読む毒

イヌ

2019年4月29日 カサブランカ

春がきた。
春がくると植物はめきめきと湧き出し,虫も湧いてくる。
蟻や,蜂や,蝶や,蜘蛛が歩いている……
自転車に乗った人も歩いている……

 

公園に池があって,鯉が泳いでいる……

この間は椿や桜の花が咲いていたが,咲き終わって,今はツツジや藤の花が咲いている。

 

最初に春が来たことを告げるものはソメイヨシノだったりホトトギスだったりチューリップだったり,する。
一万円もきっとそうだろう。
あるいは洗濯物かもしれない。犬も猫も騒ぎ出す。網戸もそうかもしれない。菜の花も咲いていた。
そういえば蚊が飛んでいたのだった。血を吸う蚊はいくつかいて,ヤブカとイエカというらしい。一匹のイエカに襲われて,こわいと思った。


春を告げるのはサボテンでは,きっとないだろう。自動車でもない。
レモンでも,きっとない。(いや,レモンはわからない。)
金魚はわからない。マスクはわからない。猿はわからない。布団はわからない。埃はわからない。ティッシュペーパーもわからない。
紙もきっとわからない……

 

風邪をひいて,寝ていた。咳をしなくても声が出なくなるのはふしぎだった。

いや,寝ていなかった。寝る前の子どものように暴れ,パソコンのように熱を帯びた。
風邪をひいても,うどんは食べなかった気がする。

髪を梳かし,何度か寝た。なんどかなんどか,寝ていた。


職場に着ていくスーツがあるが,くしゃくしゃのまま置いてある。

パソコンのファンは埃を吹いていた。熱を帯びて吹いていた…… ドライヤーが髪を乾かすときも,そうだ。掃除機のうるさい音とも,似ている…… ただ,工事の音はもっとうるさい。金属が固いもの叩く音は,いちばんうるさいだろう。

 

動物園のキリンには,春が分かるだろうか……
キリンは草をたくさん食べる生き物で,模様が面白い。(白くはない) どこかから連れられて日本の動物園の檻のなかにいるのだった。
檻のなかに,檻のなかに,檻のなかに……

檻のなかは電車や教室のように広かったり狭かったりするだろうか……

 

実家の白い壁紙に埃がついていた。凹凸のある,弾力のある,壁紙は……爪を立てると,直らない跡ができる。白い壁にも春は分かるだろうか。

 

本を借りて読んだ。いくつかの本を借りて,1日で160ページ読んだ。あぐらをかいて読んでいた。色褪せた紙のにおい……


青い雲に覆われた夕焼けに,タンポポの綿毛を吹き飛ばした。

 

そうだ,タンポポがたくさん咲いていた。騒がしく,タンポポはたくさん種類があって,たくさんの名前がある。よく見るとどれも形が違う。
白いやつが,好きだった。
白いタンポポを,探した。
犬もいた。
犬は一緒に歩いていたが,白いタンポポを探していたのではなかっただろう。
犬は…… 木の枝をかじったり水を飲んだりしていた。


蛇口から水を飲む…… 小学生の頃,そうだった。中学生の頃も,そうだった。

中学生のころは,小さなタオルを持っていた。
学校のグラウンドの砂埃のにおいが,いつもあった。体操着にはそのにおいがついていた。
水道で顔を洗って 小さなタオルで拭いていた。タオルを忘れたら拭いていなかった。

中学生のころは,数学は知らなかった。

顕微鏡や宇宙があることも知っていて。富士山を知っていた。シュレディンガーの猫,歯磨き,図書館,サラダ,棺桶,電池,キーボード,通販……を知っていた。


ザリガニが,きたなくて怖かった。
せせらぎの小さなカニは好きだったけど,見たことがなかった。

ワサビは,冷たい湧水のあるところで育つらしい。ワサビを生で食べてみたいと思った。


自販機で飲み物を選ぶのが好きだった。
やはり,数学は知らなかった。

 

土壌が広がっている。
春が土を温めている。コンクリートアスファルトと室外機の街も温めている。

小学校には小さなタンポポはあっタだろうか?
学校の畑には,じゃがいもやゴーヤを植えていた。ひまわりも,あったかもしれない。

 

教室のベランダで,プラスチックの鉢にカサブランカを植えていた。鉢に自分の名前を書いていた,かもしれない。書かなかったような気もする。

 

春になって,カサブランカを公園で見たのだった。

植物は静かに,備えていた。
背丈を伸ばして,夏を待っていた。

2019年4月1日 労働の記憶

こんにちは。

私は東京にある大学の数学科に通っているような学生で,最近は逆数学と代数幾何に興味があります。
先日,いわゆるアルバイトと呼ばれるものの面接を受けたのですが,2週間くらい経っても採用の連絡が来ず,履歴書の連絡先を書き間違えたか,あるいは不採用のどちらかではないかと感じながら過ごしています。

面接を受けたのは家の近くのきれいな大型書店でした。
アルバイトの面接を受けることはほぼ一年ぶりでしたが,採用されると都合が良かったので採用されなかった(だろう)ことに悲しみを感じました。

そこで私はどうして採用されなかったのかを考えることにしました。私は面接当時,全くの無感情で緊張も何もなく,かなり質素な受け答えをしていたことを思い出しました。
面接を受けたら緊張やストレスを覚えるだろうなと思っていたので,あれほど無感情になれたのは珍しく感じました。
当時の私の心境は,生活費に(慢性的に)困っているので金銭を得る必要があるとは感じていましたが,それ以外は全くの無でした。
そして,そういった無感情で質素な人物は,採用を判断するには人柄が不透明すぎると思うのが一般的感覚ではないかと自分は予想しました。
そこで自分が労働というものについて,どのような関わりや思い出があったかを振り返ることにしました。
労働について何か感想を持つことで人間味を増やし,今後採用を判断する人間が私に不透明な印象を持つことが減らせれば良いだろうと考えたからです。

せっかくなのでそれをブログにも載せることにしました。(ブログに載せる意味については私は考えていないので,読む意味を見出せた方のみが読むと良いでしょう。)


以下目次です。

 

1.私の近況など
2.コンビニバイトの体験
3.イベントスタッフの体験
4.引っ越しバイトの体験
5.まとめ

 

1.私の近況など
最初に私について話してみようと思います。
私はお金がありません。私の実家は非常にお金がなく,仕送りのようなものを直接的に貰わずに生活しています。どのくらいお金がないかというと生活保護を受給するくらいです。そういう訳あって住所は実家ではありません。生計の具体的な実情はここには書くつもりはありません。
私は今は数学に興味があり,労働は数学ではなく,また時間が搾取される内容が多いので抵抗感があります。
お金を使ってできることには基本的に意欲がなく,お金は生活に必要なものである,ということ以上の意義を感じていません。
しかし,私は生活を果たせるほどのお金の出所が現状はありませんので,給与を貰わなければ生活が果たせません。
生活を果たせないことは,私の生活に重大な問題を起こします。
重大な問題を防ぐため,私は労働をし,給与を得ることにしました。
そこで,近所の大型書店の採用面接を受けることにしました。
そこを選ぶ成り行きはあまりに自然で,本当に何も感じていなかったのですが,こうして反省してみると私の体験や性質,歴史的経緯があると感じました。大雑把に言うと,私は

作業は単純だと良い(体力が必要であっても良い)
シフトは固定的だと良い
家に近いと良い(また早起きする必要がないと良い)
柔軟な接客はない方が良い
客層が悪くない方が良い

などのことを暗黙のうちに仮定していたことが分かりました。
何故そう思うにようになったのか,それは私自身の体験や歴史的経緯を観察することにより考察していきます。

 

2.コンビニバイトの体験
土地柄なのか普遍的なのかはわかりませんが,私がいたコンビニでは昼下がりから夕方にかけては機嫌の悪い老人のような客が多く,夜からは疲れて余裕を失った仕事帰りのような客が多くいました。総じて客は攻撃的な傾向があり,私は嫌な思いをすることが度々ありました。

業務内容は多岐にわたり,人間の生活の全てを司るロボットになるような気分がしました。
しかし私はそのような役割を与えられたロボットにしては几帳面ではなく,やる気がなかったため。結果,すぐにやめました。
なかでも,店長が接客の声を大きくするように求めてきて,4時間程度の勤務で毎日声が少し枯れて帰ることになったのが一番嫌でした。

私は,多彩な対応を求められたり,攻撃的な人間に丁寧に接客をするのは嫌だなあと感じるようになりました。

 

3.イベントスタッフの体験
イベントスタッフでは,イベントの開催に合わせて1-2週間ごとにシフトを調整して働きました。イベントというのは主にスポーツ系のものでした。
シフトの予定決めや連絡がこまめで,頻繁に電話で連絡するのがストレスでした。
向こうからいつ電話が来てもいいように構えるのも,自分から適切な時間を見計らって電話をし予定管理者を呼び出すのも億劫でした。

仕事の日は目的地のスタジアムに行き,小規模のスポーツイベントではテントの設営や回収・入場時のチケットの確認・客の誘導・警備に準ずるような役割をしました。
大規模なスポーツイベントでは,物品販売・お弁当販売・ポップコーンなどの軽食販売,それからお酒の販売がありました。

大規模なスポーツイベントとは野球のことで,スタジアムにはたくさんの観戦客がいました。
スタジアムはお酒の持ち込みが禁止されているため販売店がその場でお酒を入れて売ることになっていました。お酒の販売は,お酒の名前と作り方の対応を覚えるのが大変でした。
物品販売ではレジがないため小型バーコードリーダ兼決済マシンを扱いました。その小型機械はボタンが少なく操作が分かりにくく,その上客はたくさんくるので疲れました。
それから,客が指定した商品は店頭に並べられているとは限らず(例えば記念Tシャツなどがそう),ガラクタの山のように積み上げられている段ボールの中から探し出すのが大変でした。

一方で小規模スポーツイベントでの設営や誘導は比較的楽に感じました。設営というのは具体的にはテント・座席・看板・売店などの設置と回収をしました。
イベント終了後にたくさんの人々に対し マイクを持って帰りの案内を繰り返し伝える役割をしたこともありますが,意外と緊張はせず,アナウンサーでも何でもない自分がたくさんの人に何か喋りかけていると思うとおかしく感じ,楽しい思い出になりました。

結局,毎日違う作業をするのは慣れにくく,慣れないのにたくさんの客を相手にしないといけない忙しさがあることに疲れました。


4.引越しバイトの体験
イベントスタッフの体験から販売は辛いが運搬などはそんなに辛くないという感触を得たので,去年の春休みに10日間ほど連勤して辞めました。
繁忙期ということで時給は良かったようでした。
引越しの業務形態はトラック1台ごとに運転手と補佐の2人チームがあり,繁忙期はそこにバイトが加わるというものでした。
そういったチームは場合によっては合流することもあり,移動経路や時間に合わせた柔軟な予定調整などは会社で待機している事務の人たちが細かく管理しているようでした。

仕事は基本朝の7時(そうでないときは10時)に会社集合で,トラックに乗って引越しの目的地へ行き,客の家で荷造りを部分的に手伝い,トラックのコンテナへ運びました。
荷物を運ぶ際に壁にぶつけても良いように,作業の前に壁に青い板のような緩衝材を取り付ける作業がありました。
台車を使うことも多いので床にも緩衝材を敷きました。
特にマンションでは,エレベーターを経由するので部屋からトラックまでの経路を全て緩衝材で保護しました。

作業は比較的単純で,トラックで移動→緩衝材を設置→荷物をコンテナに詰む→緩衝材を回収→引越し先へ移動→緩衝材を設置→荷物を客の指示通りに下ろす→緩衝材を回収と,繰り返しを感じるものでした。トラックでの移動中(片道30分〜3時間)はやることがなく,寝たり軽食を食べたりしました。他人の家にズカズカ侵入して荷物を持ち運ぶ感覚はたのしく感じました。

搬入作業はバケツリレーのような形で行われるので作業者同士のコミュニケーションは非常に多かったと思います。具体的には荷物の天地不動や,割れ物があるので落下注意などの伝達,荷物を落とさないためのかけ声などがありました。大型家電や家具のように複数人で運ぶものもありました。
バイトが運搬に集中していられるのは上司が細かい判断をして指示するからですが,そうでない"悪い"上司もいました。
ただ短期のバイトを労働力として上手く活用できないのは上司の指示が悪いというのは,上司たちの間には共有されているようで,上司の上司が雑な指示を叱っている光景もありました。
バイトは高校生や女性もいて,社員は体育会系っぽさは感じましたが若い人から真面目そうな人もいました。一応力仕事の部類らしいのですが,他の業界と比べて反社会的そうな人は少ない,と社員が語っていたのを記憶しています。

時間は7(or10)-16が基本で,場合によって残業が発生し21時終了になることもあったので長時間勤務の部類だと思います。
移動は基本的にトラックなので残業を断るときは会社へ帰っている途中の他のチームのトラックに拾ってもらうか,一人で電車で会社まで移動する必要がありました。自分は暇だったので残業は全て参加しました。
私は当時生活習慣が死んでいたので,朝7時出勤のために徹夜が習慣化しました。自分は睡眠時間が減ると体調不良が直に起こる体質でしたが,その体験から徹夜による体調不良に耐えて徹夜で作業する癖がつきました。結果,今に至るまでの間で健康は非常に悪化したと感じています。(病院に行かなくては……)
私は車も車に乗ることも嫌いなので,当時は毎日車が嫌いとツイートしていました。

結果,車に乗る仕事はしたくないと思うようになりました。
それから,早起きや長時間労働も嫌でした。
一方で手持ち無沙汰な時間や,知らないところに行くこと,筋肉痛になるくらいの重い荷物を運搬することなどにはあまり抵抗感がありませんでした。

 

5.まとめ
自分は数学科の人間ですが,ややこしい作業を覚えたり,毎日変わる作業に柔軟に対応したらすることに知恵を使う意欲は一切わかず,アルバイトでは単純な体力仕事の方が親しめました。
それから,攻撃的な人間を宥めるような作業も嫌いなので,そういった機会が多く発生するような接客にも抵抗感がありました。

 

そうすると私は棚をいじったり本を運んだり,レジで会計したりするくらいの仕事がいいなあと流れるように考えて書店バイトを選んだのだと思います。
書店の客層に攻撃的な人間が少ないというのは私が勝手に作ったイメージです。
それも,少なくともコンビニよりは遥かにマシであるでしょうし,そうであれは十分です。
それから私が最初に大型書店へ行ったときは,家から近いとか,店員の年齢層が自分に近いとかもそういう事情も考慮していたと思います。

 

こういったことを踏まえると,労働に対する意識を全く自覚していないながらも,自分にとって都合の良いものを明確に選んでいたのだということが分かります。
都合の良いものを逃すことは,なるべく少なくしていきたいところです。

 

残念ながら現代の日本では,私のようなただ多少の数学に詳しそうな無職は何かしらの単純な労働に従事し,雇用者に私の時間を提供することでしかお金が得られません。

そういう意味で,私は労働を避けることが今はできないでしょう。避けることができないのなら,都合の良いものを選びたいところです。
ここまで述べてきたような"確かな感情"や経緯が自分にあるということを忘れず,人と対面するときに無感情になり過ぎないように注意してみようと思います。
おわり。

2019年2月8日 無題

むかし話。

 

中学生の頃に通っていた塾がある。そこに国立の中学に通っている男子生徒がいて,彼と仲良く話していた。

ある日彼が将来の夢を語っていたのを聞いた。

この話には彼の友人が登場する。その友人は,将来の夢についてネパールの山脈でうどん屋を営むことだと語ったらしい。そのために有名大学の薬学部に進学し,薬剤師になってお金を貯め,その貯金でうどん屋を開くというのが将来の計画だそうだ。

その話に感銘を受けた彼は,その時がきたら自分もネパールへ同行する,それが自分の将来の夢だと誓ったらしい。

この話にはオチがあり,彼が言うにはネパールの危険地域に長期滞在した日本人が日本に生きて帰国できる割合は70%であり,友人と2人揃って帰国できる確率は1/2以下であるらしい。つまりこの夢を叶えたとき,帰国するときにどちらか1人は高い割合で死んでいる(あるいは2人とも死んでいる)のだと笑って語っていた。

今思い出すと最高にBLだなと思う。

 

ちなみに彼から5000円借りたことがあった気がするが,会ったら返そうと思ったまま二度と会っていない。

2018年7月11日 カレー

朝6時過ぎに寝て10時前に起きた。夜遅くからずっとシュタインズゲートのアニメを見ていた。その前の5日間は全休と自主休講を組み合わせて5連休をしており,その間したことといえば新しくもらった着物をきて近所の商業施設に新しい箸を書いにいくとか,アニメを見るとかだった。

そのまま11時まで布団から出なかったが時間がやばくなりそのうち急いで身支度をして家から出た。

Amazonで買った折りたたみの日傘を初めて持っていった。

 

電車の中ではほうじ茶ラテのペットボトル飲料を飲んでいた。最近はこれが習慣化している。その日の体調によってはほうじ茶ラテのにおいが,小学校のころ雑巾がけで絞った水を溜めて黒く濁ったバケツの中の水の匂いと同じように感じられたりする。

似たような例では麦茶とタバコの後味が似ているという話がある。これは完全にどうでもいい話だけれど麦茶の味というと,初めてキスをしたとき,たしか高校2年生の梅雨で寝坊して学校に行くのが嫌になって嫌だなあと思いながらLINEしていたら家に来ていいと言われたときで,そのときキスする前にお互いに麦茶を飲んだからキスの味が麦茶だったことを思い出す。

麦茶とはあまり得意な後味じゃないので記憶に残る。コンビニでもあまり買わないことにしているが,高校生の時に自販機で安く売ってて容量があったから渋々飲んだのも記憶にある。

 

そんなことを思い出しているうちにJR中央線 水道橋駅について,その辺にある大学の大学生たちをかき分けながら神保町に向かう。

真昼間の神保町にはサラリーマンと外国人と大学生がたくさんいた。暑かった。気温は見てなかったが32℃くらいあったらしい。

折りたたみの日傘を差して歩いていたら,日傘をしていることについてすれ違いの人間が後ろ指を指すような声を出していたが,このクソ暑いなか理由もなく日陰に入るための工夫をせずに体力を消耗しているヤツは全員アホだろうと思ったしそう言ってやりたかった。

神保町のマックに着いて,待ち合わせしていた2人と会った。

高校生の頃にその友達とは全く関係ないない人たちと神保町で遊んだことがあって,そのとき待ち合わせた席と偶然同じだったのを思い出した。

 

神保町にカレー屋が多いことを友人が指摘したので確かにそうだなと思った。友人が新歓か何かで神保町のカレー屋に連れてかれて,パクチーを売りにしているカレー屋でパクチーを食べなかったことを話していて頭に残った。もう1人がパクチーってどんなものなのか分からないと言ったので,でかいパセリのようなものだと答えた。

 

それから店が小さいが人がたくさん並んでいるラーメン屋で小1時間並んで待った。炎天下にさらされて,寝てなかったことも相まってわたしは口数が少なかったが友達は元気にバイトの話などをしてはしゃいでいた。

 

店内は狭くて,店員が5-6人くらいずつまとめて店内に入れて,お客さんに番号をつけて,点呼を取るようにそれぞれの番号から注文を聞くスタイルで初めての体験だった。ディズニーランドのアトラクションみたいだなと思った。(ディズニーによく行く人は全然そうは思わないだろうけれど)

 

出てきたラーメンは思ってたよりデカかったので,ボブネミミッミのレッサーパンダを見たポプ子のような気持ちになった。食べたら美味しかったので少し笑ってしまった。その日はほうじ茶ラテしか口にしてなかったので胃にいきなりたくさんぶち込むと悪いのではないかと思ったが平気に全部食べれた。となりで冷やしまぜそばをたべていたサラリーマンは,笑いながら食事するわたしのことを不気味に思っただろうと思う。

 

食べ終わると友人の1人が講義に間に合いたいとのことですぐ帰った。残った友人と神保町ブックセンターに行きたかったので入ろうとしたがカフェが高そうだったのでやめた。でも中は見たかったので(岩波と提携していると聞いているので岩波オンデマンドの数学書が揃ってるのか興味があった),入ればよかった。

古本屋が並んでいる光景をすごいね〜と見ながら書泉グランデに入った。途中で明倫館を通ったときに,そういえばシャッターの閉じてない明倫館を初めて見たなと思った。

書泉グランデでも特にやることはなく(わたしは数学書を読めるのでやることがあったが友人はなさそうだった),解散した。

 

大学に戻り,図書室で"曲面の幾何構造とモジュライ"を借りた。書泉グランデでパラ読みして以外と読みやすそうだと感じたのと,タイヒミュラー空間に興味があったからだった。

図書室から教室に向かう途中で次の授業の担当教員と居合わせた。でも自分の顔は覚えられてないだろうと思った。

16時から18時まで授業があったので参加した。この講義に出るのは10回くらいぶりだった。大学に入ってから唯一会話らしい会話をした同クラスの生徒がいくつか前の席に座っていたが話すことがなかった。

 

18時から理科大でゼミがあったので移動した。数学科のゼミ室のあるフロアの壁際で床に座って他のメンバーを待った。数学科の教員がたまに出入りしていて,授業に出てないので気まずかったがまだ顔は覚えられてないから大丈夫だと思った。メンバーが3人集まってもまだ床に座っていたので屯する中学生みたいな気分になった。そのへんの床に座って数学の話をする中学生はいないだろうが。

 

ゼミ室から飯田橋駅神田川を見た。神田川は緑色に気持ち悪く濁っていて,似たようなものを横浜の夏でも見たと思った。爽快感のない最悪の川だ。ハウルの動く城ハウルの気分が落ち込んで体から気持ち悪い粘液を出したときの粘液みたいな川だった。

その真横を颯爽とすぎる黄色いラインの描かれた車体の中央線は見ていて気持ちが良かった。

 

ゼミの後半ではゼミと並行して読んでる本と少し違う内容を1人がレクチャーするとのことになり,知ってる内容だったので他の本を読もうと思ったが,眠くなって本も読めなくなってきたので本当に何もできなくなりスマホでエロ漫画を読んでいた。その様子を見られていて苦笑された。

 

収束の話をしていて,途中で「nを大きくして1000回に一回必ず近傍からはみ出るみたいな振る舞いはダメなわけです」みたいなことを言っていたのを聞いてなぜかウケてしまった。他の話も含めて良い解説をしていた。上から目線みたいになってしまうが料理を食べて美味しかったと言ったのが同業者か客なのかによって上から目線か褒めの言葉なのか変わるのはおかしいことで,同様だと思ってほしい。

 

ゼミの後寄り道して少し人に会ったがめぼしいものがなくお腹が空いたので帰宅した。帰りの中央線が異様に混んでいて背中や尻のあたりが知らない人と密着していて,もう2度と電車に乗りたくないと思ったし,これだけ混んでたら乗ってる人みんな不愉快だろうなと思った。

 

帰宅して,眠り眼でこれを書いた。

2018年4月16日 日誌

なんだか世間を騒がせている「バグダッド日誌」に関するツイートをいくつか見て、たまには自分も日記を書こうという気持ちになってしまった。

バグダッド日誌」というのはイラク派遣された陸上自衛隊の活動報告で、緊迫した情勢とは反対に空気系の日常4コマみたいな1日が並んでいてなんだか面白い。調べると出てくるので読むといいだろう。

調べなくても今は話題だからTwitterでたくさんそれに関するツイートやスクリーンショットが出てくるだろうが。明日の朝にはさっそくニュースで取り上げられているとも思う。

 

さて、毎度のことだが日誌を書こうと思うものの書くことが何もない。いつものように記憶にある出来事をいくつか箇条書きのように思い出して、全体として何のまとまりもないまま書き飽きたところで終わろうと思う。

 

ツイッターをしていると、いや、ツイッターだけでなく人間と関わっていればほぼ必然的なのだが、恋愛に関する話をよく聞くことになる。

みんな、恋愛をしていて大変そうだなと思う。全然ひとごとではないのだが。

何でそんなに大変そうなのだろう?と思ったが、自分の幸福に関する重大な問題なのだから、大変になって当然だと思った。

 

土曜日、学校をサボって浅草に出かけた。大学は今は履修登録期間なのでまだ出席はとってないはずだが、出席をとらない授業なのにレポート課題が出てたりするのでもしかしたらサボったのは不味かったかもしれない。あとで顔も知らない会ったこともない同学科生にその日の授業の詳細を聞いたが、無断欠席=再履修の科目があったらしく、おそろしい気持ちになった。まあ、気にしない。留年してもしなくても人生がつまらないことに変わりはないし、些細なことだと思う。留年したら学費が払えなくて退学することになるけど。

 

大学に行っても話す相手がいない。まだ誰とも話してないし、全員が話したいと思えないような雰囲気だ。教室に入るたびにみんなに退学してほしいと思う。高校生の頃は自分が中退したいと毎日思ってて、実際そうしたが、今は自分以外の人たちに退学してほしいと思ってるからきっと成長だ。

本当に自分以外みんなが退学したら運営に支障が出て自分も困ることになるだろうけれど。

 

大学にいる若い人たちは、何だかみんな中学生みたいで、関わりたくない。すぐに集まろうとして、とにかく大声を出してはしゃぐ機会を作ろうと働きかけている。髪を染めて、恋愛関係くらいしか悩みがなく、その悩みが何よりも深刻だと思ってそうな顔をしている。(顔で人を判断してはいけないし、人の悩みも馬鹿にしてはいけない。)

みんな、明日生きるためのお金のことで悩んだりしてなさそうだし、夜寝るのにも困ってなさそうで、親の金で買ってもらった服やゲームで楽しんでいそうで、そこまで全てが自分と異なった環境にある人たちと話やテンションを会わせろというのは、無理があるように感じる。

何だか、こういうのは傾モノであろうとする人たちがよく言いそうなことなので、これ以上言いたくない。

 

浅草の話をしよう。その日は、合計6時間の授業があり、最初の授業に20分遅刻して参加したが、次の授業は受けなかった。

何となく浅草に行きたかったので地下鉄に乗って浅草に行った。地図を見ると靖国神社や皇居が近くにあって、そこに行くか悩んだが、電車に乗るほどの距離ではなく、歩くにはまあまあの距離なので、歩くのが面倒だと思ったから電車で浅草に行くことにした。

 

地下鉄はなんだが閉鎖的で、風を切る音と電車が軋む音が怖く、ホラー映画でよく題材になるのもわかるなといつも思う。電車が到着するときは、さりげなく自分の死を感じる。一瞬だけ怪物が目の前に現れたような感覚、といっても伝わりはしないか。

ビルと道路で埋め尽くされている東京の地下に長いトンネルが立体的に交差していて、そこを今自分が高速で通過していると考えると地下鉄も楽しい乗り物であるという気はしなくもない。でもそれは想像で楽しむことに過ぎず、目の前にある閉塞感や軋みの音の不気味さには勝てない。

 

浅草にある大きな門を見たけど、何も感動しなかった。あれだけ大きな木造の門をどうやって作ったのかとか、門によじ登って上から人を見下ろしたら楽しいだろうなとかは思ったかもしれない。京都か奈良で似たようなものを見た記憶があるが、何だったか思い出せない。知恩院だったか、東大寺だったか。

フランスにも同じような大きな門があった気がする。海外にある"門"というのは基本的に石でできていて、だから日本の木造の門よりも遥かにスケールがでかい。でもスケールがでかくなると、細かい彫刻とか飾りが目視できないから、デカければ良いとも思わない。僕は凱旋門よりも日本の木造の門の方が好きだ。

 

あちこちで藤の花が咲いていて、良かった。藤は派手すぎない感じと、高い場所から垂れるからあまり接近できない感じが人間との距離感のバランスがよくていいと思う。好きな花だ。

 

浅草に行って、たくさんの外国人に揉まれたが、特に何も買ったりはしなかった。そもそも浅草の一番大きな通りは外国人向けのお土産ショップが多くて何も買うようなものがない。そこから少し離れると和食のお店だったり、和菓子のお店だったり、秘密基地みたいな落ち着いた喫茶店が増えて、そこには入りたいとも思ったが、お金を使いたくなかったのでやめた。いつか入ってみたい。

そこから更に離れると居酒屋やカラオケ、ファミレス、ネカフェ、ラブホなどが増えるジャンクな土地柄になってくる。

 

前に横須賀で友達2人と遊んだとき、秘密基地のような喫茶店に入ったことがある。その2人は音楽を作ってて、僕はあんまり共通の話題を持ってないので、黙っていたけど、楽しかった。基本僕は喋るとき以外は黙ってるので珍しいことでもないと思う。(自明な文だ)

落ち着いた喫茶店なのにゲラゲラ笑って会話してしまったから、友達の1人が今度からここに来れなくなると言っていた。でもその2人はずっとドラッグの話をしていたし、そっちの方が問題があると思った。横須賀は屈強なアメリカ人海軍兵士が多くて、シンプルに居心地が悪かった。デカい軍艦を見て、ああいうのに乗って戦争したりすると人は気持ちがよくなるんだろうなと思ったのを覚えている。

 

話を戻そう。浅草で何も楽しむことが見当たらなくなった僕は、目視で観測できるスカイツリーに向かって歩くことにした。スカイツリーに一度だけ行ったことがあって、そのときは母と妹が一緒だった。その時はスカイツリーに付属している展望台にも水族館にも入らなかった。たしかそのとき中学生だった僕も妹も母の財布を心配したのだろうけど、今思えばたかが数千円よりもあのとき3人でそういうところに入ることの方が母にとっては意味のあることだっただろうと思う。それから、母はお金があるので、何の心配もする必要がなかったとも思える。

 

スカイツリーに着いて、インドカレーを食べた。見た目がオシャレなので金額が高めだったが、家の近くのネパールカレー屋の方が僕好みの味だった。別に不味いわけじゃないが、二度とここに来ることも、食べることもだろう。

1人で入店したので、周りがカップルやグループが多いのと対比されて目立っただろうが、慣れたことなので気にしない。

 

そのあと、昔はいらなかった水族館に入ることにして、魚を見た。淡水魚のアクアリウムのレイアウトがかなり良かった。それからニホンウナギナマズがいたのが非常によかった。アマミオオウナギは何度か見たことがあり、そちらも迫力があって感動する生き物なのだが、ニホンウナギの生きてる成体は初めて見るので貴重な体験だと思った。(しかも数十匹いたので、本当に良かった。)

 

海水水槽に関しては特に覚えてない。普通のものだったと思う。ペンギンとアシカの水槽が隣接していて、本来なら捕食関係にあるこの生き物たちが隣接しているのは双方にとってストレスなのではないかと思った。それから、アシカの方が体の大きな生き物なのに、ペンギンの方が人気の生き物だから水槽が大きくて、少しアシカがかわいそうに思えた。

 

その日は登校のために昼に起きた、つまり早起きをしたので、スカイツリーの水族館で眠くなって少しうとうとした。いや、それなりの時間うとうとしていたと思う。

 

スカイツリーを出るとすっかり暗くなっていた。また歩いて浅草に向かった。浅草の通りはシャッターが閉まって人混みがなくなっていた。そこで踞っているうちに22時くらいになっていて、雨が降り出したのでファミレス(デニーズ)に入った。終電が24時で、電車に乗って家に帰る頃合いかなと思ったが、1時間電車に揺られて帰宅してただ寝て過ごして日曜日が自然に終わったらまた1週間登校して、とこれがこの先数年続くと思うとなんだかすごくしんどくなった。帰りたくないと思って、24時までファミレスで勉強していたら終点がなくなって、そこで朝まで過ごすしかなくなった。

このことをツイートしたら人から心配されるかもしれないだろうと思って、Twitterでは言わなかった。ブログに書いても同じだと言われるだろうが、不思議とブログは誰も読んでない気がするので、全部書けてしまう。

 

僕は睡眠時間の短縮には本当に弱くて夜更かしもオールなんかも全くできないのでファミレスで一晩過ごすのは辛く、ネカフェで寝ようとしたが、ネカフェの利用に入会が必要で、身分証に学生証が使えなくて会員登録できなかったのでダメだった。(僕は財布を2つに分けていて、身分証はその日忘れた財布の方に入っていた。)

デニーズに引き返して、さっきも食べたチョコレートカフェをまた頼んだ。わざとらしいチョコレートの味だった。

 

何度か寝ようと体勢を変えて見たが店内の明るさと音で全く寝れなくて、寝させてもらえない拷問を受けているときの苦しみはこんな感じかなあと思った。ある程度したら眠いのかそうでないのかよく分からなくなってきた。お腹が空きすぎると平気になってくるような感覚だった。こういう時僕はおしゃべりになるが、喋る相手がいないので独り言をしていたのを覚えている。

お酒を飲み始めたときとか、判断力が弱り始めたと自覚があるときは余計なことを言わないように黙るけれど、本当に頭が弱っているときは僕はおしゃべりになる。とくに眠いときとかもそうだし、僕は根本的にはおしゃべりだと思う。口数が少ないと思われるのは、相手に何を言うか厳選しているうちにその人に言うべきことが全部なくなってしまった場合だと思う。

おしゃべりでなければこんなブログを書いていないだろうし、Twitterもしてないだろう。

 

寝られない苦しみを受けつつファミレスで仮眠して過ごしていたが、3時頃にとうとう気が狂ってしまいのろのろ歩きながらラブホに向かった。昼まで寝ようとしたがどこも空き部屋なく、諦めた。そのまま駅に行って、そこで始発が来るのを待った。さすがにあの場面でラブホに入ってたら「頭の悪い1万円の使い方2018年ランキング1位」に絶対なっていただろうし、行かなくて良かったと思う。今考えるとビジネスホテルに泊まるべきだったと思う。おそらく何度かビジホを目視していただろうが、ビジホと普通のホテルの見分けがそのときはつかなかったし、思考力もなかった。

 

雨が降っていて、風が強かったのでたくさん濡れた。地下鉄のシャッター前ではホームレスが寝ていて、そこで雨宿りしようとしていた僕はホームレスと一緒するのは嫌だと思ってしまったので、外にある小さな屋根のところで体育座りして始発を待った。風が強かったので小さい屋根では当然雨に濡れた。

それから始発に乗って横浜に帰ったが、3回寝過ごして3回余計な駅に着いた。そのうち1回が高校の頃の最寄りだったので、なんだか懐かしかったが、懐かしさを堪能するほどの余裕はなかった。

 

横浜は浅草よりも雨が強くて、傘を持ってない僕は帰るとき大量に濡れた。そのとき前日からの1日の全部を後悔した。

無意味に終電を逃すのはもう二度とやめようと思った。

家に帰りたくないとかそんな理由じゃなくて、本当は僕はあのときはどうにか死にたくて、でも死ねないから朝まで彷徨ってただけなのだと思う。

 

水曜日には上野動物園に行った。もうだいぶ眠くなってきたので文章が一層粗くなると思う。

パンダを見たけど、見ただけだった。ウナギの方がよっぽど見ていて面白い。パンダはただカラーリングが面白いということと、笹を食うというキャラクターだけで人から愛されることが確約されていて、非常にムカつく。絶対に好きにはならないと思う。

その日の夜は歌舞伎町で肉を食べたが、本当は歌舞伎町にはあまり行きたくなかった。男が騒ぎながら歩いているのを見るとすごく辟易とした気持ちになる。大人しくできないのかお前らは、という気持ちになる。うるさい犬を見てるのと同じ気持ちだと思う。ただそれだけなので、食べた料理やアルコールはかなり良いものだった。同行者も良かった。

寝よう。続きは今度書く。