黒板を使って数学の話をするのは好きだが,チョークの粉をたくさん吸い込んでいるのは身体に悪いのではないかと不安になる。
チョークというのものが何で出来ているか知らない。直接的な毒ではないと予想する……貝殻か何かを砕いてできているのではないか,そう思う。
貝殻というのはきっとカルシウムのような何か……で出来ているはずだから,チョークを吸うと肺からカルシウムのような何かを吸うことになる。カルシウムを摂ることは身体にいいと言うから,チョークの粉を吸うことは身体にいいのかもしれない。
ベトナムの農家の暮らしの映像を見た。
湖か川から水を引いて,小舟が漕げるような水路のある水田でヘチマを育てていた。
その隣の畑ではナスを育てていて,立派に育ったナスを若い飼い猫が破壊していた。爪で引っ掻いたり,噛んだりして,ナスをだめにしていた。でもこの猫はいたずらを怒られることがないのだろうと思うと,羨ましい気持ちになった。
船を漕ぎたいなと思う。
むかし船を漕いだことがある。カヌーか何かの大会だった気がする。
塩水が跳ねて,しょっぱかった。東京湾の汚い海の水なんぞ飲みたくないと小学生の頃の自分は思った。今も思うだろう。よく知らないが東京湾は見た感じ汚い。
それから海はとても揺れた。船酔いはしなかったが平衡感覚がグラグラする感覚は続いた。
川の船ならそのようなこともないのではないかと期待する。
多摩川をよく見る。
私はただの無職だが,優雅に暮らしているからお茶会の用事で忙しい。お茶会は東京で催されるため,東京によく行く。
多摩川はいい川で,触ってみたいなと思う。
まだ多摩川に触ったことがない。
お茶会へ行く朝,いつも電車の窓から多摩川を見ている。
あそこに飛び込んだら間違いなく溺れ死ぬだろうなと思う。
多摩川に向かって石を投げてもきっと問題はないだろう。これは多摩川のすごさの一つであると思う。ふつう石を投げたら,例えば線路やひとの家や何らかのお店の中へ石を投げたら大変なことになる。でも多摩川ではそんなことはない。思う存分に石を投げていい。
でも石を投げるとかそんな野蛮なことはしたくない。
温泉に行きたいなと思う。でも温泉に入っているときいつも暇すぎてかなり困惑する。お湯の中で多動になってしまう。
大衆向けのいい温泉ではお湯の中でじっとしていられない人向けの仕掛けがいくつかあり,それはアスレチックだったり泡が出る何かだったり電気が流れる何かだったり,浮いてるアヒルのやつだったりする。私は一番最後に温泉へ行ったとき,浮いてるアヒルのやつをひたすら並べては波を起こして崩して遊んでいた気がする。そこには人が多くて自分以外に大人が何人かいただろうから,キモいなと思われながら見られていただろうと思う。
そんな話を人にしたら温泉の暇さに耐えられないならサウナに入るといいと言われた。サウナと水風呂の繰り返しをすると様々なことがよくなるのでお前はそれをする必要があると熱弁された。早死にしそうだから嫌だなと思った。
最近はだいぶ夏になったなと思う。
夏はとにかく暑くて嫌になる。汗(あせ)かくのがいやだ。全身から酸っぱくてくっさい汁(しる)を分泌しながら外を歩き回るなんて嫌すぎる。本当に嫌だ。
それから,夏になってゴキブリとよく出会う。家の中で出会う。ゴキブリの色は自分の髪の毛に似ているなと思う。基本的に黒だが薄く茶色いところがある。
ゴキブリは足音がうるさいのが特徴で,静かにして欲しいとよく思う。犬なんかはゴキブリの足音が嫌いらしくて,徹夜でゴキブリを追い回している。捕まったゴキブリはバラバラに分解される。まるでスプラッタ映画のよう。
ゴキブリが増えるとアシダカグモが増える。ゴキブリの増加とは関係がないのかもしれない。ただ単にアシダカグモが夏に増えている。
アシダカグモをこの間,捕まえてみた。手のひらで包んでみた。期待どうり,ふわふわで軽くて,妖精を手づかみしたらこんな感じかなと思った。ゴキブリを捕まえて食べる妖精が(犬の他に)家中にいるならそんなに頼もしいことはない。
人間への抵抗能力を持たないアシダカグモを追い回すのはかわいそうだと思い,あんまり触らないことにした。
最近のコンビニにはバスタオルが売っていたりする。清潔なタオルというのは気持ちがいい。見るたびに買いたくなってしまうが,コンビニでタオルを買ったことはない。
黒板の上に文字を書いているとき,あるいは本を読んでいるとき,あるいは人に話しているとき,物事の分別が昔よりはつくようになったなと実感するが,経歴は何も変化しない。経歴というのはつまらないものだなと思う。
家のまわりに放置しているバケツが怖い。裏返すと恐ろしい虫がたくさんいる気がする。
庭で育った青いゴーヤを採ってきて,リビングに飾っていたら3日くらいで真っ赤に熟して裂けてしまった。中から血の塊のような赤いタネが出てきて,どうみても怖かった。それはエイリアンの映画に出てくる奇声生物みたいだった。
庭で育てた野菜を食べることにいつも心理的な抵抗がある。
目の前の野菜を見てもなにか普段お店に並んでいる野菜と同じものには見えないなと感じる。
食べるという行為を全く受け入れられていないのだなと思う。どうにか,自分の手料理と,お店の料理,それからコンビニやスーパーに並んでいるものは食べることを受け入れられているが,それ以外はまだまだ無理なのだなと思う。
ツイッターでは毎日ひとのセックスとお金の話で盛り上がっていて,飽きないものだなと思う。
私の仕事は,隣にできる大きな建物や思春期の子どもの真剣な顔をただ眺めているまま過ごすことなので,これは地蔵のようなものだなと思う。
友だちが東京でハクビシンを見たことはあるが野生のタヌキを見たことはないと言っていた。友だちが家族全員がタヌキを見たことがあるから,同じ家(地域)に住んでいるのに自分だけタヌキを見たことがないのは残念だと語っていた。
私はハクビシンを見たことはないがタヌキなら何度か見たことがある。
最近はタヌキになりたいなと思う。タヌキはかわいい。かわいいものになりたいなと思うだろう。
キーボードに使っていた電池が破裂してよくわからない液体が漏れていたことをよく思い出す。おそろしいなと思う。
スマートフォンとかも爆発するかもしれないと思って,寝るときは枕元から離して置くことにしている。
時計の秒針の音を聞くのに最近ハマっている。腕時計の秒針が優しく鳴っているのが聞こえる。勤務中,地蔵になっているとき,ずっと腕時計の秒針を見ている。
枕元に腕時計を置いて,秒針の音を聞いていると,嫌なことを何も考えずに寝ることができる気がする。