読む毒

9歳の女児です。東京大学理科1類を目指して浪人をすることになりました。このブログを読むとあなたの貴重な時間が消えます。

2017年4月1日 無職

昨日は日記を書き忘れた。昨日は電脳九龍城に行き、友達ともつ鍋を食べ、漫画を買って帰ってきた。それ以外のことはしなかった。

 

新年度になり、僕は無職になった。

 

『あそびあそばせ』を読んでみたら、かなり面白かった。

 

友達との会話の途中で、僕のブログの話題が上がった。話の経緯は忘れた。

 

友人が「お前のブログ読むくらいならもっと有意義なものを読むわ」と言っていた。こいつは、なんて至極真っ当なことを言う人間になったんだろうと感動した。

 

一方で、有意義さを求めてカツカツしてばかりいるのも疲れるなと思う。有意義さや効率ばかり求めていると気分は疲れる。だらしなく、また無意義なことをして遊ぶ時間も人には必要だと思う。僕らにだらしなく使う時間がないことも事実だけれど。

 

無意義といえば私の日々だ。今日は何をしたか。何もしなかった。こうやって何もしていないでいると、すぐに退化して老いて死んでしまうだろう。資本主義というルールにおいては、歩みを止めたものはすぐに敗者になってしまう。

 

負けたくなければ、勝利に向かって歩みを続けなくてはならない。自明なことを言ってるが、それでも僕には勝利に向かうモチベーションが得られずに何もしない日を過ごしてしまう。これは言い訳か。

 

僕らは生まれた瞬間から、いや、生まれる前から強制参加のゲームをやらされている。大きく分けて2種類のゲームである。

 

1つは、環境や動物たちと死ぬまで殺し合いを続けるゲーム。自然競争なんて呼ばれたりする。自然競争では人間は強いので、大体の相手には勝っていると言えるだろう。

 

もう1つは、自然競争に内包するゲームであるのだが、人間同士での殺し合いのゲーム。人生という言葉は、これのことを言ってたりすることが多い。


一昔前は銃や火薬を使い、もっと昔には刀や剣を使い、それより昔には石と棒を使って殴り合いが繰り広げられていたが、最近は資本主義なんて呼ばれるルールが広く採用されている。

 

資本主義ルールの中で、僕らはお金と呼ばれるポイントを使う。お金は自由や楽しみに交換ができる。このルールではお金の奪い合いによって、強者と弱者が決まる。であるから資本主義ルールにおいても間接的に殺し合いをやってることに変わりはない。使うのが刃物ではなくお金になっただけだ。まあ火薬や刃物を使うことも全然ある。戦争とか。

 

自然競争、人生、どちらのルールでも、自由や楽しみを得ることが勝ちと言われることが多い。人生つまり資本主義ルールではお金によって勝ちに近づけるので、お金を得ることが勝ちだ。

 

多くの楽しみは、遺伝子によって”これは楽しいものだ”と決められている。生殖とか分かりやすいだろう。つまり生存においては遺伝子がルールの根源にある。これらのゲームは死ぬまで終わらない。

 

雑な記述をしたことについては突っ込まないでほしい。

 

資本主義ルールでは怠けることはそのまま負けに近づいていく。怠けること以外にも敗因要素はある。隕石が家をぶち壊したとか。そもそもこのゲームのスタートは平等ではない。運というパロメータによって、親の資本とか先天性の病気などのハンディキャップが決められる。自然競争ゲームで言えば、人間に生まれるか、野良犬に生まれるかの時点でだいぶ違うだろう。それでも僕らは勝ちを目指して歩み続けることになる。進化をやめれば退化しかなく、退化した人間は資本主義ルールでも自然競争ルールでも敗者に向かっていき、やがて敗者になる。

勝手にハンディキャップが決まっている状態で、手札が悪くてもカードを切らなければならない。でなければ敗北と死しかない。

 

勝者以外べつに面白くないゲームだが、というか勝者ですら面白くないゲームだが、死ぬ以外でゲームを降りる方法はない。最近の人類はその辺に気を遣うことを初めて、弱者の救済策とか、自分たちが殺し合いゲームをしていることを気付かせないようにする社会とかになってたりもする。でもさっきも言った通り、僕らは資本主義ルールで間接的な殺し合いをやってることに変わりはない。自然競争の世界では多くが直接的な殺し合いだ。

 

この無理やり舞台に上がらされて、四方八方から殺意や悪意を感じながら死ぬまでゲームを続けるつまらない営みの中で、僕らは生きる糧や信条を持ってないといけない。でなければ死ぬしかなくなる。生きる理由がないのに、死ぬ理由があるなら死ぬしかないだろう。自殺は合理的な営みだ。

 

大抵のひとは無意識に生きる糧を獲得する。あるいはゲームの苦痛に気付かないので、生きる糧の必要性にも気付かない。動物なんかはきっとそうだろう。ゲームの苦痛に気付いて自殺できるのは、地球上で人間だけが持つアドバンテージだ。

 

在り来たりで子供らしい自明なことを書いた。これを読んだら大概の人は子供が駄々をこねてるだけだと思うだろう。僕は地球というものが憎たらしくてたまらない。地球がもう少し違う軌道で太陽を回っていたら僕らは生まれなかっただろう。とりあえずいまは氷河期を待っている。氷河期より前に死ぬけど。

 

みんなの生きる糧は何だろう。僕は生きる糧が何だか釈然としないな。小さな糧ならいくつか持ってるのだろう。漫画が面白いとか、そういうのの寄せ集めを生きる糧にしている。みんなそうかもしれない。昔の人みたいに強くはない。昔の人が強かったのかは知らない。

 

ちゃんと生きる糧を持っている人たちは死んではいけないと言う。僕もいつかきちんとした生きる糧を得たときのために、絶え間なく進化を続け、お金や楽しみに向かっていくゲームをやるしかない。

 

こんなこと書いて何になるのかもよく分からない。決意表明か、あるいは人間は不合理なので仕方ない。思ったことを書いたと言えば理由になるだろう。最近はPPAPを見た宇宙人は困惑するだろうなとよく思う。終わり。