる理由が足りてない感覚。というか生きる理由なんて大概の人は持ってないだろう。

死ぬのも何かな、生きてて楽しいことがないわけでもないし、くらいの感覚でみんな生きてるはずだ。みんなの心をのぞいたことはないけれど。

 

誰かからお金を貰って暮らしたい。月に10万円で十分なので、私を養ってくれる方はこの中にいませんでしょうか。

 

江戸時代の独身男性は月に6〜7日しか働かないでも生活費が足りていたらしい。それでほとんどの時間はごろごろと過ごしていたのだとか。私もそれになりたいなあ。

 

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/DVAA5DN78JVF/ref=cm_sw_r_tw_ip_wl_o_LDwVybV5ER3QC

 

こんなものもあります。見れば分かる通り、闇鍋です。違う、欲しいものリストです。何でも良いし買ってほしい。私は強欲なのです。終わり。

2017年4月2日 出家・ホームレス・自殺

こんばんは。

 

『出家・ホームレス・自殺』

 

これが何だか分かりますか?

僕に残された人生の進路です。今月中に具体的な行動を起こさなければならないところまで来ている。今日はそのことについて、順を追って話そうと思う。まずはこれらの選択肢について考えるところから。

 

 

さて、出家。出家するなら寺はどこがいいのだろう?

Gautamaは偉大だ。二千年以上かけて歪んできた彼の教えを日本で請うことにするのも良いだろう。二千年前に死んだ人間に、人生の光明を求めるのだ。

出家でググると、清水なんたらと幸福の科学のニュースがわんさか出てきた。幸福の科学仏教ではないのだから、出家ではなく入福とかそういう言葉を使えばいいのに。本当に仏教に出家したいひとの邪魔になるとは思わなかったのか。

 

ホームレス。ホームレスはどうだろう?

最低限として、食事と家と、勉強する時間は確保したい。スマホもあれば何も言うことはない。

ホームレスでそれをどう確保するかは検討がつかない。これはダメっぽい。

 

自殺は、自殺はどうだろう?

意外と死んでみたら天国があって、良いところかもしれない。

大きな図書館があり、そこは静寂で、学生しかいない。私は本を数冊とって席につく。天井の窓から心地よい日差しがある。

ポケットからイヤホンとスマホを出して音楽を聴き始める。

時間を忘れ勉強をする。ノートに文字と計算式が埋まっていく。天国なのでシャーペンの芯は折れない。手も疲れない。ふと休憩を思い立って、ロビーへ降りる。そこには司書さんがいて、お疲れ様ですと紅茶を淹れてくれる。持ち帰りたくなるような上品なティーカップだ。司書さんが紅茶を淹れる訳がないとか考える必要はない。天国だから。

閉館は21時。外は暗く、私は自転車をこいで家へ向かう。

途中でスーパーマーケットに寄る。食材を買い揃える。夕飯を買うには遅い時間だ。周りには仕事帰りらしいスーツ姿のサラリーマンが多い。食材もところどころ売り切れているが、その中で最善なものを判断して選び取る。

自宅に着く。天国で私は一人暮らしをしている。静かさだけが友達だ。静かさは私に話しかけてこないし、何もしてこないのが最大の魅力だ。

冷蔵庫にいくつか食材をしまう。残りはキッチンに残しておく。私は35分かけて料理を作る。25分をかけて完食する。食器を水に浸しておき、デザートを食べながらスマホをいじる。15分したら食器を洗い始めよう…

 

天国は良いところだな。行きたくなってきた。死んでないのに君は天国がないとどうして言えるのだろう。天国に行きたい。

 

でも天国に行ける保証がなかった。地獄は嫌だ。地獄ではクレーマー客がわんさかやってくる。地獄では話の通じない無能な上司の下で働かなければならない。職務内容も極めて無味単調である。そしてどんなに真面目にやっても社債は増えるし、上司は無駄なイベントで金を飛ばす。

 

 

 

こんなくだらない話を始めたのには、それなりに訳がある。家を勘当されたわけではない。

 

知ってる通り、私はいま浪人生活をしていて、実家が生活保護を受けている。

 

生活保護では18歳の私は今月から一人暮らしを始めなければならない。それが決まりだ。

一人暮らしをせず、つまり実家で暮らすことを選ぶ場合は、就職が必要条件となる。バイトではダメで、就職ならO.K.

 

浪人生活をしている以上、就職というのは選択肢として悪手であり、労働をするとしても今まで通りアルバイトをするのが良いだろう。

 

けれど、アルバイトでは実家暮らしが認められない。

というわけで、アルバイトをしながら新居を構える必要があるのだが、浪人バイトで家賃を払うのは重い。

理想は居候、あるいはシェアハウスとかルームシェアの形が良いだろう。 

 

とは言っても4月になって探し始めたところで、(というか一年中いつだろうが、)条件の良い居候先やルームメイトなんてものは見つかり難い。

 

というかあんまり労働したくない。

 

上記より労働路線が詰んでいることが分かる。

残された手段は、出家・ホームレス・自殺というわけだ。そんな話を親としていた。

 

というか国益のために浪人してまで勉強してるのに、どうして私は困窮に迫られているんだ。1浪までなら生活保護してくれよ。来年には東大生だぞ。

そのへんの浪人と違ってシローの定理くらい分かるんだぞ。群論舐めんな。(群論分からないけど。)

当然のことながら、頭が良ければ浪人なんてしないので、浪人したやつのために国益を削る必要はない。

社会に通用しないことを吠え続けていても仕方ない。人類はまだ1浪の保護に追いついてない。

 

出家・ホームレス・自殺の選択を早いうちに決断する必要がある。私のような社会不適合者は皆さんのためにさっさと死んだほうが良いと言われるだろう。至極真っ当な意見だと思う。

 

私としては真っ当な意見に反対し、なるべく少ない労働で生活費を賄い、勉強をして生きたい。理想を言えば誰かに経済的依存をした形で生きたい。出世払いでどうにかなりませんか。

 

なんてことを言ってられる時間すらもう無いんだ。次の水道代を払うときまでに具体的な手段を提示しなければ、我が家の水道は止まるかもしれないし、住所もなくなるかもしれない。

 

具体的な手段とは、何度も言ってる通り、出家・ホームレス・自殺だ。

最も無難なのは…

 

 

ロックでやってくか。