読む毒

イヌ

2020年2月の日記

1月31日

職場で教室長が生徒の粗相に対して説教をしていた。私は他人の説教を聞くのが嫌いすぎて,自分らが悪さをしたわけではないのにこれを聞いてないといけないのか……と思うと放心状態になってしまった。自分のほっぺたをつねって変顔しながら聞いていたが話が終盤に差し掛かってから正気を取り戻して神妙な顔で深く頷いていた。


7日

犬のメンテナンスに行った。犬の病院はガラス張りで白くて清潔で,動物のにおいとそれをかきけそうとする芳香剤のにおいがまざっていた。犬は拷問台のようなものの上で手足を拘束されるとチャチャっと爪を切られていた。


11日

休日とは知らずに誤出勤した。


13日

図書館の部屋を借りてセミナーをした。図書館の二階には中庭があって,枯山水と謎のオブジェが配置されていた。枯山水は和風かつ古風なのに,オブジェは現代的なので,不思議な空間になっていた。


17日

実家にある巨大な下駄箱(銭湯とかにあるやつ。ロッカーのようになっていて,番号札を抜くと鍵が閉まるやつ)を親が解体していた。タンポポが咲いていたのでこれから春かと思った。


19日

始発の電車に乗ってフォロワーの家へ遊びに行った。タイ語のスタンプを他人に送りつけると,(タイ語未履修者の)相手はその意味がわからず困惑するという遊びにハマった。スタンプは画像なのでそこに書いてある文字をコピペして翻訳にかけることができない。


20日

いくつかのイベントが新型ウィルスの対策として中止になった。新幹線の席を予約していないADHDしぐさが却ってよかった。怪我の功名?(まだ怪我をしていない)


21日

いくつかのイベントが中止。人は神の怒りに触れて真っ二つになったらしい。いくつかの漫画を読んだ。(『娘の友達』や『あせとせっけん』など) これらについて語りたいことが多くあるが時間と体力がない。2月が下旬になっていることに気がついた。

 


22日

公園に行った。春の気配を感じた。フォロワーと会ったが,待ち合わせるのに駅の近くで演説をしている人(駅には人が多いが右翼系の演説をしている異常者のまわりには人が近寄らない)を目印にしたので,演説者は目印にされたことに傷付いたかもしれないと後日思った。


23日

セミナーを聞いた。そのあと秘密結社の総会に出席した。そのあと横浜駅をふらふら歩いてみたが地下通路でしばらく迷った。


24日

前日に夜更かしして『鬼滅の刃』を読み込んだ。そのあとは夕方まで丸まって寝ていたが,寝過ぎて頭が痛くなった。Lipschitz性の逆数学的性質について考えていた。


25日

前日に博士課程のひとが在学中に書いたノートの全部(紙束)の写真をTwitterに載せていたのをみて,自分の机の上にも同じようなものがあって邪魔なので捨てたいと常々思っていたが,焚き火で燃やしてしまおうと思った。そしてこの日にそれを決行した。夜の多摩川を歩いたが,去年の台風19号の影響でたくさんの流木があって面白かった。


27日

セミナーをした。白いタンポポが密集しているところを見つけた。

 

28日

放心状態で過ごした。

 

29日

放心状態で過ごした。


ちなみに29日で2月が終わることに気づいていなくてさっき驚いた。

2020年1月の概観

  • 年始

年末ジャンボ宝くじを買った。初詣に行った。願い事はしても覚えられないのでしていない。

 

  • 生活環境

住所とは別に生活スペース(みのりのいえ)があったのだが去年12月末にそこが土地の持ち主から一方的に契約解除されてしまい今後の生活スペースがなくなる問題が発生した。今も解決していないので進行中となっている。この件は自分が生活スペースにしている家の契約主と土地の所有者との間でのトラブルであって,金額の大きい話なので私にはどうしようもない気がする…もちろん私が石油王とかであれば仕方があるが…。

それでそのうち引っ越すと言っていた友人とルームシェアをしようという話になりやる気を出していたが物件探して心が挫けて探す気がなくなった。今はなるようになれという気持ちでいる。

 

  • ゲーム

剣盾について

Switchを剣盾の販売と合わせて買ったので,ポケモンをポチポチやっている。基本的にはワイルドエリア散策・キャンプ・対戦を繰り返している。ポケモンにカレーを作って食べさせるのは電子ペットという感じがする。ポケモンの食中毒とか死とか気にしなくて良いので楽ですね...現実はそうでない。対戦はパーティを組むのが大変なので専ら旅パか借りパでやっている。他力本願。

上手く戦えると面白いし,知らない戦略(私がちゃんと対戦を勉強していないから知らないだけで大概はよくある戦略)を見たりするのも刺激的で面白い。みんなよく考えている。(自分も考えていくという主体感がない)

このように主体感なく対戦をしているので気持ち的にはトランプの大富豪をやっているような感覚に近い気がする。感覚の分析は難しく,何がどういった意味で似ているかは書かない。

剣盾から対戦環境がガラッと変わったと聞いたのが対戦をやることの心理的抵抗を減らした気がする。(知らない常識がたくさん自分以外に共有されている場所に無知なまま飛び込むことは怖いので)

今までの作品での対戦環境はあまり知らない。(ガブリアスがめちゃくちゃ強かったという噂くらいは聞いている。今のドラパルトのようなものなのかな。それとミミッキュの"ばけのかわ"が今作だとHPの1/8ダメージだが前作だと0ダメージだったと聞いている。)

そういえば当初はウッウの"うのミサイル"が最強だと話題だったが今はそういう話題を聞かないし対戦でもあまり見たことがない。ウッウはどうなったんだろうか…

 


フォートナイトについて

Switchだと無料でフォートナイトができるのでやっている。PUBG mobileで培った経験があまり生きておらず新鮮だと感じた。フォートナイトは全プレイヤーがオラついているゲームなのですごい。

 


テトリス99

一試合が短く終わるので上二つのゲームに飽きたときや直ぐに終わらせたいときにやっている。10位までは入れるがそれ以上にはいけない。Tスピンという本質的な技を理解していないので,いまの私は覇気を知らずに新世界に挑もうとしていたルフィや,念を知らずにやばいところに行ってたゴンとキルア,のようなものだと思う。

 

 

  • 買い物

MIDI鍵盤を買ったが動作不良だったのでそれを人に売った。新しいものは2月になってからようやく買えた。他には本をかなり買ったが思いの外読めていない。いま読まなくてもそのうち読むだろうという謎の予感がある。

ブックオフでプログラム意味論と今野 微分幾何がたまたまあったので買った。この辺は良い買い物をしたと思う。

それから基本情報技術者試験を受けようと思ってその分厚い参考書を買ったが,今期は試験を受ける気がなくなった。心変わりが早い。臨機応変に生きている。

 

 

  • アニメとか漫画とか

今期アニメについて

まどマギのオタクだったためマギレコを履修している。映像がよくて期待感が高かったが6話までを見て期待感の大きさと比較すると雲行きが怪しいと思っている。ソシャゲ特有の多すぎるキャラクターたちにある程度の見せ場を作らないといけないのがストーリーをうまく回すことと相反している気がする。そういう意味ではけものフレンズが1話ごとに新キャラクターとの出会い・そのキャラクターの掘り下げ・ストーリーの進行・別れを全部処理していたのは凄かったなと思う。
映像研も見たかったが1話を見逃して見逃し救済が見当たらなかったので今期の履修を諦めてしまった。

 


映画について

スターウォーズのエピソード9を見たかったがまだ見ていない。

メイドインアビスの劇場版を見てそのまま単行本の読んでない巻を買った。成れ果て村のあたりまではかなり前に連載をフォローしていたと思う。最新刊までの内容とほぼ重複していたので,もしかして連載ペースがゆるやか?

 


借りた漫画

友人が最近よく漫画をまとめ買いしているのでそれを借りている。フリーライド。

おやすみプンプン

終末を唱える謎の団体がプンプンたちと関わることなくフェードアウトしていったのが謎だったが,そういうところに必然性を与えないこと含めて"リアルな世界"っぽくしているのかなと思った。

 


アクタージュ

良かった。ざっくり言うと異常者が演劇という場で頭脳戦を繰り広げたり人間関係バトル・マウントの取り合いをする凄い漫画だった。5億年前から連載していると思ってたがまだ10巻くらいだった。

 


五等分の花嫁

かわいくてよかった。絵柄のかわいさを見て萌え♡ア・ニメ的なものだと偏見していた(とても後悔している)が,ラブコメが誤魔化しがちな恋愛の性質について真摯に向き合いつつラブコメディとして成立している真面目な漫画だった。かぐや様とかもそういう部類だと思う。21世紀は真摯に生きる人間の時代とツイッターに書いてあったけど,つまりこういうことだと思う。

五等分の花嫁は五姉妹とひとりの男が人間関係をして五姉妹のうち何人か(何人であるかはまだわからない。恋愛感情の有無を曖昧に描きそれを読者に考えさせることもラブコメの要素のひとつだと思う)が男に恋をする話で,連載はもうすぐ完結するらしい。

五等分の花嫁は主人公が五姉妹の誰かと結婚するということだけが最初から判明していて,そして「誰かを選ぶ」という行為の意味を雑に扱ってはいない話なので今後なにかしらの形で結着がつくのだろう。

そのとき本気で恋愛をしていたキャラクターたちが恋愛に失敗して「これも人生経験だよね」「本気で恋愛をしていた頃に遂げた成長は今後も変わらない大事なものだよね」「ていうかまだ諦める必要はないよね」みたいなことを言って良い話になっていくとして,それを自分が受け入れられるかはわからない…

 

 

  • 興味

新井朝雄の数理物理の世界を眺めて,新井朝雄はどうやら物理学における対称性のファンらしいのだが自分もそういうことに興味が出てきた。対称性というのはある種の変換に関して不変性を持つことだが,相対性理論においてはある種の物理規則がローレンツ変換によって不変という対称性があり,電磁気学ではマクスウェル方程式がゲージ変換で不変という対称性があるらしい。この辺の話題にはちょっと興味が湧いた。
一方で一科目しか履修していなかった物理の教養授業の期末テストが1月末にあったがサボタージュをしたので単位は未回収となった。
他には最近はシンプレクティック幾何に興味がある。解析力学のような物理理論がそのように非常に幾何的な形で記述されるらしいというのは興味深いし,その辺と複素幾何のある種のつながりが有名なミラー対称性とかになるらしい。まだ何も知らない…

 

 

  • 総括:平和。

 

逆数学の未解決問題のいくつか

はじめに

ここでは,逆数学の未解決問題について最近知った話題をまとめる。逆数学の未解決問題は様々あるが,広範囲についてのまとめではなく私が気になったものと今現在知っているものが中心的になる。この記事は今後更新する可能性が高い。

 

逆数学とは,数学で既に知られている個々の定理を証明するにはどういった公理系が必要十分であるか,ということを検証する数学基礎論のプログラムである。

通常の数学は  ZFC のような集合論の公理系をベースとして展開されるが,通常の数学で扱うような定理の逆数学を行うには集合論の公理系は強すぎることが多い。

そこでペアノ算術にその二階部分を扱う公理図式を追加した二階算術で,逆数学の舞台となる公理系を用意するという研究が発達している。(この形では本質的に可算な構造しか扱えないため,高階算術を用意するといった研究も調べられている。ここではそういう話はしない。)

古典的な結果として,五段階の強さに分かれる二階算術の部分体系(公理系)で逆数学は概ね行えることが判明している。(これを逆数学現象とかBig five 現象などと呼ぶ人もいる。)

その例外となるケースも多く知られており興味の対象となっている。

 

逆数学の既に知られている結果の簡単な一覧はWikipediaで見れる。

ja.wikipedia.org

ここで  \mathsf{RCA} _ 0 上で  \mathsf{ACA} _ 0 と同値となる定理の項目で

"ラムゼーの定理の一形態などを例とする組合せ論の諸定理" という記述がある。まずはこれについて少し話す。

 Ramsey理論周辺

Ramseyの定理の主張を見るための準備をする。

 \mathbb{N} の部分集合であって  n 元からなる集合の全体を  [\mathbb{N}] ^ n で表し, k 元集合を単に k と書く。 f \colon [\mathbb{N}] ^ n \to k を着色という。

 

 H \subset \mathbb{N} が着色  f で等質集合であるとは, H の任意の n 組が  f で同じ色になっていることをいう。

自然数 n, kごとに次の主張を定める。

 \mathsf{RT} ^ n _ k : 任意の着色  f \colon [\mathbb{N} ]^ n \to k について等質な無限集合が存在する。

 \mathsf{RT} ^ n : 任意の  k について  \mathsf{RT} ^n _ k が成立する。

 n \ge 3 のとき  \mathsf{RT} ^ n と  \mathsf{RT} ^ n _ k \mathsf{ACA} _ 0 と同値となることが知られている。

また, n \ge 3 , k \ge 2 のときは  \mathsf{RT} ^ n _ k \mathsf{ACA} _ 0 と同値であることが比較的簡単にわかる。(これは Simpson の Subsystems

of second order arithmetic にも書いてある)

 

では  \mathsf{RT} ^ 2 _ 2 はどうか。これは逆数学現象に当てはまらない例として知られているようだ。つまり, \mathsf{RT} ^2 _2 \mathsf{RCA} _ 0 上で  \mathsf{ACA} _ 0 より真に弱く,そして弱ケーニヒの補題とは比較不可能であることが示されている。

すると, \mathsf{RT} ^2 _2 で何が示せるか,という疑問が出てくる。

 

問題  \mathsf{RT} ^2 _2 からアッカーマン関数の全域性や  ^ \omega\omega の整列性は証明できるか?

これらは  \mathsf{I}\Sigma ^0 _2 \mathsf{RT} ^2 からは証明可能である。一方で \mathsf{B}\Sigma ^0 _2はどちらも示せない。

 \mathsf{RT} ^2 _2 の強さは興味を持たれていて色んな問題や予想が立っている。

魔境っぽい感じだったので詳細を書くことをやめたがいつかまとめたい。

 

Hindmanの定理

どのように自然数全体を  r 個の類に分割しても,無限集合  S \subseteq \mathbb{N} であって  S の元の有限和全体  \mathrm{Fin}(S) がある類に含まれるようなものが存在する

という主張を Hindman の定理という(  \mathsf{HT} と表す)。*1

 \mathsf{HT} \Rightarrow \mathsf{ACA}_0 \mathsf{ACA}_0 ^ + \Rightarrow \mathsf{HT} は知られているが,それ以上はまだわかっていないらしい。

ここで  \mathsf{ACA}_0 ^ +  \mathsf{RCA}_0 + \forall X ( X^{(\omega)} \textrm{exist} ) である。( X^{(\omega)} Xのωチューリングジャンプである。)

問題 \mathsf{HT} の強さを特定せよ

 

代数

Wikipedia \mathsf{ATR}_0 と同値となる定理を見ると,可算被約アーベル群に対するUlum の定理というのがある。

ざっくり見ると被約という条件があれば可換群の定理は  \mathsf{ATR}_0 で扱え,被約性を外すと  \Pi ^1 _1 -\mathsf{CA} _0 が出てくるらしい。

そこで次のような問題が出ている。

 

問題 次のふたつは  \Pi ^1 _1 - \mathsf{CA}_0 と同値か?

 G , H を可算ねじれ可換群であって G + G H + H が同型となるものとすると, G H は同型である。

 G , H を可算ねじれ可換群であってそれぞれはもう片方の直和因子となっている。このとき  G H は同型である。

 

Friedmanはこれらの成立と,またこれらは被約性を付加すれば  \mathsf{ATR} _0 と同値になるだろうと予想している。*2

 

他には,アルティン環ネーター環である,という定理が \mathsf{WKL} _0 を導き,  \mathsf{ACA} _ 0 から導かれるということが判明している。この定理の強さはどうなるか?という問題が残っている。*3

 

ジェネトポ

二階算術では完備可分空間がうまくコード化できるので解析学などの定理はその上で調べられるが,ジェネトポをやるにはこれは微妙である。そこでMummer と Simpson により第二可算な位相空間について  \mathrm{MF} 空間というものを用いて調べることが考えられている。

 P を半順序集合とする。 P に対して定まる  \mathrm{MF} 空間  \mathrm{MF}(P) とは,点を  P の極大フィルターとし, p \in P N_p = \{ F \in \mathrm{MF}(P) : p \in F \} を基として定まる位相が入った空間である。

 

 \mathrm{MF}空間について次のことがわかっている。

 \mathrm{MF} 空間に制限したUrysohnの距離化可能定理 :  \mathrm{MF} 空間が距離化可能であることと正規であることが同値 は, \Pi ^1 _ 1-\mathsf{CA}_0 上で  \Pi ^1 _2-\mathsf{CA}_0 と同値

しかし,\mathrm{MF} 空間が逆数学をするのにどのくらいふさわしい空間なのかはまだわかっていないようだ。例えば次のような問題がある。

問題  \mathrm{MF} 空間における Alexandroff の一点コンパクト化の定理の強さはどのくらいか?

 

 おわり

数学の定理の数だけその逆数学が考えられるわけだから,たくさんの問題がまだあるのだと思う。

色んなことを書きたかったが,疲れたのでこの辺で一旦やめることにした。今後更新すると思われる。

逆数学の未解決問題についてもっと色んなことが次の文献で載っている。

ANTONIO MONTALBÁN, OPEN QUESTIONS IN REVERSE MATHEMATICS 

https://www.jstor.org/stable/41228534?seq=1

 

またRamsey型の定理の逆数学の魔境っぷりは次に詳しく書いてある。

Ludovic Patey, Open questions about Ramsey-type statements in reverse mathmatics

https://ludovicpatey.com/media/research/open-questions.pdf

 

同著者によるRamsey型の定理に関する逆数学についてのthesisもあった。参考にしたい。

Ludovic Patey, The reverse mathmatics of Ramsey-type theorems

[1601.04428] The reverse mathematics of Ramsey-type theorems

 

おわり 

*1:Hindmanの定理の証明は色々知られていて,離散半群のストーンテェックコンパクト化から得られたりする。ここにそういう話が載っている https://o-ccah.github.io

*2: https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=3158238 

*3:https://www.jstor.org/stable/40997215?seq=1

2019年11月13日 ペンギン

何もない日々を無意味に過ごすのではなく方向性を持つこと。

死ぬまでの間の時間を消費するという危機感を持って過ごしている。最近ずうっと意識していたことは,自分の信念を貫くこと,それはつまりやるべきことをやる(もっと具体的には数学それから最近は音楽と物理に興味がある)ということと,特別な人との関係を保つことだった。

だが,二つのめの目標がさらっと消えてしまった。

 

その予兆は何となく冬から感じていてずっと焦燥感があったが,その焦燥感から間違えてしまわないために落ち着こうとずっと自分に言い聞かせていた。

落ち着くというのはそれを保留にするとか余裕を持つとかそういうことで,つまり「その物事を考えない」ということだった。

悠長に構えた意味は特になく,というか最初から全てに意味は特になく,まあ終わってしまった。

関係性はまだ消えてないのかもしれないが,「特別」では無くなってしまった,もう特別では有り得なくなってしまった時点で,「特別な関係性」ではなくなってしまったから終わりだ。

 

特別な関係性というのは人生にとって重要な意味を持っているものなので,当然巨大な意味の喪失に途方に暮れてしまった。

人は孤独に生きるのが怖いので,誰かが自分を肯定してくれていること,自分が誰かを肯定していること,その相互性に強い意味を預けてしまう。しかしわたしの場合は,そんなそうごせいはわたしが勝手にそう思い込んでいるだけのものだった。

 

最初はかなり辛かったが,揺るぎない喪失の事実が自分に何をもたらすかということを反省し始めると,これが新しい節目となって今まで考えてきた人生の方向性とは全く違う道へ進む自由が自分に与えられたのだと思えてきた。

その感覚にワクワクすることもできたが,やはり喪失した意味の大きさや失った時間の大きさを思い出すと辛くなる。

 

特に,それが単に自分が特別な意味を与え合っていると思い上がって過ごしてきただけという事実に,自分への強い不信感・自分というものの無意味さを感じてしまう。

この自分が無意味なものであるという感覚はどうやっても逃れようがなく,とにかく気をそらし続けるしかない。

 

未来のことを考えている時間は,新しい自由さにワクワクできる。

過去のこと,自分のこと,失ったもののことを考え始めるととにかく辛い気持ちになる。

だから,前だけ見て,他の物事はとにかく考えないことにし,目をそらし続けるしかない。

2019年8月23日 時間

存在-関係 という文字列を見て,その通りだなと思った。

今ある自分の存在を書き記すことと,世界と関係し続けるために,日記をなるべく書いていきたいなと思った。

私にとって生活の時間を共有できる人たちはとても少ないが,世界(時代とも言っていい)を共有できる人も限られるのだから,寂しいことだなと思う。その寂しさを紛らわすために,何かを書き記していきたい。

 

最近ポケモンGOを始めて,街中にある不思議な建築物や古い神社・場所,それから繁華街にある銅像にそれぞれ名前があることを知った。面白いなと思った。

特に関内駅の近くにある,圧力をかけて潰された球みたいなオブジェに『忍耐』という名前があるのを知って良かった。

 

9月に行く旅行の予定を立てた。宿泊地は綺麗な部屋がいいというだけの理由で選んでしまった。

ふと思ったがひとりで宿泊する旅行はこれが初めてだ。自分や環境は変わっていくのだなと思った。

エルデシュのように世界中を巡って色んな人と色んな数学をしながら生きてみたいなと思う。美しいものを見たり,人と素晴らしき何かを見出すことに体験をして過ごしたり,とにかく主観的な発見の中で暮らしていたい。今は思うだけだが。

 

やるべきこととやりたいことが増えて,死ににくくなると,どうせ生きて長く時間を過ごそうとするなら幸せを目指そうかなという気持ちも湧いてくる。

どうやらするべき数学をすることだけでは人は幸せには成れないらしいから,他に何をすれば幸せになれるのか考えている。自分は今まで自分が幸せになっていると思ったことがないから,どの状態が幸せなのかわからない。

別に自分が不幸だと思っているわけではなくて,数学とインターネットと,音楽を聴くことと布団で寝ることと,エアコンをつけることとご飯をたまに食べることが今のところできているから,不幸ではないなと思う。

 

人間の幸せのモデルケースは,生殖をしたり家庭を持ったりして自分が選んだ愛すべき誰かを支えることに充実感を見出したり,一体感を持って寄り添って生きることだと語られる。あるいはもっと欲望に率直な,えらい職や権威やお金を持つことで気持ちを満たすこと,その二つで語られる。

 

お金は使おうとして使った試しがないから,欲しいと思うことがない。

というかお金があったら何ができるか想像がつかないから,欲求がわかない。

就職でもして稼ぐようになったらそういった気持ちがわかるようになるだろうか。

 

家庭や生殖の話は,よくわからない。

人々は家庭の話になるとマッチョ的で家父長的な男性への憧れだったり,内向的で家で家事に勤める女性への憧れだったりを持っていることが多い。

そういう性の願望が普段の人々の生活の中から透けて見えてくると気持ち悪いなという気分になる。別にこの形の願望が無理なのではなく,知性に興奮するとか,何でもいい。そういう性の願望が性ではないような扱われ方をして,当然のように露わにしてくる人間の社会や生態が無理だ。

もっと端的にお持ち表明ツールであるところのインターネットでそういったものをたくさん見るし,そういった性の願望なり何なりに自分も全く他人事ではないしどうにかしてほしい。社会の中にある人間の生殖欲求が大きな力を成して渦のようになっていて,それがどこにいても目の前のことのように見えていて,夏になるとセミがたくさん鳴いていて,勘弁してほしいなと思う。こういう気分を克服して,生殖と家庭の世界に自分を組み込んでいくと人々が言うような幸せを自分も手に入れられるのだろうか。

 

自分が求めているのは,発見の体験と美しいものを見ることで,そこに他人や物質は副次的にしか関わってこないのかな,とも思う。であればきっとお金も家庭も目的にはならないのだろう。求めているものと,幸せがずれてしまうのかな,と思う。わからない。

今日は抽象的なことを書いてしまった。もうやめる。

 

2019年7月29日 日記

最近よく日記を書いている。単に一過性のマイブームのようなもので,そのうち飽きるだろう。

まともに稼働するノートパソコンがほしいと5億年くらい思い続けていたが,最近新しいノートパソコンを買って,手に入れた。

Apple Storeではクレジットカードなしでローンを組んで購入できるという理由だけでmacを買った。

もしクレジットカードを使っても良いということならファーウェイとかの強そうなやつを買っていただろう。

(大学生になったとき大学の生協と提携してるクレカを作ろうかと思ったが,親が生活保護を受給する前はクレジットカードの多重債務者で,何らかの弁護士法人から毎日 脅しの手紙が届いているのを見てからなんとなくクレジットカードが怖いという印象があって,作っていない)

 

最近は暑くて,暑いなと思う。

セミがもう鳴いていて,セミがもう鳴いているなと思う。

幼い頃は季節に対して敏感に反応するのはそういうことしか見るものがない老人のしぐさだと思っていたが,それによれば自分ももう老人なのかもしれない。

 

セミは地上に出てから七日間しか生きないとよく言われるが,実際には二十日くらい生きているらしい。世の中に広まることばがいかに適当であるかと思う。

セミは地上に出てから七日間しか生きられない」という話を聞くたびに,きっと江戸時代とかに誰かが地中から出てきたセミが死ぬまでを観察したんだなあとか漠然と思っていたから,そうでないらしいと知ってクソだと思った。

 

いろはすが果汁0パーセントなのにくだものの風味がありすぎて怖いというのは私はいろはすの味付き(たしか最初はみかんだったと思う)がこの世に出たときからずっと言い続けていたが,あまり同じことを言う人を見かけなくて寂しく思う。

 

家の周りには野良猫がたくさんいる。猫というのは常に下痢みたいなくさい糞をする。

野良猫は草むらや空き地で糞をするのだが,最近なぜか近所の人たちが草むらや空き地を全て封鎖したので野良猫が道路のど真ん中で糞をするようになって,道路が常に臭い。やめてほしい。

 

ぐんぐん育つ植物,ヒマワリのような,を見るとその動的な様子に怖くなる。結局わたしが植物が好きだと思っているのは相手が弱く無抵抗な存在だからなのかも知れない。

 

そう思うと自分が嫌になる。