読む毒

イヌ

2019年7月29日 日記

最近よく日記を書いている。単に一過性のマイブームのようなもので,そのうち飽きるだろう。

まともに稼働するノートパソコンがほしいと5億年くらい思い続けていたが,最近新しいノートパソコンを買って,手に入れた。

Apple Storeではクレジットカードなしでローンを組んで購入できるという理由だけでmacを買った。

もしクレジットカードを使っても良いということならファーウェイとかの強そうなやつを買っていただろう。

(大学生になったとき大学の生協と提携してるクレカを作ろうかと思ったが,親が生活保護を受給する前はクレジットカードの多重債務者で,何らかの弁護士法人から毎日 脅しの手紙が届いているのを見てからなんとなくクレジットカードが怖いという印象があって,作っていない)

 

最近は暑くて,暑いなと思う。

セミがもう鳴いていて,セミがもう鳴いているなと思う。

幼い頃は季節に対して敏感に反応するのはそういうことしか見るものがない老人のしぐさだと思っていたが,それによれば自分ももう老人なのかもしれない。

 

セミは地上に出てから七日間しか生きないとよく言われるが,実際には二十日くらい生きているらしい。世の中に広まることばがいかに適当であるかと思う。

セミは地上に出てから七日間しか生きられない」という話を聞くたびに,きっと江戸時代とかに誰かが地中から出てきたセミが死ぬまでを観察したんだなあとか漠然と思っていたから,そうでないらしいと知ってクソだと思った。

 

いろはすが果汁0パーセントなのにくだものの風味がありすぎて怖いというのは私はいろはすの味付き(たしか最初はみかんだったと思う)がこの世に出たときからずっと言い続けていたが,あまり同じことを言う人を見かけなくて寂しく思う。

 

家の周りには野良猫がたくさんいる。猫というのは常に下痢みたいなくさい糞をする。

野良猫は草むらや空き地で糞をするのだが,最近なぜか近所の人たちが草むらや空き地を全て封鎖したので野良猫が道路のど真ん中で糞をするようになって,道路が常に臭い。やめてほしい。

 

ぐんぐん育つ植物,ヒマワリのような,を見るとその動的な様子に怖くなる。結局わたしが植物が好きだと思っているのは相手が弱く無抵抗な存在だからなのかも知れない。

 

そう思うと自分が嫌になる。

 

2019年7月22日 プロメアの感想

プロメアの感想です。

ネタバレ全開 (ちなみにわたしはネタバレについてこと細かく注意する宗教的な立場を取っていないので細かく注意しません)

 

先月からずっとお金が入ったら映画を観に行こうと心に決めていた。

お金が入ったので今日は最寄りの映画館でプロメアを見てきた。

海獣の子供かプロメアかだったから見ようか悩んでいたが,最近の暗い気持ちを晴らすべく派手な映画を見ようと思ってプロメアを見た。期待通り,派手だった。

(実は家を出たのが上映開始時刻の25分前で,映画館は電車で4駅ほど遠い場所にあるからこれ間に合わないのでは?と思っていたが,バスと電車を適度に組み合わせたらギリギリ間に合った。これが変分原理というやつですね)

 

映画を観た後にイラストとか感想とか調べようと思ったけど,長ったらしい他人の感想を見たりpixivから好きなイラストを探し出す気力がなかったので逆に感想を書くことにした。箇条書きで書いていく。

 

・バーニッシュの差別や迫害の解決について

ある属性の"ひとたち"が既存の人類社会の形に相容れないため,マジョリティである人類社会から迫害を受けたり,対立が起こるというタイプの作品は最近よくある。
例えば東京喰種はそうだろうし,現実での差別や迫害をテーマにした作品などは全てそうだろう。

こういった作品のいくつかでは最終的にその属性のひとたちが全員"ふつうの人間"になるという治療をもって,"解決"となるエンディングがあることが多い。

自分はこのタイプのハッピーエンドはどうかと思うことがあって,迫害されてきたひとたちのその属性は確かにアイデンティティであって,それを消すことは解決ではないだろうと感じる。

今日見たプロメアもバーニッシュがすべて人に戻りエンドという内容だったが(巨大なネタバレ),これに対していまいったツッコミは当てはまらないだろうということを最初に書きたかった。 バーニッシュの問題とは,プロメアが地球に来てしまった事故が由来であり,これは属性の問題というよりは事故の問題だろうと感じた,というだけ。

 

・ロボットについて
事前情報はほぼ何も調べていなかったがツイッターでイラストが流れてくるので登場人物の顔はなんとなく把握していた。
冒頭からロボットがたくさん出てきて,イラストではあんまりロボットを見なかったので(たぶんイラストレーターの方が大変であんまり描かないのだろう),「ロボットが出る系なのか」と身構えてしまったが,ロボットそのものは道具的な存在であってあまり強調されていない感じがロボット系アニメに馴染みのない自分でも受け入れやすかった。

特に簡単にロボットが破壊されて,新しいものに乗り換えたりする感じは道具的だなと思った。
(なんとなく知っているロボット系アニメはロボットに対して強い執着を持っているイメージだったが,プロメアはあまりそうではなかった)

最終的にドリルが出てきたり,ロボットが天体規模でデカくなったりするのはいつも通りだなと思った。(と言ってもグレンラガンは少ししか見てないのでにわかなことしか知らないが)


・冒頭や最初の火消しと戦闘シーンについて
冒頭の世界各地でのバーニッシュが描かれるシーンは映画の開幕っぽくてよかった。

最初にガロとリオが戦うシーンは東京モード学園のCMのかっこいいやつが30分くらい続いてるみたいな感覚があってすごかった。

 

・BGMについて
よかった。自分は映画でBGMが場面に合っていないとセリフとか演出とかがすべて芝居っぽく見えてしまうのだが,あまりそういうことはなくて,熱くてハードでシリアスなシーンでもノリノリで見ることができた。

 

・クレイについて
堺雅人が本気で叫び声を出してるのが聞けてめちゃくちゃ面白かった。

 

・リオについて
リオの服装がだんだんはだけていくのがえっちだった。特に終盤にはリオが上裸になってガロと二人で並んだことでふたりの体格の対比が,いや,これ以上は気持ち悪くなるのでやめておこう。

 

・キスシーンについて
めちゃくちゃ良かった。ガロとリオがキスするの,めちゃくちゃ良かった。


おわり

2019年7月21日 タニシ

むかし,よくタニシを見ていた。

小学校の教室には,各辺30センチメートルの立方体のような水槽があって,そこにメダカが閉じ込められていた。
そしてそこには何故かタニシが現れた。
何日か経つとタニシは増えたが,増えすぎるということはなかった。
増えすぎると苔(?)を食べ尽くして食料不足で死ぬのだろう。
水槽の底には死んだタニシの貝殻があった。
タニシはなぜ現れるのだろうと思った。
それは水槽に入れられた水草に卵が付いていたからだと思うが,目に見えない小さな卵から目に見える大きさの貝殻を残して死んでいくのは,無から有が生まれるようで不思議だった。

タニシの不思議は他にもあった。水中から体を逆さにタニシは水面をつたうように移動していた。

タニシを眺めていたのは,きっと雨の日の教室だったろうと思う。
小学校や中学校に通っていた頃は,雨の日でも暑い夏でも休むことなく学校に行っていた。
むかしは自由がなく,休むことができなかったからだ。

雨の日の学校は,雨が降る外の世界と隔離されていて,何か安心できる場所のようだった気がする。

大人になるにつれて自由が増えたから,雨の日や暑いに夏の日に外に出かけるということは少なくなった。
雨の日は部屋に閉じこもり,薄い屋根を叩く雨音を煩わしく思いながら布団にくるまった。
夏の日はカビくさいエアコンで気温を下げて,冷風を寒すぎだと思いながら布団にくるまった。
とにかく大人になってからはずっと寝ている気がする。
学校にいない時間が増えると,外から隔離される時間が無くなったように感じる。
家で寝ている話をしても仕方ないから,遠くに行った話をしよう。

子どもの頃は知らないところに行くのが好きだった。知らない場所のお祭りや,知らない海沿いの工場などを好んで行った気がする。
とは言っても小学生の頃はどこでお祭りがいつやるかなんて知らなかったから,とにかく遠くへ行こうと自転車で夕方まで進み続けて,たまたま見つけた神社で縁日があったとか,そんな程度だった。

海沿いの工場というのは,本牧埠頭だとか,磯子や根岸の工場地帯とか,川崎の工場地域のことで,色んな思い出がある。
工場地域周辺の住民(とくに川崎の怖い老人など)は怖かったのであんまり近寄りたくなくて,人が全くいない本当の作業区域をなんとなく歩いていたことが多かった気がする。

そういうところは,今も夜になんとなくいくことがある。

人がいない工場はいいところなので,みんなも見にいくといいと思う。

自分はよく世界が沈没して塩錆びた街を歩くような夢を見るが,幼い頃に海沿いで横浜や川崎の寂れた工場を見歩いていた体験がモデルになっているのではないかと思う。

書く気力がなくなってきたから,この辺で話をやめる。

2019年7月13日 たぬき

黒板を使って数学の話をするのは好きだが,チョークの粉をたくさん吸い込んでいるのは身体に悪いのではないかと不安になる。

チョークというのものが何で出来ているか知らない。直接的な毒ではないと予想する……貝殻か何かを砕いてできているのではないか,そう思う。

貝殻というのはきっとカルシウムのような何か……で出来ているはずだから,チョークを吸うと肺からカルシウムのような何かを吸うことになる。カルシウムを摂ることは身体にいいと言うから,チョークの粉を吸うことは身体にいいのかもしれない。

 

ベトナムの農家の暮らしの映像を見た。

湖か川から水を引いて,小舟が漕げるような水路のある水田でヘチマを育てていた。

その隣の畑ではナスを育てていて,立派に育ったナスを若い飼い猫が破壊していた。爪で引っ掻いたり,噛んだりして,ナスをだめにしていた。でもこの猫はいたずらを怒られることがないのだろうと思うと,羨ましい気持ちになった。

 

船を漕ぎたいなと思う。

むかし船を漕いだことがある。カヌーか何かの大会だった気がする。

塩水が跳ねて,しょっぱかった。東京湾の汚い海の水なんぞ飲みたくないと小学生の頃の自分は思った。今も思うだろう。よく知らないが東京湾は見た感じ汚い。

それから海はとても揺れた。船酔いはしなかったが平衡感覚がグラグラする感覚は続いた。

川の船ならそのようなこともないのではないかと期待する。

 

多摩川をよく見る。

私はただの無職だが,優雅に暮らしているからお茶会の用事で忙しい。お茶会は東京で催されるため,東京によく行く。

多摩川はいい川で,触ってみたいなと思う。

まだ多摩川に触ったことがない。

お茶会へ行く朝,いつも電車の窓から多摩川を見ている。

あそこに飛び込んだら間違いなく溺れ死ぬだろうなと思う。

多摩川に向かって石を投げてもきっと問題はないだろう。これは多摩川のすごさの一つであると思う。ふつう石を投げたら,例えば線路やひとの家や何らかのお店の中へ石を投げたら大変なことになる。でも多摩川ではそんなことはない。思う存分に石を投げていい。

でも石を投げるとかそんな野蛮なことはしたくない。

 

温泉に行きたいなと思う。でも温泉に入っているときいつも暇すぎてかなり困惑する。お湯の中で多動になってしまう。

大衆向けのいい温泉ではお湯の中でじっとしていられない人向けの仕掛けがいくつかあり,それはアスレチックだったり泡が出る何かだったり電気が流れる何かだったり,浮いてるアヒルのやつだったりする。私は一番最後に温泉へ行ったとき,浮いてるアヒルのやつをひたすら並べては波を起こして崩して遊んでいた気がする。そこには人が多くて自分以外に大人が何人かいただろうから,キモいなと思われながら見られていただろうと思う。

 

そんな話を人にしたら温泉の暇さに耐えられないならサウナに入るといいと言われた。サウナと水風呂の繰り返しをすると様々なことがよくなるのでお前はそれをする必要があると熱弁された。早死にしそうだから嫌だなと思った。

 

最近はだいぶ夏になったなと思う。

夏はとにかく暑くて嫌になる。汗(あせ)かくのがいやだ。全身から酸っぱくてくっさい汁(しる)を分泌しながら外を歩き回るなんて嫌すぎる。本当に嫌だ。

 

それから,夏になってゴキブリとよく出会う。家の中で出会う。ゴキブリの色は自分の髪の毛に似ているなと思う。基本的に黒だが薄く茶色いところがある。

ゴキブリは足音がうるさいのが特徴で,静かにして欲しいとよく思う。犬なんかはゴキブリの足音が嫌いらしくて,徹夜でゴキブリを追い回している。捕まったゴキブリはバラバラに分解される。まるでスプラッタ映画のよう。

 

ゴキブリが増えるとアシダカグモが増える。ゴキブリの増加とは関係がないのかもしれない。ただ単にアシダカグモが夏に増えている。

アシダカグモをこの間,捕まえてみた。手のひらで包んでみた。期待どうり,ふわふわで軽くて,妖精を手づかみしたらこんな感じかなと思った。ゴキブリを捕まえて食べる妖精が(犬の他に)家中にいるならそんなに頼もしいことはない。

人間への抵抗能力を持たないアシダカグモを追い回すのはかわいそうだと思い,あんまり触らないことにした。

 

最近のコンビニにはバスタオルが売っていたりする。清潔なタオルというのは気持ちがいい。見るたびに買いたくなってしまうが,コンビニでタオルを買ったことはない。

 

黒板の上に文字を書いているとき,あるいは本を読んでいるとき,あるいは人に話しているとき,物事の分別が昔よりはつくようになったなと実感するが,経歴は何も変化しない。経歴というのはつまらないものだなと思う。

 

家のまわりに放置しているバケツが怖い。裏返すと恐ろしい虫がたくさんいる気がする。

 

庭で育った青いゴーヤを採ってきて,リビングに飾っていたら3日くらいで真っ赤に熟して裂けてしまった。中から血の塊のような赤いタネが出てきて,どうみても怖かった。それはエイリアンの映画に出てくる奇声生物みたいだった。

 

庭で育てた野菜を食べることにいつも心理的な抵抗がある。

目の前の野菜を見てもなにか普段お店に並んでいる野菜と同じものには見えないなと感じる。

食べるという行為を全く受け入れられていないのだなと思う。どうにか,自分の手料理と,お店の料理,それからコンビニやスーパーに並んでいるものは食べることを受け入れられているが,それ以外はまだまだ無理なのだなと思う。

 

ツイッターでは毎日ひとのセックスとお金の話で盛り上がっていて,飽きないものだなと思う。

 

私の仕事は,隣にできる大きな建物や思春期の子どもの真剣な顔をただ眺めているまま過ごすことなので,これは地蔵のようなものだなと思う。

 

友だちが東京でハクビシンを見たことはあるが野生のタヌキを見たことはないと言っていた。友だちが家族全員がタヌキを見たことがあるから,同じ家(地域)に住んでいるのに自分だけタヌキを見たことがないのは残念だと語っていた。

私はハクビシンを見たことはないがタヌキなら何度か見たことがある。

最近はタヌキになりたいなと思う。タヌキはかわいい。かわいいものになりたいなと思うだろう。

 

キーボードに使っていた電池が破裂してよくわからない液体が漏れていたことをよく思い出す。おそろしいなと思う。

スマートフォンとかも爆発するかもしれないと思って,寝るときは枕元から離して置くことにしている。

 

時計の秒針の音を聞くのに最近ハマっている。腕時計の秒針が優しく鳴っているのが聞こえる。勤務中,地蔵になっているとき,ずっと腕時計の秒針を見ている。

枕元に腕時計を置いて,秒針の音を聞いていると,嫌なことを何も考えずに寝ることができる気がする。

2019年4月29日 カサブランカ

春がきた。
春がくると植物はめきめきと湧き出し,虫も湧いてくる。
蟻や,蜂や,蝶や,蜘蛛が歩いている……
自転車に乗った人も歩いている……

 

公園に池があって,鯉が泳いでいる……

この間は椿や桜の花が咲いていたが,咲き終わって,今はツツジや藤の花が咲いている。

 

最初に春が来たことを告げるものはソメイヨシノだったりホトトギスだったりチューリップだったり,する。
一万円もきっとそうだろう。
あるいは洗濯物かもしれない。犬も猫も騒ぎ出す。網戸もそうかもしれない。菜の花も咲いていた。
そういえば蚊が飛んでいたのだった。血を吸う蚊はいくつかいて,ヤブカとイエカというらしい。一匹のイエカに襲われて,こわいと思った。


春を告げるのはサボテンでは,きっとないだろう。自動車でもない。
レモンでも,きっとない。(いや,レモンはわからない。)
金魚はわからない。マスクはわからない。猿はわからない。布団はわからない。埃はわからない。ティッシュペーパーもわからない。
紙もきっとわからない……

 

風邪をひいて,寝ていた。咳をしなくても声が出なくなるのはふしぎだった。

いや,寝ていなかった。寝る前の子どものように暴れ,パソコンのように熱を帯びた。
風邪をひいても,うどんは食べなかった気がする。

髪を梳かし,何度か寝た。なんどかなんどか,寝ていた。


職場に着ていくスーツがあるが,くしゃくしゃのまま置いてある。

パソコンのファンは埃を吹いていた。熱を帯びて吹いていた…… ドライヤーが髪を乾かすときも,そうだ。掃除機のうるさい音とも,似ている…… ただ,工事の音はもっとうるさい。金属が固いもの叩く音は,いちばんうるさいだろう。

 

動物園のキリンには,春が分かるだろうか……
キリンは草をたくさん食べる生き物で,模様が面白い。(白くはない) どこかから連れられて日本の動物園の檻のなかにいるのだった。
檻のなかに,檻のなかに,檻のなかに……

檻のなかは電車や教室のように広かったり狭かったりするだろうか……

 

実家の白い壁紙に埃がついていた。凹凸のある,弾力のある,壁紙は……爪を立てると,直らない跡ができる。白い壁にも春は分かるだろうか。

 

本を借りて読んだ。いくつかの本を借りて,1日で160ページ読んだ。あぐらをかいて読んでいた。色褪せた紙のにおい……


青い雲に覆われた夕焼けに,タンポポの綿毛を吹き飛ばした。

 

そうだ,タンポポがたくさん咲いていた。騒がしく,タンポポはたくさん種類があって,たくさんの名前がある。よく見るとどれも形が違う。
白いやつが,好きだった。
白いタンポポを,探した。
犬もいた。
犬は一緒に歩いていたが,白いタンポポを探していたのではなかっただろう。
犬は…… 木の枝をかじったり水を飲んだりしていた。


蛇口から水を飲む…… 小学生の頃,そうだった。中学生の頃も,そうだった。

中学生のころは,小さなタオルを持っていた。
学校のグラウンドの砂埃のにおいが,いつもあった。体操着にはそのにおいがついていた。
水道で顔を洗って 小さなタオルで拭いていた。タオルを忘れたら拭いていなかった。

中学生のころは,数学は知らなかった。

顕微鏡や宇宙があることも知っていて。富士山を知っていた。シュレディンガーの猫,歯磨き,図書館,サラダ,棺桶,電池,キーボード,通販……を知っていた。


ザリガニが,きたなくて怖かった。
せせらぎの小さなカニは好きだったけど,見たことがなかった。

ワサビは,冷たい湧水のあるところで育つらしい。ワサビを生で食べてみたいと思った。


自販機で飲み物を選ぶのが好きだった。
やはり,数学は知らなかった。

 

土壌が広がっている。
春が土を温めている。コンクリートアスファルトと室外機の街も温めている。

小学校には小さなタンポポはあっタだろうか?
学校の畑には,じゃがいもやゴーヤを植えていた。ひまわりも,あったかもしれない。

 

教室のベランダで,プラスチックの鉢にカサブランカを植えていた。鉢に自分の名前を書いていた,かもしれない。書かなかったような気もする。

 

春になって,カサブランカを公園で見たのだった。

植物は静かに,備えていた。
背丈を伸ばして,夏を待っていた。

2019年4月1日 労働の記憶

こんにちは。

私は東京にある大学の数学科に通っているような学生で,最近は逆数学と代数幾何に興味があります。
先日,いわゆるアルバイトと呼ばれるものの面接を受けたのですが,2週間くらい経っても採用の連絡が来ず,履歴書の連絡先を書き間違えたか,あるいは不採用のどちらかではないかと感じながら過ごしています。

面接を受けたのは家の近くのきれいな大型書店でした。
アルバイトの面接を受けることはほぼ一年ぶりでしたが,採用されると都合が良かったので採用されなかった(だろう)ことに悲しみを感じました。

そこで私はどうして採用されなかったのかを考えることにしました。私は面接当時,全くの無感情で緊張も何もなく,かなり質素な受け答えをしていたことを思い出しました。
面接を受けたら緊張やストレスを覚えるだろうなと思っていたので,あれほど無感情になれたのは珍しく感じました。
当時の私の心境は,生活費に(慢性的に)困っているので金銭を得る必要があるとは感じていましたが,それ以外は全くの無でした。
そして,そういった無感情で質素な人物は,採用を判断するには人柄が不透明すぎると思うのが一般的感覚ではないかと自分は予想しました。
そこで自分が労働というものについて,どのような関わりや思い出があったかを振り返ることにしました。
労働について何か感想を持つことで人間味を増やし,今後採用を判断する人間が私に不透明な印象を持つことが減らせれば良いだろうと考えたからです。

せっかくなのでそれをブログにも載せることにしました。(ブログに載せる意味については私は考えていないので,読む意味を見出せた方のみが読むと良いでしょう。)


以下目次です。

 

1.私の近況など
2.コンビニバイトの体験
3.イベントスタッフの体験
4.引っ越しバイトの体験
5.まとめ

 

1.私の近況など
最初に私について話してみようと思います。
私はお金がありません。私の実家は非常にお金がなく,仕送りのようなものを直接的に貰わずに生活しています。どのくらいお金がないかというと生活保護を受給するくらいです。そういう訳あって住所は実家ではありません。生計の具体的な実情はここには書くつもりはありません。
私は今は数学に興味があり,労働は数学ではなく,また時間が搾取される内容が多いので抵抗感があります。
お金を使ってできることには基本的に意欲がなく,お金は生活に必要なものである,ということ以上の意義を感じていません。
しかし,私は生活を果たせるほどのお金の出所が現状はありませんので,給与を貰わなければ生活が果たせません。
生活を果たせないことは,私の生活に重大な問題を起こします。
重大な問題を防ぐため,私は労働をし,給与を得ることにしました。
そこで,近所の大型書店の採用面接を受けることにしました。
そこを選ぶ成り行きはあまりに自然で,本当に何も感じていなかったのですが,こうして反省してみると私の体験や性質,歴史的経緯があると感じました。大雑把に言うと,私は

作業は単純だと良い(体力が必要であっても良い)
シフトは固定的だと良い
家に近いと良い(また早起きする必要がないと良い)
柔軟な接客はない方が良い
客層が悪くない方が良い

などのことを暗黙のうちに仮定していたことが分かりました。
何故そう思うにようになったのか,それは私自身の体験や歴史的経緯を観察することにより考察していきます。

 

2.コンビニバイトの体験
土地柄なのか普遍的なのかはわかりませんが,私がいたコンビニでは昼下がりから夕方にかけては機嫌の悪い老人のような客が多く,夜からは疲れて余裕を失った仕事帰りのような客が多くいました。総じて客は攻撃的な傾向があり,私は嫌な思いをすることが度々ありました。

業務内容は多岐にわたり,人間の生活の全てを司るロボットになるような気分がしました。
しかし私はそのような役割を与えられたロボットにしては几帳面ではなく,やる気がなかったため。結果,すぐにやめました。
なかでも,店長が接客の声を大きくするように求めてきて,4時間程度の勤務で毎日声が少し枯れて帰ることになったのが一番嫌でした。

私は,多彩な対応を求められたり,攻撃的な人間に丁寧に接客をするのは嫌だなあと感じるようになりました。

 

3.イベントスタッフの体験
イベントスタッフでは,イベントの開催に合わせて1-2週間ごとにシフトを調整して働きました。イベントというのは主にスポーツ系のものでした。
シフトの予定決めや連絡がこまめで,頻繁に電話で連絡するのがストレスでした。
向こうからいつ電話が来てもいいように構えるのも,自分から適切な時間を見計らって電話をし予定管理者を呼び出すのも億劫でした。

仕事の日は目的地のスタジアムに行き,小規模のスポーツイベントではテントの設営や回収・入場時のチケットの確認・客の誘導・警備に準ずるような役割をしました。
大規模なスポーツイベントでは,物品販売・お弁当販売・ポップコーンなどの軽食販売,それからお酒の販売がありました。

大規模なスポーツイベントとは野球のことで,スタジアムにはたくさんの観戦客がいました。
スタジアムはお酒の持ち込みが禁止されているため販売店がその場でお酒を入れて売ることになっていました。お酒の販売は,お酒の名前と作り方の対応を覚えるのが大変でした。
物品販売ではレジがないため小型バーコードリーダ兼決済マシンを扱いました。その小型機械はボタンが少なく操作が分かりにくく,その上客はたくさんくるので疲れました。
それから,客が指定した商品は店頭に並べられているとは限らず(例えば記念Tシャツなどがそう),ガラクタの山のように積み上げられている段ボールの中から探し出すのが大変でした。

一方で小規模スポーツイベントでの設営や誘導は比較的楽に感じました。設営というのは具体的にはテント・座席・看板・売店などの設置と回収をしました。
イベント終了後にたくさんの人々に対し マイクを持って帰りの案内を繰り返し伝える役割をしたこともありますが,意外と緊張はせず,アナウンサーでも何でもない自分がたくさんの人に何か喋りかけていると思うとおかしく感じ,楽しい思い出になりました。

結局,毎日違う作業をするのは慣れにくく,慣れないのにたくさんの客を相手にしないといけない忙しさがあることに疲れました。


4.引越しバイトの体験
イベントスタッフの体験から販売は辛いが運搬などはそんなに辛くないという感触を得たので,去年の春休みに10日間ほど連勤して辞めました。
繁忙期ということで時給は良かったようでした。
引越しの業務形態はトラック1台ごとに運転手と補佐の2人チームがあり,繁忙期はそこにバイトが加わるというものでした。
そういったチームは場合によっては合流することもあり,移動経路や時間に合わせた柔軟な予定調整などは会社で待機している事務の人たちが細かく管理しているようでした。

仕事は基本朝の7時(そうでないときは10時)に会社集合で,トラックに乗って引越しの目的地へ行き,客の家で荷造りを部分的に手伝い,トラックのコンテナへ運びました。
荷物を運ぶ際に壁にぶつけても良いように,作業の前に壁に青い板のような緩衝材を取り付ける作業がありました。
台車を使うことも多いので床にも緩衝材を敷きました。
特にマンションでは,エレベーターを経由するので部屋からトラックまでの経路を全て緩衝材で保護しました。

作業は比較的単純で,トラックで移動→緩衝材を設置→荷物をコンテナに詰む→緩衝材を回収→引越し先へ移動→緩衝材を設置→荷物を客の指示通りに下ろす→緩衝材を回収と,繰り返しを感じるものでした。トラックでの移動中(片道30分〜3時間)はやることがなく,寝たり軽食を食べたりしました。他人の家にズカズカ侵入して荷物を持ち運ぶ感覚はたのしく感じました。

搬入作業はバケツリレーのような形で行われるので作業者同士のコミュニケーションは非常に多かったと思います。具体的には荷物の天地不動や,割れ物があるので落下注意などの伝達,荷物を落とさないためのかけ声などがありました。大型家電や家具のように複数人で運ぶものもありました。
バイトが運搬に集中していられるのは上司が細かい判断をして指示するからですが,そうでない"悪い"上司もいました。
ただ短期のバイトを労働力として上手く活用できないのは上司の指示が悪いというのは,上司たちの間には共有されているようで,上司の上司が雑な指示を叱っている光景もありました。
バイトは高校生や女性もいて,社員は体育会系っぽさは感じましたが若い人から真面目そうな人もいました。一応力仕事の部類らしいのですが,他の業界と比べて反社会的そうな人は少ない,と社員が語っていたのを記憶しています。

時間は7(or10)-16が基本で,場合によって残業が発生し21時終了になることもあったので長時間勤務の部類だと思います。
移動は基本的にトラックなので残業を断るときは会社へ帰っている途中の他のチームのトラックに拾ってもらうか,一人で電車で会社まで移動する必要がありました。自分は暇だったので残業は全て参加しました。
私は当時生活習慣が死んでいたので,朝7時出勤のために徹夜が習慣化しました。自分は睡眠時間が減ると体調不良が直に起こる体質でしたが,その体験から徹夜による体調不良に耐えて徹夜で作業する癖がつきました。結果,今に至るまでの間で健康は非常に悪化したと感じています。(病院に行かなくては……)
私は車も車に乗ることも嫌いなので,当時は毎日車が嫌いとツイートしていました。

結果,車に乗る仕事はしたくないと思うようになりました。
それから,早起きや長時間労働も嫌でした。
一方で手持ち無沙汰な時間や,知らないところに行くこと,筋肉痛になるくらいの重い荷物を運搬することなどにはあまり抵抗感がありませんでした。

 

5.まとめ
自分は数学科の人間ですが,ややこしい作業を覚えたり,毎日変わる作業に柔軟に対応したらすることに知恵を使う意欲は一切わかず,アルバイトでは単純な体力仕事の方が親しめました。
それから,攻撃的な人間を宥めるような作業も嫌いなので,そういった機会が多く発生するような接客にも抵抗感がありました。

 

そうすると私は棚をいじったり本を運んだり,レジで会計したりするくらいの仕事がいいなあと流れるように考えて書店バイトを選んだのだと思います。
書店の客層に攻撃的な人間が少ないというのは私が勝手に作ったイメージです。
それも,少なくともコンビニよりは遥かにマシであるでしょうし,そうであれは十分です。
それから私が最初に大型書店へ行ったときは,家から近いとか,店員の年齢層が自分に近いとかもそういう事情も考慮していたと思います。

 

こういったことを踏まえると,労働に対する意識を全く自覚していないながらも,自分にとって都合の良いものを明確に選んでいたのだということが分かります。
都合の良いものを逃すことは,なるべく少なくしていきたいところです。

 

残念ながら現代の日本では,私のようなただ多少の数学に詳しそうな無職は何かしらの単純な労働に従事し,雇用者に私の時間を提供することでしかお金が得られません。

そういう意味で,私は労働を避けることが今はできないでしょう。避けることができないのなら,都合の良いものを選びたいところです。
ここまで述べてきたような"確かな感情"や経緯が自分にあるということを忘れず,人と対面するときに無感情になり過ぎないように注意してみようと思います。
おわり。

2019年2月8日 無題

むかし話。

 

中学生の頃に通っていた塾がある。そこに国立の中学に通っている男子生徒がいて,彼と仲良く話していた。

ある日彼が将来の夢を語っていたのを聞いた。

この話には彼の友人が登場する。その友人は,将来の夢についてネパールの山脈でうどん屋を営むことだと語ったらしい。そのために有名大学の薬学部に進学し,薬剤師になってお金を貯め,その貯金でうどん屋を開くというのが将来の計画だそうだ。

その話に感銘を受けた彼は,その時がきたら自分もネパールへ同行する,それが自分の将来の夢だと誓ったらしい。

この話にはオチがあり,彼が言うにはネパールの危険地域に長期滞在した日本人が日本に生きて帰国できる割合は70%であり,友人と2人揃って帰国できる確率は1/2以下であるらしい。つまりこの夢を叶えたとき,帰国するときにどちらか1人は高い割合で死んでいる(あるいは2人とも死んでいる)のだと笑って語っていた。

今思い出すと最高にBLだなと思う。

 

ちなみに彼から5000円借りたことがあった気がするが,会ったら返そうと思ったまま二度と会っていない。