読む毒

9歳の女児です。東京大学理科1類を目指して浪人をすることになりました。このブログを読むとあなたの貴重な時間が消えます。

2017年5月10日 それでも僕は

現実が降り積もってやってきたので少し怖かった。自分が怖い。本当に自分は何を成そうとしているのか分からなくて怖い。他人も怖い。他人も分からない。でもそれ以上に自分が怖い。自分がどうやっていつ他人を傷つけるのかよく分からないのが怖い。まあ怖いこともあるよな。昨日見たホラー映画とか怖かったし。あと蜂とか結構こわい。他にもमर्डरとかटोकीओ यूनिवर्सिटीとか。ちなみにこの日記は5月5日 23時20分に散歩でぶらついた海沿いのベンチで脚を休めながら書いている。少し歩き疲れた。休んでいる。歩くのは嫌いじゃない。街を眺めていればいくらでも発見はある。はてブロに予約投稿なる機能があるのを知ったので使ってみた。予約投稿の時間は何となくで決めた。いや、それは嘘だな。横浜の街は俺に似合わないくらい美しい。海は皆は汚れてダメだというが俺からすれば美しい。なんだか海の中は気持ちよさそうに見える。溶けたくなる。まあ布団の方が気持ちいいし、誰かの隣の方が気持ちいいか。はやく布団か誰かの隣に行かないとな。海を見ている時間はない。歩くのも下手くそだからそこへ行くまでまだ時間がかかるだろうか。戻るべき場所はないならどこへでも行けるというが、そもそも俺にはどこかへ行く気は無い。これからどこへ行くのかは知らない。画面越しですら友達はいない。スタバのメニューも知らないし、ディズニーランドのファストパスも、インスタグラムに載せたくなるようなお洒落なお店も知らない。何を知ってたっけ、数学も知らないし知ってることはない気がしてきた。まあ何も知らなくても20年近く生きてこれたのだから、まだ当分は何も知らなくていいだろう。普段日記を書いていて、どんな陰欝な文章であっても、最後に「やっていくぜ」的な気持ちを表明して終わらせないと、読者は不満だろうと思っているので、いつも必ず「やっていくぜ」と言ってるのだが、本当のことを言えばおれにやっていく気持ちはちっともない。自殺したひとの話を聞く度におれもそっちに行けたらなと思う。生きていてとにかく面倒くさいなとしか思わない。つらいとか悲しいとかではなくて、どこまでも面倒くさいなとしか思わない気がして、それもまた嫌だから死ねれば幸いだ。窓の外にいる小鳥を見つけた瞬間にふっと消えるような死に方をしたい。あるいは愛する人に手を握られて若く死ぬとか。いやそれは死後に悲しみを残すのが嫌かな。空からギロチンが降ってきてそれが頚椎を真っ二つにするような怪死を遂げられれば最高だ。それで良さそうだ。しかし、どうやらそれができないらしいから俺は生かされている。交際とか、すれば何か変わるかなと思ったこともあった。しているときは焦りと、自分で相応しいのかという懐疑と、それに対して「もちろん自分は相応しくない。ただ自分を満たすために他人を騙して利用して隣にいるんだ」という答えが生まれ続け、それらを隠そうとしてぐるぐる回って寡黙になり、でも目の前にあるものを求め続けるだけで、またあとから後悔したりするようなことばかりだった。他にも、俺が相手を好きでもないのに交際関係を持ったことが言葉や態度に現れて深く相手を傷つけるようなこともあった。とても反省しているし、交際とかはしないほうがいいなと思う。交際相手を除いても、自分が自分以外の人間と対等であると感じたこと一度もない。71億人か1億3千人のランキングで最下位とまでは言えないが、普段生きてて自分より下の人間だな、と思える人間を見たことは本当にない。自己評価の低さ、極端な謙遜は相手を傷つけ得るとも言うし、実際にツイッターでは有識者が謙遜して無知を装った上で鋭い指摘をするような嫌がらせをよく見るのだが、それでも俺は本当に自分が優れてると思ったことはない。こういうことを言うのは悪いと知ってるのでなるべく言わないようにしてるが、閲覧数50のブログなら問題ないだろう。たまには正直なことも言ったほうが良い。おれは自己に対して否定的というわけではなく、客観的な評価をした上で自分にはとにかく何も無いと思う。これを変えるためには客観的な評価を捨てる以外の方法はない気がする。例え1億円手にいれても、俺に1億円が足されただけで、空虚だなと思うだろう。いやそれはないか?1億円を持ってないのだから、そこまで言及するのは早計だ。1億円を手に入れて、実際に検証するまでは分からない。とにかくそうやって交際に失敗するようなことが、本当のことを言えば3〜4回くらいはあって、比較的まともな終わり方が出来たのが最後の1回くらいで(あれがまともだと言えるのか分からない)、他3回は本当に俺のダメさが全面に出ていたので、なんかこういうの向いてないなと思った。でも”向いてない”という、どこまでも妥当な評価が出ている上で、愛するとか愛されるとかそういうものへの欲求が出てくるのは本当にどうしようもない。理性の負けと言える。嫉妬とか執着とか、自分で判断してやってきたのに、今更なことを思い出したり、とにかく感情は面倒くさい。それで、また何かを獲得すれば最初に戻って、「自分は相応しくない」と思い、十分な関わり方をしない。そういう態度だやってれば早かれ遅かれ破綻は起こる。自分は常に破綻を見越していてダメだ。破綻を見越したときに、何としてでも続けていこうといった方向に努力を向けるのではなく、まだ立ち直せるかもしれないところで、破綻後の事後処理に努力を振ろうとする。とにかく今言った通り、僕はやっていく能力が本当に欠損してると言える。こういうことを言うと病んでるとか周りに言われたりすることがあるが、平常運転で常日頃こうやって思って生きてきたので、なんか違うなとだけ思う。君が思ってる「元気な僕」のときも、本当はギロチンが降って死ねないかなと考えてる。嬉しい、楽しいという感情は全然あるけれど「美味いものを食べたいなあ」と思うくらい自然に「早く楽で後腐れのない死に方を得たいな」と思う。修学旅行中も遊園地でも水族館でもセックスしてる時でもラーメン食ってるときもゲームしてるときもツイッターやったりアニメ見てるときもそれは変わらない。もちろん死ぬための活動をしたことはほとんどない。僕にとっての理想の死が、死ぬための活動をした時点でそうでなくなるようなものだから、だと思う。こういう話をすると、やはり心配されるだろうし、心配かけたり同情を引いたりすることは全く求めてない(むしろそういうのは面倒)だと思うので本当は何も言わなければいいのだが、まあ、たまには言うこともあって良いんじゃないかな、と思って言った。僕からすれば「幸せになる」「夢を叶える」みたいな漠然とした意識をボロボロになるまで引きずり続けられてる人間のほうがよっぽど意味がわからない。夢も幸せもなくても、生活があれば良いというのも正直分からない。人生でやることは特にないなと気がついたら、さっさと楽に死ぬことを考えるべきだ。でも楽に死ぬ手段はその辺には全く落ちてないので、まあなんか難しいよな。それに未練とかもあるし。それなりに大きな幸せが手に入れば、やる気も出てくるのか?とよく思うが、それなりに大きな幸せを手に入れる能力が俺にはないこと、そしてそもそも”それなりに大きな幸せ”はそんなに無さそうということ、その2つは既に前述している。こういう意識が生まれたのがいつだかはよく覚えてないが、物心ついた頃から死ぬことを意識して生きていた節はあるので、かなり根本的な思考だと思う。覚えてない記憶だが、おれは幼稚園児の頃に、横断歩道を渡る前の左右の確認をかなり丁寧に行う子供だったらしくて、その理由を「死ぬかもしれないから」と答えたらしい。小学1年生の頃には、常に自分が死ぬ可能性を考えながら生きていた自覚があるし、とにかく俺は死ぬことや生きることに機敏で、やがて機敏な意識は苦しみを見越すことをし過ぎるようになり、最後には楽な死を求めるようになったのだと思う。この”機敏な意識”は、俺が覚えてないくらい幼い頃からあったことが親たちの話から伺えるので、先天性のものかもしれないし、気持ちの変えようで直るのかは分からない。とりあえず20年近くの期間こういう人間性を持ってたことは断言できる。なぜこんな意識を持って生きてるのか、まではある程度考えているけどここに書くと本当に長くなる。それで、その結果が現実での危機に対しする強い回避感情や、その回避感がもたらす他人への関わりの薄さ、損切りの早さなどにあるのだと思う。この回避感情は僕の中に厳密なルールを作っている。それは常にリスクの期待値が最も少ない行動を選ぶようにするルールで、メリットの期待値が高いものを選ぼうとする野心が僕にはない。一方で本当は恐れることや疑うことをやめたい気持ちがあって、つまり愛情を受けるようなことに対する欲求で、それは本能的な欲求で、つまりメリットの期待値が高い行動に踏み込もうとする欲求だ。しかし僕の意識に根強く残る回避感情、つまりリスクの期待値が高いものを踏もうとしない意識もかなり強くて、そいつらが激しい戦いを心の中でやる。それもまた本当に面倒くさい。生きてる上で一番面倒くさいのは感情だと思う。面倒です。とにかく面倒くさい。機械のようにただ書を読んで言葉が出てくるようになれば良い。あとは生活のための最低限の行動を無心でやっていられるようになりたい。そうでないのは何故だ。地球が恨めしい。海に対してなぜ俺を生んだと殴りたい。本当に海に沈んで海と喧嘩してやってもいいかもなとか思い始めたので、そろそろ帰ろう。俺は魚ではないし、非生物と喧嘩するような不毛なことをする時間はない。魚になりたいと思うことはある。水槽のなかで飼われている肉食古代魚ポリプテルス。でもこの魚を知るほど、俺みたいだから見ていて気持ち悪いなと思う。やっぱり魚になんてなりたくないな。何が悲しくて水を泳いでなきゃ行けない。他にやるべきことがあるだろう。さっきまで海に溶けたいとか言ってたのに海を嫌いだというし、やはり俺は手のひら返しが早い。俺はそういう人間だ。手のひらに乗せたものをくるっと翻して落とす。たぶん手のひらに物が乗ってるのが嫌いなんだろう。不気味なポエムをつらつらと書いたがこれら全てに意味はない。おれは人生で意味のあることを見つけたことはないので、意味がなくて当然だと思われる。意味のある時間を過ごしたこともない。だから俺から出てくる言葉に意味があるものがあるわけがない。毒を読ませるのだからこんなもんでいいだろう。俺は、性欲や自尊心や保身や退屈を埋めるために、白々しい言葉をこれからも他人に言い続けるだろう。喜んだり悲しんだり色々あるかもしれない。そういうのって大変だな、面倒だな、とだけ思う。それでも僕は、それでも僕は、やっていかなければならない。空からギロチンが降ってくるまで。いつか分からない。なるべく早いほうがいい。それまでは、やってくぜ。それでも僕は、やってくぜ。終わり。

 

追記:スマホはマジで海に落ちた