読む毒

イヌ

2019年7月21日 タニシ

むかし,よくタニシを見ていた。

小学校の教室には,各辺30センチメートルの立方体のような水槽があって,そこにメダカが閉じ込められていた。
そしてそこには何故かタニシが現れた。
何日か経つとタニシは増えたが,増えすぎるということはなかった。
増えすぎると苔(?)を食べ尽くして食料不足で死ぬのだろう。
水槽の底には死んだタニシの貝殻があった。
タニシはなぜ現れるのだろうと思った。
それは水槽に入れられた水草に卵が付いていたからだと思うが,目に見えない小さな卵から目に見える大きさの貝殻を残して死んでいくのは,無から有が生まれるようで不思議だった。

タニシの不思議は他にもあった。水中から体を逆さにタニシは水面をつたうように移動していた。

タニシを眺めていたのは,きっと雨の日の教室だったろうと思う。
小学校や中学校に通っていた頃は,雨の日でも暑い夏でも休むことなく学校に行っていた。
むかしは自由がなく,休むことができなかったからだ。

雨の日の学校は,雨が降る外の世界と隔離されていて,何か安心できる場所のようだった気がする。

大人になるにつれて自由が増えたから,雨の日や暑いに夏の日に外に出かけるということは少なくなった。
雨の日は部屋に閉じこもり,薄い屋根を叩く雨音を煩わしく思いながら布団にくるまった。
夏の日はカビくさいエアコンで気温を下げて,冷風を寒すぎだと思いながら布団にくるまった。
とにかく大人になってからはずっと寝ている気がする。
学校にいない時間が増えると,外から隔離される時間が無くなったように感じる。
家で寝ている話をしても仕方ないから,遠くに行った話をしよう。

子どもの頃は知らないところに行くのが好きだった。知らない場所のお祭りや,知らない海沿いの工場などを好んで行った気がする。
とは言っても小学生の頃はどこでお祭りがいつやるかなんて知らなかったから,とにかく遠くへ行こうと自転車で夕方まで進み続けて,たまたま見つけた神社で縁日があったとか,そんな程度だった。

海沿いの工場というのは,本牧埠頭だとか,磯子や根岸の工場地帯とか,川崎の工場地域のことで,色んな思い出がある。
工場地域周辺の住民(とくに川崎の怖い老人など)は怖かったのであんまり近寄りたくなくて,人が全くいない本当の作業区域をなんとなく歩いていたことが多かった気がする。

そういうところは,今も夜になんとなくいくことがある。

人がいない工場はいいところなので,みんなも見にいくといいと思う。

自分はよく世界が沈没して塩錆びた街を歩くような夢を見るが,幼い頃に海沿いで横浜や川崎の寂れた工場を見歩いていた体験がモデルになっているのではないかと思う。

書く気力がなくなってきたから,この辺で話をやめる。