読む毒

イヌ

2019年4月29日 カサブランカ

春がきた。
春がくると植物はめきめきと湧き出し,虫も湧いてくる。
蟻や,蜂や,蝶や,蜘蛛が歩いている……
自転車に乗った人も歩いている……

 

公園に池があって,鯉が泳いでいる……

この間は椿や桜の花が咲いていたが,咲き終わって,今はツツジや藤の花が咲いている。

 

最初に春が来たことを告げるものはソメイヨシノだったりホトトギスだったりチューリップだったり,する。
一万円もきっとそうだろう。
あるいは洗濯物かもしれない。犬も猫も騒ぎ出す。網戸もそうかもしれない。菜の花も咲いていた。
そういえば蚊が飛んでいたのだった。血を吸う蚊はいくつかいて,ヤブカとイエカというらしい。一匹のイエカに襲われて,こわいと思った。


春を告げるのはサボテンでは,きっとないだろう。自動車でもない。
レモンでも,きっとない。(いや,レモンはわからない。)
金魚はわからない。マスクはわからない。猿はわからない。布団はわからない。埃はわからない。ティッシュペーパーもわからない。
紙もきっとわからない……

 

風邪をひいて,寝ていた。咳をしなくても声が出なくなるのはふしぎだった。

いや,寝ていなかった。寝る前の子どものように暴れ,パソコンのように熱を帯びた。
風邪をひいても,うどんは食べなかった気がする。

髪を梳かし,何度か寝た。なんどかなんどか,寝ていた。


職場に着ていくスーツがあるが,くしゃくしゃのまま置いてある。

パソコンのファンは埃を吹いていた。熱を帯びて吹いていた…… ドライヤーが髪を乾かすときも,そうだ。掃除機のうるさい音とも,似ている…… ただ,工事の音はもっとうるさい。金属が固いもの叩く音は,いちばんうるさいだろう。

 

動物園のキリンには,春が分かるだろうか……
キリンは草をたくさん食べる生き物で,模様が面白い。(白くはない) どこかから連れられて日本の動物園の檻のなかにいるのだった。
檻のなかに,檻のなかに,檻のなかに……

檻のなかは電車や教室のように広かったり狭かったりするだろうか……

 

実家の白い壁紙に埃がついていた。凹凸のある,弾力のある,壁紙は……爪を立てると,直らない跡ができる。白い壁にも春は分かるだろうか。

 

本を借りて読んだ。いくつかの本を借りて,1日で160ページ読んだ。あぐらをかいて読んでいた。色褪せた紙のにおい……


青い雲に覆われた夕焼けに,タンポポの綿毛を吹き飛ばした。

 

そうだ,タンポポがたくさん咲いていた。騒がしく,タンポポはたくさん種類があって,たくさんの名前がある。よく見るとどれも形が違う。
白いやつが,好きだった。
白いタンポポを,探した。
犬もいた。
犬は一緒に歩いていたが,白いタンポポを探していたのではなかっただろう。
犬は…… 木の枝をかじったり水を飲んだりしていた。


蛇口から水を飲む…… 小学生の頃,そうだった。中学生の頃も,そうだった。

中学生のころは,小さなタオルを持っていた。
学校のグラウンドの砂埃のにおいが,いつもあった。体操着にはそのにおいがついていた。
水道で顔を洗って 小さなタオルで拭いていた。タオルを忘れたら拭いていなかった。

中学生のころは,数学は知らなかった。

顕微鏡や宇宙があることも知っていて。富士山を知っていた。シュレディンガーの猫,歯磨き,図書館,サラダ,棺桶,電池,キーボード,通販……を知っていた。


ザリガニが,きたなくて怖かった。
せせらぎの小さなカニは好きだったけど,見たことがなかった。

ワサビは,冷たい湧水のあるところで育つらしい。ワサビを生で食べてみたいと思った。


自販機で飲み物を選ぶのが好きだった。
やはり,数学は知らなかった。

 

土壌が広がっている。
春が土を温めている。コンクリートアスファルトと室外機の街も温めている。

小学校には小さなタンポポはあっタだろうか?
学校の畑には,じゃがいもやゴーヤを植えていた。ひまわりも,あったかもしれない。

 

教室のベランダで,プラスチックの鉢にカサブランカを植えていた。鉢に自分の名前を書いていた,かもしれない。書かなかったような気もする。

 

春になって,カサブランカを公園で見たのだった。

植物は静かに,備えていた。
背丈を伸ばして,夏を待っていた。