読む毒

イヌ

2019年11月13日 ペンギン

何もない日々を無意味に過ごすのではなく方向性を持つこと。

死ぬまでの間の時間を消費するという危機感を持って過ごしている。最近ずうっと意識していたことは,自分の信念を貫くこと,それはつまりやるべきことをやる(もっと具体的には数学それから最近は音楽と物理に興味がある)ということと,特別な人との関係を保つことだった。

だが,二つのめの目標がさらっと消えてしまった。

 

その予兆は何となく冬から感じていてずっと焦燥感があったが,その焦燥感から間違えてしまわないために落ち着こうとずっと自分に言い聞かせていた。

落ち着くというのはそれを保留にするとか余裕を持つとかそういうことで,つまり「その物事を考えない」ということだった。

悠長に構えた意味は特になく,というか最初から全てに意味は特になく,まあ終わってしまった。

関係性はまだ消えてないのかもしれないが,「特別」では無くなってしまった,もう特別では有り得なくなってしまった時点で,「特別な関係性」ではなくなってしまったから終わりだ。

 

特別な関係性というのは人生にとって重要な意味を持っているものなので,当然巨大な意味の喪失に途方に暮れてしまった。

人は孤独に生きるのが怖いので,誰かが自分を肯定してくれていること,自分が誰かを肯定していること,その相互性に強い意味を預けてしまう。しかしわたしの場合は,そんなそうごせいはわたしが勝手にそう思い込んでいるだけのものだった。

 

最初はかなり辛かったが,揺るぎない喪失の事実が自分に何をもたらすかということを反省し始めると,これが新しい節目となって今まで考えてきた人生の方向性とは全く違う道へ進む自由が自分に与えられたのだと思えてきた。

その感覚にワクワクすることもできたが,やはり喪失した意味の大きさや失った時間の大きさを思い出すと辛くなる。

 

特に,それが単に自分が特別な意味を与え合っていると思い上がって過ごしてきただけという事実に,自分への強い不信感・自分というものの無意味さを感じてしまう。

この自分が無意味なものであるという感覚はどうやっても逃れようがなく,とにかく気をそらし続けるしかない。

 

未来のことを考えている時間は,新しい自由さにワクワクできる。

過去のこと,自分のこと,失ったもののことを考え始めるととにかく辛い気持ちになる。

だから,前だけ見て,他の物事はとにかく考えないことにし,目をそらし続けるしかない。