読む毒

9歳の女児です。東京大学理科1類を目指して浪人をすることになりました。このブログを読むとあなたの貴重な時間が消えます。

2017年5月29日 教えない

oidakiくんにブログを書けと言われてるので書く。

 

区役所で所々手続きをしてきた。保険証が出来たから、これでバイト探しが楽になる。区役所にマッシュみたいな髪型にマスクのお兄さんがいて、「その髪で仕事いいの!?」とちょっと希望が湧いた。区役所とか文科省とかで働いてるお姉さんって基本的にみんなかわいいの何でだろうね。働く女性の色気がある。でも40代あたりからみんな疲れた顔を化粧で誤魔化しているような人しかいなくなる。資本主義は、厳しい。競争社会は、厳しい。

 

この間、母チーターが鹿のような生き物を襲う映像をテレビで見た。チーターは鹿に逆襲されて鋭利な角で腹を引き裂かれた。腹から大腸が溢れているチーターは、困惑と苦痛の表情で、それでも子たちのために餌をとろうと足を引きずっていた。子供のチーターたちはまだ子猫のように小さくて、母を見て泣き喚くだけだった。子供たちは幼い。一人で狩りをすることは当然できない。美しい母チーターは失血で死に、可愛らしい子供たちは餓死か天敵からの捕食で死ぬだろう。そんな映像だった。あれが怖くて、なぜだか忘れられない。僕は、そんな風には、なりたくない。

 

最近ツイッターをやめたいと思うことが多くなった。

ツイッターには見たくないものが多すぎる。自分のツイートとか、人のツイートとか。そうやって見たくない現実に会うたびに僕は逃げる。「変わりたい」とか言い訳をして、ツイッターから逃げる。何事からもすぐに逃げる。都合が良くなったら、帰ってみたりする。本当に虫がいい人間だ。今日はブログに逃げてきた。

 

論理学の勉強は少しだけ順調だ。最後までやり遂げたい。僕は最後までやり遂げたことが少ないから。

 

六畳間に閉じ込められているぼくがみんなのために出来ることはほとんどない。多分、平日なんだから早く寝ろと注意喚起して、みんなの睡眠時間を伸ばすとか、それが僕ができる最大のことだろう。人が疲れている顔をしているのは、あまり見ていたくない。

 

でも本当は、寝られない僕と一緒に、みんなが起きていればいいのにって思ってる。僕が一人で夜を過ごせるほど強かったことは一度もない。そして二人で過ごせること強かったこともそんなにない。

 

でも最近はよく寝れてる気がする。昨日は朝7時39分に、今日は朝7時41分に起きた。明日は43分に起きるだろう。

起きて、目やにを落としてLINEの通知を見て、ツイッターを開いて、布団の中でもぞもぞしてるうちに1時間くらい普通に経っていてどうにか体を起こす、そんな日々。

 

僕は疲れている人を見るのを人よりも嫌がる気がする。

僕の出身の小学校はこの時世には珍しく、1クラスあたりの生徒数が多かった。だから担任の先生はみんな疲れていた。土地柄として、複雑家庭の子や、モンスターペアレントなんかも多かったのだろう。

それから、僕が幼かった頃は森川家の大人たち(父、母、祖母、叔父、叔母)はまとまっていて、いつも喧嘩をしていた。彼らが疲れた顔をしているときは、決まって僕たち兄妹に怒号が飛んだ気がする。父が原因で彼らの軋轢は明確に深まり、今はみんな別居している。僕にとってはそちらの方が都合がいいし、彼らにとってもそうだろう。

 

今言った2つの経験が、なんとなく僕が疲れた人を気にする性格になった理由だと、僕は思っている。こういう自分語りはつまらない。やめる。

 

最近はよく運動をしている。運動をしたい気分だから。健康になりたいとかってのは理由のうち3割くらいのもので、残り7割はただ運動してれば気分が紛れるからだろう。始めた頃よりは懸垂ができるようになった。夜の公園で懸垂をしていたら、公園に溜まっていた高校生のうち何人かがやってきて、僕はベンチに避難して彼らに懸垂台を譲渡し、彼らが僕より懸垂できてたら嫌だな、なんて思いながらチラ見していたが、みんな1〜3回でへばっていて安心した。かわいかった。そしてそんなことを気にする僕も、きっとかわいい。

 

公園から帰ってきてタンクトップ姿でリビングに行くと、父が招いた客人がいた。彼もタンクトップ姿で、よく焼けた肌に筋骨隆々とした肉つきを見せていた。そんな中で妹がぼくに「腕太くなったね。筋トレの成果じゃない?」なんて言ってくるものだから、本当にこいつはよくそういうことを言うなと思った。父の友人はどれ見せてごらんと言いながらも、僕より大きな自分の筋肉に力を入れて見せて、僕はすぐさま退避した。

 

なんだか行きたい場所がたくさんある気がする。この散らかった部屋は見飽きたのかもしれない。ずっと部屋にいたから、一人で歩き出すのも良いかもしれない。鎌倉で紫陽花が見たい。お寺や神社は静かで好きだ。人がいない平日がいい。平日は人がいても老人か外国人観光客ばかりだから、居心地がいい。平日に遊び放題なのが僕の強みだ。大学生になったあとの人生はきっと今ほど自由じゃないから、今のうちに平日を満喫しよう。鎌倉は近いし、好きな場所が多いからいい。佐助稲荷神社とか好きなんだよな。紫陽花はどんな日に見ようかな。雨が降る日は沢山歩けないけど、きっと感傷的で素敵な1日になるだろう。晴れの日は沢山歩けるけど、人が多くなるだろう。あまり関係がないけど観覧車に乗りたいんだすごく。観覧車を乗る夢を見て、それからずっと観覧車に乗りたい。行きたい水族館もできた。友達と釣りに行く約束もできた。長崎から遊びに来る友達もできた。冬になったら銀山温泉に友達と行く約束もできた。楽しみだな。

 

夏なんて全然怖くない。僕が寝ている間にみんなが勉強しているのだとしても、怖くない。花火が綺麗でも、怖くない。あの子と僕の花火の思い出が、あの子と僕の知らない人の思い出に塗り変わってても怖くない。だってそんな思い出はないから。蝉が鳴いてても、怖くない。部屋が暑くても、怖くない。汗が蚊を呼んでも、怖くない。肌が焼けるのも、怖くない。部屋から一歩も出なくても、怖くない。エアコンがない外なんて、全然怖くない。人と人とがどこかで勝手に幸せに笑顔になってても、全然怖くない。全然怖くないよ。

 

ああ、でもミュシャ展はたぶん行けないだろうな。6月5日で終わるから、都合が合わない。スラブ叙事詩が見たかった。本当に残念だ。死ぬまで残念と言い続けるだろう。

 

僕は潔くない。基本的に後悔を引き続ける。うじうじしてる奴と言うのが一番的確な表現だろう。臆病者とも言っていい。前を見る気がない。思い出だけ反芻してればそれでいいと思っている。それでも、昔のことをいつか忘れられてしまうのかな。本当のことを言えば、後悔だったとしても何かに向けていた気持ちを忘れたくない。くだらない、些細なことだったりするのにね。ぼくらの執着なんてまだ青臭いものなのかもしれないけど、きっと年齢なんて関係ないはずだ。ロミオとジュリエットは17歳と14歳で、当時は等身大の大人の恋愛だった。現代の仕組みが僕らを子供だと見做して行動を制限しているだけで、本当は大人と変わりないものなんて沢山あるんじゃないかと思う。でも俺は本当は大人になんてちっともなりたくない。子供でもいたくない。何にもなりたくない。

大人になったら、こんなこと脳の容量を使うに値しないなとか思って色んなことを忘れて行くのかもしれないと思うと、それが大人なら子供の僕は大人になりたくないと思う。

 

ツイッターをやめた時間で本でも読みたいな。読みかけの本がたくさんある。どれも面白い本だ。俺が選んだ本なのだから、俺にとって面白くないはずがない。

でも何を読むかは、君には教えない。