読む毒

イヌ

2018年4月16日 日誌

なんだか世間を騒がせている「バグダッド日誌」に関するツイートをいくつか見て、たまには自分も日記を書こうという気持ちになってしまった。

バグダッド日誌」というのはイラク派遣された陸上自衛隊の活動報告で、緊迫した情勢とは反対に空気系の日常4コマみたいな1日が並んでいてなんだか面白い。調べると出てくるので読むといいだろう。

調べなくても今は話題だからTwitterでたくさんそれに関するツイートやスクリーンショットが出てくるだろうが。明日の朝にはさっそくニュースで取り上げられているとも思う。

 

さて、毎度のことだが日誌を書こうと思うものの書くことが何もない。いつものように記憶にある出来事をいくつか箇条書きのように思い出して、全体として何のまとまりもないまま書き飽きたところで終わろうと思う。

 

ツイッターをしていると、いや、ツイッターだけでなく人間と関わっていればほぼ必然的なのだが、恋愛に関する話をよく聞くことになる。

みんな、恋愛をしていて大変そうだなと思う。全然ひとごとではないのだが。

何でそんなに大変そうなのだろう?と思ったが、自分の幸福に関する重大な問題なのだから、大変になって当然だと思った。

 

土曜日、学校をサボって浅草に出かけた。大学は今は履修登録期間なのでまだ出席はとってないはずだが、出席をとらない授業なのにレポート課題が出てたりするのでもしかしたらサボったのは不味かったかもしれない。あとで顔も知らない会ったこともない同学科生にその日の授業の詳細を聞いたが、無断欠席=再履修の科目があったらしく、おそろしい気持ちになった。まあ、気にしない。留年してもしなくても人生がつまらないことに変わりはないし、些細なことだと思う。留年したら学費が払えなくて退学することになるけど。

 

大学に行っても話す相手がいない。まだ誰とも話してないし、全員が話したいと思えないような雰囲気だ。教室に入るたびにみんなに退学してほしいと思う。高校生の頃は自分が中退したいと毎日思ってて、実際そうしたが、今は自分以外の人たちに退学してほしいと思ってるからきっと成長だ。

本当に自分以外みんなが退学したら運営に支障が出て自分も困ることになるだろうけれど。

 

大学にいる若い人たちは、何だかみんな中学生みたいで、関わりたくない。すぐに集まろうとして、とにかく大声を出してはしゃぐ機会を作ろうと働きかけている。髪を染めて、恋愛関係くらいしか悩みがなく、その悩みが何よりも深刻だと思ってそうな顔をしている。(顔で人を判断してはいけないし、人の悩みも馬鹿にしてはいけない。)

みんな、明日生きるためのお金のことで悩んだりしてなさそうだし、夜寝るのにも困ってなさそうで、親の金で買ってもらった服やゲームで楽しんでいそうで、そこまで全てが自分と異なった環境にある人たちと話やテンションを会わせろというのは、無理があるように感じる。

何だか、こういうのは傾モノであろうとする人たちがよく言いそうなことなので、これ以上言いたくない。

 

浅草の話をしよう。その日は、合計6時間の授業があり、最初の授業に20分遅刻して参加したが、次の授業は受けなかった。

何となく浅草に行きたかったので地下鉄に乗って浅草に行った。地図を見ると靖国神社や皇居が近くにあって、そこに行くか悩んだが、電車に乗るほどの距離ではなく、歩くにはまあまあの距離なので、歩くのが面倒だと思ったから電車で浅草に行くことにした。

 

地下鉄はなんだが閉鎖的で、風を切る音と電車が軋む音が怖く、ホラー映画でよく題材になるのもわかるなといつも思う。電車が到着するときは、さりげなく自分の死を感じる。一瞬だけ怪物が目の前に現れたような感覚、といっても伝わりはしないか。

ビルと道路で埋め尽くされている東京の地下に長いトンネルが立体的に交差していて、そこを今自分が高速で通過していると考えると地下鉄も楽しい乗り物であるという気はしなくもない。でもそれは想像で楽しむことに過ぎず、目の前にある閉塞感や軋みの音の不気味さには勝てない。

 

浅草にある大きな門を見たけど、何も感動しなかった。あれだけ大きな木造の門をどうやって作ったのかとか、門によじ登って上から人を見下ろしたら楽しいだろうなとかは思ったかもしれない。京都か奈良で似たようなものを見た記憶があるが、何だったか思い出せない。知恩院だったか、東大寺だったか。

フランスにも同じような大きな門があった気がする。海外にある"門"というのは基本的に石でできていて、だから日本の木造の門よりも遥かにスケールがでかい。でもスケールがでかくなると、細かい彫刻とか飾りが目視できないから、デカければ良いとも思わない。僕は凱旋門よりも日本の木造の門の方が好きだ。

 

あちこちで藤の花が咲いていて、良かった。藤は派手すぎない感じと、高い場所から垂れるからあまり接近できない感じが人間との距離感のバランスがよくていいと思う。好きな花だ。

 

浅草に行って、たくさんの外国人に揉まれたが、特に何も買ったりはしなかった。そもそも浅草の一番大きな通りは外国人向けのお土産ショップが多くて何も買うようなものがない。そこから少し離れると和食のお店だったり、和菓子のお店だったり、秘密基地みたいな落ち着いた喫茶店が増えて、そこには入りたいとも思ったが、お金を使いたくなかったのでやめた。いつか入ってみたい。

そこから更に離れると居酒屋やカラオケ、ファミレス、ネカフェ、ラブホなどが増えるジャンクな土地柄になってくる。

 

前に横須賀で友達2人と遊んだとき、秘密基地のような喫茶店に入ったことがある。その2人は音楽を作ってて、僕はあんまり共通の話題を持ってないので、黙っていたけど、楽しかった。基本僕は喋るとき以外は黙ってるので珍しいことでもないと思う。(自明な文だ)

落ち着いた喫茶店なのにゲラゲラ笑って会話してしまったから、友達の1人が今度からここに来れなくなると言っていた。でもその2人はずっとドラッグの話をしていたし、そっちの方が問題があると思った。横須賀は屈強なアメリカ人海軍兵士が多くて、シンプルに居心地が悪かった。デカい軍艦を見て、ああいうのに乗って戦争したりすると人は気持ちがよくなるんだろうなと思ったのを覚えている。

 

話を戻そう。浅草で何も楽しむことが見当たらなくなった僕は、目視で観測できるスカイツリーに向かって歩くことにした。スカイツリーに一度だけ行ったことがあって、そのときは母と妹が一緒だった。その時はスカイツリーに付属している展望台にも水族館にも入らなかった。たしかそのとき中学生だった僕も妹も母の財布を心配したのだろうけど、今思えばたかが数千円よりもあのとき3人でそういうところに入ることの方が母にとっては意味のあることだっただろうと思う。それから、母はお金があるので、何の心配もする必要がなかったとも思える。

 

スカイツリーに着いて、インドカレーを食べた。見た目がオシャレなので金額が高めだったが、家の近くのネパールカレー屋の方が僕好みの味だった。別に不味いわけじゃないが、二度とここに来ることも、食べることもだろう。

1人で入店したので、周りがカップルやグループが多いのと対比されて目立っただろうが、慣れたことなので気にしない。

 

そのあと、昔はいらなかった水族館に入ることにして、魚を見た。淡水魚のアクアリウムのレイアウトがかなり良かった。それからニホンウナギナマズがいたのが非常によかった。アマミオオウナギは何度か見たことがあり、そちらも迫力があって感動する生き物なのだが、ニホンウナギの生きてる成体は初めて見るので貴重な体験だと思った。(しかも数十匹いたので、本当に良かった。)

 

海水水槽に関しては特に覚えてない。普通のものだったと思う。ペンギンとアシカの水槽が隣接していて、本来なら捕食関係にあるこの生き物たちが隣接しているのは双方にとってストレスなのではないかと思った。それから、アシカの方が体の大きな生き物なのに、ペンギンの方が人気の生き物だから水槽が大きくて、少しアシカがかわいそうに思えた。

 

その日は登校のために昼に起きた、つまり早起きをしたので、スカイツリーの水族館で眠くなって少しうとうとした。いや、それなりの時間うとうとしていたと思う。

 

スカイツリーを出るとすっかり暗くなっていた。また歩いて浅草に向かった。浅草の通りはシャッターが閉まって人混みがなくなっていた。そこで踞っているうちに22時くらいになっていて、雨が降り出したのでファミレス(デニーズ)に入った。終電が24時で、電車に乗って家に帰る頃合いかなと思ったが、1時間電車に揺られて帰宅してただ寝て過ごして日曜日が自然に終わったらまた1週間登校して、とこれがこの先数年続くと思うとなんだかすごくしんどくなった。帰りたくないと思って、24時までファミレスで勉強していたら終点がなくなって、そこで朝まで過ごすしかなくなった。

このことをツイートしたら人から心配されるかもしれないだろうと思って、Twitterでは言わなかった。ブログに書いても同じだと言われるだろうが、不思議とブログは誰も読んでない気がするので、全部書けてしまう。

 

僕は睡眠時間の短縮には本当に弱くて夜更かしもオールなんかも全くできないのでファミレスで一晩過ごすのは辛く、ネカフェで寝ようとしたが、ネカフェの利用に入会が必要で、身分証に学生証が使えなくて会員登録できなかったのでダメだった。(僕は財布を2つに分けていて、身分証はその日忘れた財布の方に入っていた。)

デニーズに引き返して、さっきも食べたチョコレートカフェをまた頼んだ。わざとらしいチョコレートの味だった。

 

何度か寝ようと体勢を変えて見たが店内の明るさと音で全く寝れなくて、寝させてもらえない拷問を受けているときの苦しみはこんな感じかなあと思った。ある程度したら眠いのかそうでないのかよく分からなくなってきた。お腹が空きすぎると平気になってくるような感覚だった。こういう時僕はおしゃべりになるが、喋る相手がいないので独り言をしていたのを覚えている。

お酒を飲み始めたときとか、判断力が弱り始めたと自覚があるときは余計なことを言わないように黙るけれど、本当に頭が弱っているときは僕はおしゃべりになる。とくに眠いときとかもそうだし、僕は根本的にはおしゃべりだと思う。口数が少ないと思われるのは、相手に何を言うか厳選しているうちにその人に言うべきことが全部なくなってしまった場合だと思う。

おしゃべりでなければこんなブログを書いていないだろうし、Twitterもしてないだろう。

 

寝られない苦しみを受けつつファミレスで仮眠して過ごしていたが、3時頃にとうとう気が狂ってしまいのろのろ歩きながらラブホに向かった。昼まで寝ようとしたがどこも空き部屋なく、諦めた。そのまま駅に行って、そこで始発が来るのを待った。さすがにあの場面でラブホに入ってたら「頭の悪い1万円の使い方2018年ランキング1位」に絶対なっていただろうし、行かなくて良かったと思う。今考えるとビジネスホテルに泊まるべきだったと思う。おそらく何度かビジホを目視していただろうが、ビジホと普通のホテルの見分けがそのときはつかなかったし、思考力もなかった。

 

雨が降っていて、風が強かったのでたくさん濡れた。地下鉄のシャッター前ではホームレスが寝ていて、そこで雨宿りしようとしていた僕はホームレスと一緒するのは嫌だと思ってしまったので、外にある小さな屋根のところで体育座りして始発を待った。風が強かったので小さい屋根では当然雨に濡れた。

それから始発に乗って横浜に帰ったが、3回寝過ごして3回余計な駅に着いた。そのうち1回が高校の頃の最寄りだったので、なんだか懐かしかったが、懐かしさを堪能するほどの余裕はなかった。

 

横浜は浅草よりも雨が強くて、傘を持ってない僕は帰るとき大量に濡れた。そのとき前日からの1日の全部を後悔した。

無意味に終電を逃すのはもう二度とやめようと思った。

家に帰りたくないとかそんな理由じゃなくて、本当は僕はあのときはどうにか死にたくて、でも死ねないから朝まで彷徨ってただけなのだと思う。

 

水曜日には上野動物園に行った。もうだいぶ眠くなってきたので文章が一層粗くなると思う。

パンダを見たけど、見ただけだった。ウナギの方がよっぽど見ていて面白い。パンダはただカラーリングが面白いということと、笹を食うというキャラクターだけで人から愛されることが確約されていて、非常にムカつく。絶対に好きにはならないと思う。

その日の夜は歌舞伎町で肉を食べたが、本当は歌舞伎町にはあまり行きたくなかった。男が騒ぎながら歩いているのを見るとすごく辟易とした気持ちになる。大人しくできないのかお前らは、という気持ちになる。うるさい犬を見てるのと同じ気持ちだと思う。ただそれだけなので、食べた料理やアルコールはかなり良いものだった。同行者も良かった。

寝よう。続きは今度書く。