読ん毒

9歳の女児です。東京大学理科1類を目指して浪人をすることになりました。このブログを読むとあなたの貴重な時間が消えます。

2017年4月29日 悪い種が芽を出して

*今日の日記は映画『ソラニン』並びに浅野いにおの漫画『ソラニン』などの致命的なネタバレを含みます。

 

腹が減る。最近きちんと食事をしていない。金がないのだから当然だ。食うものがないのは当然だ。働いてないのだから当然だ。なのに運動ばかりしているのは面白いな。

 

眠いし頭がぼーっとする。今日の日記は雑に書いた。脈絡のない話を読解する練習をしたい人には役に立つだろう。


妹が借りてきた映画『ソラニン』を今更みた。明日の朝には返してないといけないから、今晩中に見ておく必要があった。

 

世間の流行に疎いので、ソラニンがどんな映画で過去にどんな風に話題になったのか全く知らなかったが、わりと有名な映画らしい。

 

「種田は死ぬ」という致命的なネタバレを妹から食らいながらも、最後まで見終わった。

 

本当に種田が死んだ。それだけじゃなかった。芽衣子さんが種田の物語を引き継いだ。いやもう語れるものじゃないんだ。

 

感想が書けない。
頭の中にどろどろの鉛を流し込まれたように思考がぐるぐるしている。たぶん失恋したときくらい動揺している。自分がいまさら映画なんて見てこんなに動揺するなんて思ってなかった。なんて老人みたいなことを言ってみるが本当に衝撃だった。


脊髄から何かが入り込んでるような気がした。最後のライブシーンでは、手のひらに爪が食い込んで跡になるくらい、力強く拳を握っていた。芽衣子さんの歌を、3人の音楽をただ見ていた。頭の中に言語も思考も完全に消えていた。

 

好きな歌詞を書くけれど、これはJASRACに怒られるだろうか?とりあえず書く。


『昔 住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
君に言われた ひどい言葉も
無駄な気がした毎日も』

ここの歌詞が一番好きだ。

 

『あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ』

みんなそう思う。僕もそう思う。

 

『たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ』

こんな歌詞で心動かされるなんて俺もまだ捨てたもんじゃないなと思った。

 


アニメ映画を除いた僕の好きな邦画で『ソラニン』がトップになった気がする。ちなみに2位は『桐島、部活やめるってよ』かな。

とにかく良かった。ソラニンはいいぞ。原作は漫画らしい。浅野いにおは友達が好きな漫画家だから今度借りてみようかな。おやすみプンプン(で名前合ってる?)とかも浅野いにおじゃなかったっけ。

 

他に書くことあったかな。ソラニンが凄くて日記を書くことにしてみたけれど、別に今まで通り虚無な生活を送ってきたから書くべきこともない。

 

寒暖差が激しくなるけれど、田中慎弥の『共喰い』を読んだ。これまた非常に興味深かった。共喰いについて語る気力は今はないが、今度詳細に語ってみても良い気がする。田中慎弥の共喰いで良いと思ったところは色々あるが、一番はタイトルが良いと思った。この話は『共喰い』なのだと、読み終えて思わされた。これ以上に相応しいタイトルもないと思った。それから遠馬と父親の関係も興味深かった。この話はこの辺で切り上げる。

 

それから映画『夜は短し歩けよ乙女』をみた。ミュージカルパートが長くてLA・LA・LANDだった。ララランド見てないけど。一緒に見に行ったやつは途中で寝てたらしい。そいつはおっぱいがでかくて柔らかそうで羨ましい。俺もおっぱいが欲しい。


話は原作に準拠している所謂カオス的なファンタジーとメタファーの混雑とした融合が、映像として見事に表現されていたが、逆に映像として混雑しすぎて分かりにくいかなと思った。実際に映画が終わってから女子高生集団が『分からなかった』と言ってるのが聞こえた。

 

良いところは、星野源神谷浩史の声が同時に聴こえたところだった。映像も十分良かった。ただやはり初見だと分かりにくいかなと思った。

 

 

他に書くべきことは、ないなあ。

 

最近は現実みたいなものが押し寄せてきて弱い僕には少し辛い。家とか、勉強とか、1年間の虚無とか、過去とか、生活とか。

 

生活がある。生活をしなければならない。でも生活は面倒だ。生活をするだけの準備が足りてない。生活に相応しい環境でない。でも環境を整えるだけの能がない。あっても努力をしていない。つまり僕が悪い。

 

悩むことが出来ない。悩みというのは近い未来にやってくる取捨選択に対して、どちらを選びどちらを捨てるかで図りかねていることを言うと思う。

 

そう考えると、未来は完全に終わっているし、過去については『僕が全面的に悪かったなあ』で話が終わるようなことばかりを抱えているから、僕はあまり悩めない。

 

恋愛とか、そういうことをすればもっと生活にやる気とか出てくるのかな。好きな人とかそういうのあったら良いのかな。好きな人ってどういうのだっけ。なんかドキドキして触れたくなるやつだっけ。知りたくなって怖くなるやつだっけ。人間は難しい。よく分からない気がする。それは俺が目を塞いでるだけなのか。

 

そこそこ勉強していたよなあ。誰に会うわけでもなければ、誰に褒められるわけでもないのに、一人で勉強をしたり、服を買ったり、髪を整えたり、そんなことをしていた自分は偉いのではないかと思う。それは、今まで1年半くらい続いて、もう1年間続くことになる。1年は膨大だ。本当に怖い。去年1年間ずっと怖かった。明かりもなしに暗い森の中に放り込まれたように怖かった。明かりもなしに暗い森の中に放り込まれたことはまだ無いけれど。

 

でも勉強も足りてなかった。人間性も足りてなかった。だから大学に落ちた。だから友達も恋人もいなくなってしまった。恐ろしいな。何が悪かったんだっけ。自分が悪いとか。あんまりそういうことを人前で言うのは良くないな。いや悪いことをして悪くなった感じではなかった。ただ最初から良いところに向かって歩いてないといった感じだった。

 

「やってればそのうち良くなる」みたいな淡い希望を、また1年間引きずるのも心底面倒くさい。ではやめるか?死ぬか?それもできない。僕はイヤイヤ病らしい。

 

恋愛とかどうやってするんだっけ。忘れてきたな。そもそも僕は恋愛に向いてないという客観的事実を18年間で学習した。

愛は欲しい。喉から手が出るほど欲しい。1度許されるともっと触れたくなる。どこまでも知りたくなって、もっと深いところまで許されたくなる。
そんな感じで喉から手が出続ける。節度も駆け引きも僕にはあまりないようだ。


そんなことで身を滅ぼしたり、相手の心を食っていたりするのは良くないなと思う。だから僕には恋愛は向かない。2回の経験で理解できた。3回目はないはすだ。

 

自分は底なしの強欲だ。節度がない。自分から振った人でも、ずっと自分のこと好きでいてほしいなとか思ってしまう。他人に関わりたくないとか言いつつ、忘れられたくないとか思ってるらしい。他人の変化が怖いらしい。自分の変化はどうだろう。変わろうとしているか。

 

何だろうな。お金があればいいのかな。お金を稼いで遊んだら幸せか。
友達を作れば楽しいか。恋人がいれば嬉しいか。冴えた頭で学びが得られれば満足か。趣味があったら充実か。美味いものを食ったら幸せか。綺麗なものを見れば満悦か。住む場所があったら安心か。愛があったら胸が満たされるのか。寝るとき隣に人がいればそれで良いのか。セックスしてれば気持ち良いのか。よく分からない。

 

自分に何が足りてないのかよく分からない。今手元にあるもの、あるいは手を伸ばせば届きそうなものをフルに活用したとして、それで自分がどう満たされるのかよく分からない。だから手が出せない。何をすれば十分に楽しいのか分からないから、楽しむために手を伸ばすべきものが分からない。

それは努力をしていないのか、努力をした上でこうなっていることを認めないのか、あるいはその両方なのだろうか。

 

底棲魚のように、川底でただずっと流れを見つめて、たまたま手に入りそうな獲物が来たらそれを掴むような、指向性のない運任せな生き方をしている。今日はソラニンを捕まえた。昨日は共喰いを捕まえた。明日は何を捕まえるだろう。

 

ということなので、僕を楽しませてくれそうな皆さんに期待しています。あとかわいい女の子を紹介してください。あるいはAmazonほしい物リストから何か奢ってください。


よく分からないことを書いた。この日記もそのうち消えるだろう。読んだ人はこう思うだろう。「センチメンタル気取ってて愚かだな」「つまらない自虐だな」「パッとしない文章だ」「くだらない臆病者だな」「虚無気取りだな」

 

そんなことを言われるのは悲しいから今度は晴れやかな話をしたいね。

 

家がなくても、読み込んだ知恵がぼろぼろと落ちていても、周りの変化に取り残されていても、愛とか獲得できていなくても、このブログを知り合いに見られても、何とかやっていかなきゃいけない。


楽しいことがないわけじゃないんだ。辛いことがあるわけでもない。と思ってるのだけれど、どうだろう。辛いことがあるのかな。辛いことがよく分からない。

 

よく分からない尽くしだなあ。どうやら人生には不明なものが多すぎるのか、あるいは僕の分析力が足りてないのか、その両方なのからしい。

 

感情に起伏がないと、感情の活動が悪くなる。厳密には楽しいものを獲得し続けてないと、楽しい感情の活動が鈍くなる。そうするとそのまま煮詰まったような頭になるのが分かる。

 

だから今日みたいに映画を見たり、けものフレンズを見て感情をほぐさないといけない。映画よりももっと強いものを。 

 

昔はそんなもの持ってた気もしないんだけどなあ。でも昔は今より笑ってた気がするから、気付かぬうちに色々失ったんだなあ。学校とか、恋人とか、娯楽とかかな。確かに失ったんだなあ。だからまた手に入れないといけない。そうしないと多分そのうち死ぬ。生きるのは大変だなあ。死ぬまでは生きている必要がある。

 

種田は死んだ。俺はまだ生きている。もう少しは生きているだろうか。

人生を自然主義文学の小説にしないようにしたい。適当にやっていこう。死ぬまでは。ソラニンの最後の歌詞を貼って終わる。

 

『さよなら それでもいいさ
どこかで元気にやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ』