読ん毒

9歳の女児です。東京大学理科1類を目指して浪人をすることになりました。このブログを読むとあなたの貴重な時間が消えます。

2017年4月6日 無

昨日の日記はわりと良いことを書いたんだが、なぜか公開されたのが書きかけの状態になっていて、完成形の日記が公開されなかった。

書き直す気力もなかったので消してしまった。

 

あーあ、久しぶりに面白いこと言ってたのになー

 

いや本当に面白いこと言ってたんだよ。たぶん今までのよく分からない拙文に比べて、遥か上をいく会心の出来だった。書き上げた状態のものが公開されなかったことが残念で仕方ない。

 

ちなみに今日の日記はいつも通りの駄文であるから、有意義な時間の使い方をしたいなら読まない方が良い。

 

 

昼間、昨日に続いて数学書が届いた。

 

公開していた欲しいものリストから、フォロワーさんに買って頂いたものだ。

本当に感謝としか言葉が出ない。感謝。

 

ツァラトゥストラはかく語りき」「解析学徹底入門」「ルベーグ積分入門」(テレンス・タオ)、「ベーシック圏論」を頂いた。

これらだけで1万円は超えている。他にもシャンプーとか、避妊具とか、男性器を模したオモチャで自慰に適するモノとか。いや、避妊具もいつ使うか分からないし、立派な男性器のオモチャに至ってはどうしろっていうんだ。使えというのか。欲しいものリストに入れたのは私なのだが。本当に買う人がいるとは思ってなかった。もっと建設的なお金の使い方もあったはずだ。

 

とにかく、頂いた数学書に関しては今は読めない部分が多いが、来年あたりには読めるようになっておきたい。必ず役に立てます。

 

 

話は変わる。

なぜ東大を目指すのか聞かれることがたまにある。入試国語的に20文字以内ただし句読点含む で簡潔に答えると、「リベラルアーツ進振り制度があるから。」(19文字)という答えになる。

 

僕は自分に何が出来るのかというのは受験勉強ではある程度しか分からないと思っている。数学は比較的好きでやってるが、入試レベルの数学ができても(あまり出来てないけれど)、研究レベルで出来るのかは研究してみるまで分からない。

入試数学ができることは入試数学ができることの必要十分条件だが、研究ができることの必要条件でしかない。

 

私は自分が好きな分野ではなく、得意な分野を研究していきたいなと思っている。そっちの方が自分のためにも、社会のためにもなるだろう。好きな分野は趣味でやれば良い。

 

僕は自分の得意な分野が何なのか知るために大学に行こうと思っている。

もし研究をやっていけるほど得意な分野は自分にないと分ったなら就職をすれば良い。勉強は趣味でできる。高校の教師とか、一般企業とか。

 

自分にとって得意な分野を大学で知るための具体的な手立てとは、学部1〜2年のうちに興味のある分野を適当に漁ってみることだと思う。

そして、そのようなことをするのに最適な大学はと言えば東大に限られる。残念ながらと言うべきか、リベラルアーツの信念の元に進振り制度のようなことをやってる大学を東大くらいしか僕は知らない。

 

これはすごく不思議でたまらない。入試レベルの化学をやって、その人が化学が得意か本当に分かるのか?化学でも物理でも数学でも論理学でも哲学でも、実際に大学にはいってみたら他の科目の方が得意だなんてありえる話だと思う。それなのに現代の制度では、大学に入学した時点で生徒の学部は決まっていて、その学部の中で細分化した専門学科へ進んでいくことになる。

 

この辺は整数論加藤和也がもともとは航空学科にいたという話を知ってから強くそう思うようになった。

 

そんなところ。勉強しないとなあ。みんな勉強している。驚く。当然だよな。生きてる時間は短い。生きてるから僕らは勉強しなけらばならない。進化してないというのは、つまり退化してるということなので。

 

日記を書くようになってから1000文字とか軽く書いてしまえるんだなと思うようになった。

 

日記やツイッターで無駄な時間を費うな、勉強しろと言う方もいるかもしれない。その意見には私は断固反対せねばならない。何故ならツイッターを時間の無駄と言う主張を認めると、私の人生の9割9分9厘が人生の無駄であるという事実が導かれてしまう。それを認めるわけにはいかない。

 

やはり、なんというか生活が面倒に思えることがある。

生きる理由が足りてない感覚。というか生きる理由なんて大概の人は持ってないだろう。

死ぬのも何かな、生きてて楽しいことがないわけでもないし、くらいの感覚でみんな生きてるはずだ。みんなの心をのぞいたことはないけれど。

 

誰かからお金を貰って暮らしたい。月に10万円で十分なので、私を養ってくれる方はこの中にいませんでしょうか。

 

江戸時代の独身男性は月に6〜7日しか働かないでも生活費が足りていたらしい。それでほとんどの時間はごろごろと過ごしていたのだとか。私もそれになりたいなあ。

 

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/DVAA5DN78JVF/ref=cm_sw_r_tw_ip_wl_o_LDwVybV5ER3QC

 

こんなものもあります。見れば分かる通り、闇鍋です。違う、欲しいものリストです。何でも良いし買ってほしい。私は強欲なのです。終わり。

2017年4月3日 近況

近況とは書いたものの書くことがない。

自分のツイートが意外とRTされていたのは驚いた。

https://twitter.com/all_was_suicide/status/848508828983283713

 

人の優しさというものを感じた。本質的な解決には至らなくても、気持ちを感じるだけで人は嬉しくなる。

 

こちらが、ルームメイト募集よりもルームシェア募集のほうが検索で引っかかりやすいとの指摘を受けて書き直したものになる。

https://twitter.com/all_was_suicide/status/848883022527029249

 

はあ、いい感じに収まってくれないかな。とか思って布団にくるまってる間にも、エアコンは動くし腹も減るし時間は立つ。それらを埋め合わせる金は、もう僕が出すしかない状況だ。それは当然のことだ。エアコンに部屋を暖めてもらいながら、電気代を払う気がないのではない。使った分を自分で払うのは当然のことだ。

とはいっても金がないのも事実だ。金を払う気があっても金がなければ払えない。だから金を作る必要がある。

 

家がないことも私の責任だ。浪人したのは僕の力不足だ。

親切な皆さんの力を借りながら、どうにか場面を切り替えるしかない。そしていつか恩返しをしなければならない。

無理ならここで死ななければならない。

 

色んな方にご相談させて頂いたなかで、部屋に来ても良いと仰ってくれた方が3人いた。

友人に1人、フォロワーに1人、それからDMで話しかけて頂いた方が1人。

 

正直言えばDMの方が土地や経済的に一番魅力的であるのだが、異性との同居というのは難しいということで話はなくなった。(私の性別を勘違いなさっていた)

喉から手が出るような話だが、人に迷惑をかけてまで楽を求めるべきではない。

 

友人と暮らすのは私の収入の不安定さから考えれば難しいところだろう。

 

こんな自分を引き取ってくれる環境はない気がして来た。就職路線に切り替えるか、自殺するか、出家か、ホームレスか。電車は進み続けている。路線切り替えのリミットまで、もう時間はない。

 

 

ということでルームシェアか居候先を募集してます。

 

掃除・洗濯・食器洗い・風呂掃除・トイレ掃除できます。犬の散歩もします。シーツや布団を干したりすることもします。

ゴミの分別わかります。適切なゴミの処理も分かります。ゴミ出しもやります。

 

料理は比較的好きです。でも得意かは分かりません。成長過程です。美味い肉じゃがとか全然作れます。ごめんなさい、美味いというのは私の主観です。保証できません。ですが、朝ごはんと夕食を毎日作ります。

 

実際に10ヶ月ほど両親がいない時期があり、妹と二人暮らしでこれらのことをしてきました。

 

節操のある人間になることを目指しています。顔はダメかもしれません。体型は良いとよく言われます。

ジャスティン・ビーバーと同じ身長です。

雰囲気があるというお世辞を受けたことが今までで4回あります。声だけは良いと言ってくれた異性が合計7人います。

 

お茶を美味しく入れることができます。

風邪を引いたら積極的にあなたを看病します。体調が悪い時に深夜でもコンビニへ買い物代理します。

不在時に代わりに郵便物を受け取ります。私自身が空き巣対策になります。

あなたの話をいくらでも聞きます。上司の愚痴でもです。4桁×4桁の計算を瞬時に代行します。(私ではなくスマートフォンが)

 

布団はなくて良いです。寝袋があります。

テーブルはなくても段ボールで勉強できるので大丈夫です。ただ勉強道具だけは持ち込ませてください。

 

あなたが友人や恋人候補を家に招くときは、予め言っていただければ私は外で時間を潰しています。一晩外泊することも辞しません。昼間は図書館にいることもできます。

 

もし私が同居させて頂けるとして、同居先は私のライフラインなので面倒ごとは起こしません。

私は勘当や家出ではなく、生活保護の規則で家を追い出されるので帰る場所はないに等しいです。

 

そんな人間が住む場所を追い出されるような真似はしないでしょう。(まあ自殺か投獄を決意したときは違うかもしれません)

 

アピールポイントはこんなところです。

こんな18歳の東大浪人生(貧乏)と、

 

ルームシェアする気がある

or居候させてくれる

or養子に迎えてくれる方 がおりましたら気軽にお声掛けください。

 

半年だけの期間でもご検討お待ちしております。いまのところ、石油王、銀行勤務のお姉さん、資産の余った老夫婦などの募集を希望しています。

2017年4月2日 出家・ホームレス・自殺

こんばんは。

 

『出家・ホームレス・自殺』

 

これが何だか分かりますか?

僕に残された人生の進路です。今月中に具体的な行動を起こさなければならないところまで来ている。今日はそのことについて、順を追って話そうと思う。まずはこれらの選択肢について考えるところから。

 

 

さて、出家。出家するなら寺はどこがいいのだろう?

Gautamaは偉大だ。二千年以上かけて歪んできた彼の教えを日本で請うことにするのも良いだろう。二千年前に死んだ人間に、人生の光明を求めるのだ。

出家でググると、清水なんたらと幸福の科学のニュースがわんさか出てきた。幸福の科学仏教ではないのだから、出家ではなく入福とかそういう言葉を使えばいいのに。本当に仏教に出家したいひとの邪魔になるとは思わなかったのか。

 

ホームレス。ホームレスはどうだろう?

最低限として、食事と家と、勉強する時間は確保したい。スマホもあれば何も言うことはない。

ホームレスでそれをどう確保するかは検討がつかない。これはダメっぽい。

 

自殺は、自殺はどうだろう?

意外と死んでみたら天国があって、良いところかもしれない。

大きな図書館があり、そこは静寂で、学生しかいない。私は本を数冊とって席につく。天井の窓から心地よい日差しがある。

ポケットからイヤホンとスマホを出して音楽を聴き始める。

時間を忘れ勉強をする。ノートに文字と計算式が埋まっていく。天国なのでシャーペンの芯は折れない。手も疲れない。ふと休憩を思い立って、ロビーへ降りる。そこには司書さんがいて、お疲れ様ですと紅茶を淹れてくれる。持ち帰りたくなるような上品なティーカップだ。司書さんが紅茶を淹れる訳がないとか考える必要はない。天国だから。

閉館は21時。外は暗く、私は自転車をこいで家へ向かう。

途中でスーパーマーケットに寄る。食材を買い揃える。夕飯を買うには遅い時間だ。周りには仕事帰りらしいスーツ姿のサラリーマンが多い。食材もところどころ売り切れているが、その中で最善なものを判断して選び取る。

自宅に着く。天国で私は一人暮らしをしている。静かさだけが友達だ。静かさは私に話しかけてこないし、何もしてこないのが最大の魅力だ。

冷蔵庫にいくつか食材をしまう。残りはキッチンに残しておく。私は35分かけて料理を作る。25分をかけて完食する。食器を水に浸しておき、デザートを食べながらスマホをいじる。15分したら食器を洗い始めよう…

 

天国は良いところだな。行きたくなってきた。死んでないのに君は天国がないとどうして言えるのだろう。天国に行きたい。

 

でも天国に行ける保証がなかった。地獄は嫌だ。地獄ではクレーマー客がわんさかやってくる。地獄では話の通じない無能な上司の下で働かなければならない。職務内容も極めて無味単調である。そしてどんなに真面目にやっても社債は増えるし、上司は無駄なイベントで金を飛ばす。

 

 

 

こんなくだらない話を始めたのには、それなりに訳がある。家を勘当されたわけではない。

 

知ってる通り、私はいま浪人生活をしていて、実家が生活保護を受けている。

 

生活保護では18歳の私は今月から一人暮らしを始めなければならない。それが決まりだ。

一人暮らしをせず、つまり実家で暮らすことを選ぶ場合は、就職が必要条件となる。バイトではダメで、就職ならO.K.

 

浪人生活をしている以上、就職というのは選択肢として悪手であり、労働をするとしても今まで通りアルバイトをするのが良いだろう。

 

けれど、アルバイトでは実家暮らしが認められない。

というわけで、アルバイトをしながら新居を構える必要があるのだが、浪人バイトで家賃を払うのは重い。

理想は居候、あるいはシェアハウスとかルームシェアの形が良いだろう。 

 

とは言っても4月になって探し始めたところで、(というか一年中いつだろうが、)条件の良い居候先やルームメイトなんてものは見つかり難い。

 

というかあんまり労働したくない。

 

上記より労働路線が詰んでいることが分かる。

残された手段は、出家・ホームレス・自殺というわけだ。そんな話を親としていた。

 

というか国益のために浪人してまで勉強してるのに、どうして私は困窮に迫られているんだ。1浪までなら生活保護してくれよ。来年には東大生だぞ。

そのへんの浪人と違ってシローの定理くらい分かるんだぞ。群論舐めんな。(群論分からないけど。)

当然のことながら、頭が良ければ浪人なんてしないので、浪人したやつのために国益を削る必要はない。

社会に通用しないことを吠え続けていても仕方ない。人類はまだ1浪の保護に追いついてない。

 

出家・ホームレス・自殺の選択を早いうちに決断する必要がある。私のような社会不適合者は皆さんのためにさっさと死んだほうが良いと言われるだろう。至極真っ当な意見だと思う。

 

私としては真っ当な意見に反対し、なるべく少ない労働で生活費を賄い、勉強をして生きたい。理想を言えば誰かに経済的依存をした形で生きたい。出世払いでどうにかなりませんか。

 

なんてことを言ってられる時間すらもう無いんだ。次の水道代を払うときまでに具体的な手段を提示しなければ、我が家の水道は止まるかもしれないし、住所もなくなるかもしれない。

 

具体的な手段とは、何度も言ってる通り、出家・ホームレス・自殺だ。

最も無難なのは…

 

 

ロックでやってくか。

2017年4月1日 無職

昨日は日記を書き忘れた。昨日は電脳九龍城に行き、友達ともつ鍋を食べ、漫画を買って帰ってきた。それ以外のことはしなかった。

 

新年度になり、僕は無職になった。

 

『あそびあそばせ』を読んでみたら、かなり面白かった。

 

友達との会話の途中で、僕のブログの話題が上がった。話の経緯は忘れた。

 

友人が「お前のブログ読むくらいならもっと有意義なものを読むわ」と言っていた。こいつは、なんて至極真っ当なことを言う人間になったんだろうと感動した。

 

一方で、有意義さを求めてカツカツしてばかりいるのも疲れるなと思う。有意義さや効率ばかり求めていると気分は疲れる。だらしなく、また無意義なことをして遊ぶ時間も人には必要だと思う。僕らにだらしなく使う時間がないことも事実だけれど。

 

無意義といえば私の日々だ。今日は何をしたか。何もしなかった。こうやって何もしていないでいると、すぐに退化して老いて死んでしまうだろう。資本主義というルールにおいては、歩みを止めたものはすぐに敗者になってしまう。

 

負けたくなければ、勝利に向かって歩みを続けなくてはならない。自明なことを言ってるが、それでも僕には勝利に向かうモチベーションが得られずに何もしない日を過ごしてしまう。これは言い訳か。

 

僕らは生まれた瞬間から、いや、生まれる前から強制参加のゲームをやらされている。大きく分けて2種類のゲームである。

 

1つは、環境や動物たちと死ぬまで殺し合いを続けるゲーム。自然競争なんて呼ばれたりする。自然競争では人間は強いので、大体の相手には勝っていると言えるだろう。

 

もう1つは、自然競争に内包するゲームであるのだが、人間同士での殺し合いのゲーム。人生という言葉は、これのことを言ってたりすることが多い。


一昔前は銃や火薬を使い、もっと昔には刀や剣を使い、それより昔には石と棒を使って殴り合いが繰り広げられていたが、最近は資本主義なんて呼ばれるルールが広く採用されている。

 

資本主義ルールの中で、僕らはお金と呼ばれるポイントを使う。お金は自由や楽しみに交換ができる。このルールではお金の奪い合いによって、強者と弱者が決まる。であるから資本主義ルールにおいても間接的に殺し合いをやってることに変わりはない。使うのが刃物ではなくお金になっただけだ。まあ火薬や刃物を使うことも全然ある。戦争とか。

 

自然競争、人生、どちらのルールでも、自由や楽しみを得ることが勝ちと言われることが多い。人生つまり資本主義ルールではお金によって勝ちに近づけるので、お金を得ることが勝ちだ。

 

多くの楽しみは、遺伝子によって”これは楽しいものだ”と決められている。生殖とか分かりやすいだろう。つまり生存においては遺伝子がルールの根源にある。これらのゲームは死ぬまで終わらない。

 

雑な記述をしたことについては突っ込まないでほしい。

 

資本主義ルールでは怠けることはそのまま負けに近づいていく。怠けること以外にも敗因要素はある。隕石が家をぶち壊したとか。そもそもこのゲームのスタートは平等ではない。運というパロメータによって、親の資本とか先天性の病気などのハンディキャップが決められる。自然競争ゲームで言えば、人間に生まれるか、野良犬に生まれるかの時点でだいぶ違うだろう。それでも僕らは勝ちを目指して歩み続けることになる。進化をやめれば退化しかなく、退化した人間は資本主義ルールでも自然競争ルールでも敗者に向かっていき、やがて敗者になる。

勝手にハンディキャップが決まっている状態で、手札が悪くてもカードを切らなければならない。でなければ敗北と死しかない。

 

勝者以外べつに面白くないゲームだが、というか勝者ですら面白くないゲームだが、死ぬ以外でゲームを降りる方法はない。最近の人類はその辺に気を遣うことを初めて、弱者の救済策とか、自分たちが殺し合いゲームをしていることを気付かせないようにする社会とかになってたりもする。でもさっきも言った通り、僕らは資本主義ルールで間接的な殺し合いをやってることに変わりはない。自然競争の世界では多くが直接的な殺し合いだ。

 

この無理やり舞台に上がらされて、四方八方から殺意や悪意を感じながら死ぬまでゲームを続けるつまらない営みの中で、僕らは生きる糧や信条を持ってないといけない。でなければ死ぬしかなくなる。生きる理由がないのに、死ぬ理由があるなら死ぬしかないだろう。自殺は合理的な営みだ。

 

大抵のひとは無意識に生きる糧を獲得する。あるいはゲームの苦痛に気付かないので、生きる糧の必要性にも気付かない。動物なんかはきっとそうだろう。ゲームの苦痛に気付いて自殺できるのは、地球上で人間だけが持つアドバンテージだ。

 

在り来たりで子供らしい自明なことを書いた。これを読んだら大概の人は子供が駄々をこねてるだけだと思うだろう。僕は地球というものが憎たらしくてたまらない。地球がもう少し違う軌道で太陽を回っていたら僕らは生まれなかっただろう。とりあえずいまは氷河期を待っている。氷河期より前に死ぬけど。

 

みんなの生きる糧は何だろう。僕は生きる糧が何だか釈然としないな。小さな糧ならいくつか持ってるのだろう。漫画が面白いとか、そういうのの寄せ集めを生きる糧にしている。みんなそうかもしれない。昔の人みたいに強くはない。昔の人が強かったのかは知らない。

 

ちゃんと生きる糧を持っている人たちは死んではいけないと言う。僕もいつかきちんとした生きる糧を得たときのために、絶え間なく進化を続け、お金や楽しみに向かっていくゲームをやるしかない。

 

こんなこと書いて何になるのかもよく分からない。決意表明か、あるいは人間は不合理なので仕方ない。思ったことを書いたと言えば理由になるだろう。最近はPPAPを見た宇宙人は困惑するだろうなとよく思う。終わり。

2017年3月30日 無

そういえば、鈴蘭や水仙が咲く季節になった。花は好きです。静かなので。地球の上で、綺麗な性器を持つ生き物なんて花くらいだろう。

 

今日は何をしたっけ。えーと思い出す。思い出した。ずっと寝ていたな。書くことがない。困った。

 

けものフレンズがどうして人気になったのか、それはこの情報化社会と、娯楽の多様化の流れに理由が見出せると思っている。僕の意見と同じようなことを言ってるひとが見当たらないので、詳細を言う自信はない。今日は書かないでおこう。

 

みんな大学生になっていて、新しい生活への変化を始めている。私だけ何一つ生活が変わっていない。季節だけが変わり、能力は錆び、体は成長していく。こうやってるうちに老いて死ぬんだろうな。

 

どんなに人生に耐えても、いつか自分は死ぬと考えると吸い込まれるような怖さがある。一方で、今僕が自殺したら明日から僕は死んでいると考えると、安心感がある。布団で寝るような安心感。永遠の休憩が得られる。みんなも「石油王から無限に金が与えられたい」なんてよく言うけど、それと自殺は同じじゃないかと思う。


いつか人生が楽になるかも知れないという、コンコルド効果で僕たちは生きている。

 

宇宙検閲仮説とかパリティ対称性の破れとかそういうことを調べていると世界は不思議だなと思う。もっと知りたいと思う。でも腕は動かない。簡単に知れることばかりを調べていく。犬の歴史とか。

 

芥川龍之介の遺書を読んでいたら、自分の子供たちに当てて「辛くなったら俺のように自殺するんだぞ」という旨のことが書いてあって面白かった。

 

自殺をするなら早い方がいい。大人になると、何だか自殺しちゃいけない気がしてくるらしい。僕は大人じゃないので分からないけど。

 

僕が死ぬ予定はあるのか、と聞かれるかもしれない。人間は誰だって死なない予定はないよ、とだけ答えておきたい。終わり。

 

 

 


オススメの音楽:
最近、音楽も聞いてるような聞いてないような感じなので、日記の終わりにオススメの音楽を書くためだけに音楽を漁っている。自分の好きだったものを失わないための措置としては、良い思いつきだったのかな。

 

Joseph-Maurice Ravel - Pavane pour une infante défunte

https://m.youtube.com/watch?v=t3Jv2L7l5p0

 

ちなみに日本語では『亡き王女のためのパヴァーヌ』と言われているが、実は”亡くなっている”のは王女ではなく、パヴァーヌの方だ。

今はもう見られなくなったパヴァーヌであって、昔の王女が踊っていたようなものという意味を表している。

2017年3月29日 けものフレンズ、再考

けものフレンズが最終話を迎えた。良い話だったな。見れて良かった。生きてて良かったな。

 

今日は『けものフレンズ、再考』なんて仰々しいタイトルをつけたけど、けものフレンズの話はそんなにしないし、いつも通りの日記だから、そこを注意してほしい。時間を無駄にしたくないなら、引き返すのが賢明だ。机に向かって、勉強をしなさい。僕はしない。


けものフレンズは良い話だった。えーと、何を良いと思ったのか、それを書いていくか。


まず話の工夫、つまり”伏線”といわれるストーリーの対比構造とか、人間の能力を問い直す話が良かった。この辺はツイッターやってれば見飽きるほどタイムラインに流れてくるだろうから今さら掘り下げるつもりもない。

 

えーとじゃあ他に何があったか。
出会い、友情、別れがあって美しかった。


それから、協力、絆、愛、助け合い、そういうものがあった。うむ。そんな感じ。


僕らはどうして、友情とか絆とかそういった、人と助け合うこと、人と愛し合うこと、人を救うこと、人のためになることを”美しい”とか”良い”と捉えるのだろう?

 

単に僕らはそれが欲しいと思うから、というのもあるけれど、もっと根源的には”そう思うように出来ているから”と言えると思う。

 

つまり人間が持つ社会性を強めていくために、本能的に他人と助け合うことを良いことだと思わされている。脳によって。

 

人間は、同じくらいの体格であるチンパンジーと殴り合って普通に負けるような体力しか持ってないけれど、社会性と知恵で今までどうにかやってきたことはみんな知ってるだろう。

 

それだけ人間にとって社会性というものは大事で、つまり人間は助け合いとかを強いられて生きている。大変ですね。

 

何の話をしてたんだっけ。


友情は美しい、愛は美しい、生殖は気持ち良い、人間は素晴らしい、そう思うのは人間がそう思うように出来ているから、だから人間は美しいみたいな話をしていた。

 

だから、明日から僕も皆んなも、人間は美しいの精神で生きていこう。異を唱えるやつは気にすんな。人間は美しいよ。話は終わり。マジで何の意味もないことを言ってるな。これこそ読む毒らしい。あなたの時間を蝕んでいる。

 

そういえば皆、犬や猫がどうして人間と一緒に暮らすようになったか知ってる?これについてもそこそこ面白い話がある。

 

イヌは昔はオオカミだったが、そのオオカミがどうして人間と暮らし始めイヌになっていったのかというと、これにはオオカミのもつ社会性という性質がすごく関わってくる。オオカミは6〜8匹の群れで、連携して狩りをしていた。連携のためには人間が会話するように、オオカミ同士での意思疎通が必要になってくる。
そのオオカミ同士での感情表現を、人間も同じように迎合して理解できたから、人間とオオカミはある程度協力し得たわけだ。もちろん狩りと餌という報酬の利害一致の形があってこそだが。

 

ネコの場合はイヌとは全く違う。人間が稲作を初めて、コメや麦を倉庫に貯めるようになったとき、コメを食い荒らすネズミが邪魔者になった。そのネズミを狩ってくれることにネコは存在意義を見出された。それと、見た目の可愛さが意味を持っている。

 

絶滅危惧種の動物では、見た目が可愛いほど保護費に当てられる基金が集まりやすいという統計結果があるらしい。人間が恣意的に救う対象を決めているのは面白い事実だと思う。

 

このへんの話は長くなるので詳細は元気のあるときにする。今は眠い。


けものフレンズが終了して、まもなく公式が続編の情報を出してきた。


きっとけものフレンズが終わったことで自殺する人が出ないようにするためだろう。


でもそれだと、けものフレンズは永遠に続かないといけないのかな。聖書も二千年間続編が出てきたし。


今日は何したっけ。


朝起きて、哲学的ゾンビというウィキペディアの記事を見ながら朝食のカップ麺を食べた。朝と言っても14時46分だが。

 

行動的ゾンビはまだ分かるんだが、哲学的ゾンビについてその意味を理解するのは難しかった。

それから、クオリアの記事を途中まで読んで放置した。

 

17時くらいになって、出かけた。


書店で『サピエンス全史』を流し読みしていた。ほとんど読んでないけど、途中で共産主義は宗教だと言っていたのが面白かった。マルクスが宗教家だったことを知った。

 

面白そうだと思った本は、忘れないようにメモする。メモしたらいつか見返せる。見返して、機運があれば買う。

 

メモに名前が積もるだけになるんじゃないかって?それはただの怠惰だ。怠惰の解決方法は努力しかない。そして僕は今のところ怠惰だ。

 

店についてコーヒーを飲みながら、けものフレンズを見直して勉強するつもりだったが、ずっとけものフレンズに見入ってた。


友情は美しい、けものフレンズは美しい。救い合いは美しい。けものフレンズは宗教だな。

 

ブックオフで適当に小説を買った。


ツイッターで「あなたの人格に影響を与えた本ベスト10」みたいなタグを見て、私は何だろう?と思ったけど、該当するような小説が10つも思いつかなくて、本を読みたくなったから。

 

三島由紀夫潮騒とか、安部公房砂の女とかを買ってみた。また散財してしまった。買ったからにはきちんと読まないとな。


家に帰ってから、東京喰種:re 10巻を買ったまま放置していたのを思い出した。
流し読みしたけれど、お腹が空いたので中断した。朝からカップ麺しか食べてない。

 

夕飯は魚介類がメインだった。
僕は魚の刺身でご飯を食べるのは無理だと、もう6年くらいは言ってるのだが、僕の話を祖母が聞いてるはずもないので、テーブルの上には赤やオレンジや白い色をした魚の肉片や、タコとかイカとかの肉片が飾られていたけれど、ほとんど手につけなかった。用意してくれるだけありがたいと思わなければならない。
と言っても、20時から夕飯を作り直す気力もなかったので、ほとんど白米だけを急き立てて食べた。

 

それから入浴して、漫画の続きを読み、今に至る。お腹空いたなあ。コンビニ行くかなあ。でもクソ眠いんだよなあ。栄養失調で死んだらどうしよう。今んところありえそうな死因ランキング1位だ。成長期なのに1日1食相当を半年くらいやってる。わりとヤバイなと思う時期が何度かあり、そういうときはちゃんと食べるようにしてきたが、気を抜いたら本当に倒れて死ぬかもしれない。

 

 

ツイッターで僕が作った問題、
” sin3の値を求めよ ”がちょっと話題になっていたけれど、ぼく自身答えを知らないので申し訳なかった。

 

sin1やsin3は代数的超越数であったので、表現するのは少し難しそうな気もするが、級数表示をいじくっていけば、いい感じに収まってくれたりしないのかな?それを確かめる気力は僕にはない。

 

もう眠いので今日は寝たい。

 

昨日は金曜日にミュシャ展に行くといったが、ウェアハウス川崎店という九龍城みたいな場所に行くことになった。ミュシャ展は今度の楽しみになる。

 


オススメの音楽:


COOL&CREATE - 人間が大好きなこわれた妖怪の唄

 

https://m.youtube.com/watch?v=EfOvFVWAeec

2017年3月28日 オムライス

自分のことが他人に知られるとき、まずは見た目から知られることが多い。
見た目というのは、他人から最も表面的かつ直感的に分析される要素だと思う。

(インターネットを介した出会いや変装、盲目などの要素を除いて)


個人の持つ性質全体を考えたとき、見た目というものがどれだけ大きな意義を持っていると思うかは人それぞれに任されているとは言え、そのような場面では知り合って間もない頃は、他人はあなたについて見た目などの表面的な情報でしかあなたのことを知ってないということは確かだ。

 

そんなわけで、見た目というのは人間を知る際に割と意義のあるトピックだと思うのだが、日本の文化圏のインターネットにおいて、具体的に2chにおいてはファッションに関しての話し合いは不毛を極めている。


そのことに関しては残念だなあという気持ちと、なぜファッションについて建設的な話し合いが出来ないのか?という疑問がある。後者の疑問に関しては一定の結論が出ているが、長くなるのでここでは書かない。

 

 

この分野に関して、にわかで浅知恵しかない僕が言うのも何だけど、最近のadidasのスニーカーの売り方はクソだなと思ってる。希少性を高めたスニーカー(yeezy boost 350とかnmdのbapeコラボとか)を売るのはまだわかるけど、それを安価にしたコピーを自分のブランドで売ってるのが理解できん。

 

いやyeezy自体は良いと思うけどね。crepe bootsとかかっこいいなと思う。

 

(自分も典型的なオタクらしい見た目をしているのであまり調子に乗ったことは言うべきじゃないのかも。インターネット-ファッション警察に晒し上げられてしまうかも)
(見た目によって人の言説の説得力が左右していては、人間もまだまだダメだなと思うけれど)

 

 

街を歩いていたら、並木の染井吉野がつぼみをつけ始めたことに気付いた。場所によっては咲き始めているかもしれない。

諸賢に今さら言う必要もないと思うけれど、染井吉野というのはみんながイメージする”普通の桜”として植えてある桜の品種だ。水彩画みたいな薄い桃色の花弁が5つで花が構成されてるやつ。

 

全国に散らばる染井吉野の成り立ちについては、これも皆知ってると思うけど一応ウィキペディアを引用して紹介する。

 

ソメイヨシノのゲノム構成はヘテロ結合性が高く、ソメイヨシノに結実した種子では同じゲノム構成の品種にはならない。各地にある樹はすべて人の手で接木などで増やしたものである。

 

自家不和合性が強い品種である。よってソメイヨシノ同士では結実の可能性に劣り、結果純粋にソメイヨシノを両親とする種子が発芽に至ることはない。このためソメイヨシノ同士の自然交配による純粋な子孫はありえない。

 

ソメイヨシノ以外のサクラとの間で交配することは可能であり、実をつけその種子が発芽することもあり、これはソメイヨシノとは別品種になる。

 

すべてのソメイヨシノは元をたどればかなり限られた数の原木につながり、それらのクローンといえる。これはすべてのソメイヨシノが一斉に咲き一斉に花を散らす理由になっているが、特定の病気に掛かりやすく環境変化に弱い理由ともなっている。”

 

噛み砕いて言えば、1つの桜(染井吉野)の枝を切って、その枝から木全体を再現したものが全国に植えられているというわけだ。

 

これを思い返す度に、すごく不気味な話だなあと思う。

 

僕が染井吉野だったら自分のクローンを日本中にばら撒かれるなんて絶対に嫌だと思ったろう。残念ながら染井吉野には口も抵抗する術も無かったので、今に至っているわけだけれど。


3月16日の新宿御苑では狂い咲きのソメイヨシノが1つあって、満開の桜の元に人々が集まっていた。

 

狂い咲きっていうのは嫌な呼び方だなと思う。自分のタイミングで咲いてるだけなのに、主流派の染井吉野たちの開花時期とズレてるから”狂い”なんて名前をつけられる。

みんなが狂い咲きの桜だったらどう思う?もっと早咲きとかそういう言い方にしてほしいと思わない?そうだよね。みんなもこれからは狂い咲きのことを早咲きとか遅咲きって言い方にしようよ。約束だよ。

 

 


狂い咲きの桜の下では、(結婚式に使うのだろうか、)記念写真を撮っている花嫁がいた。
知らないカップルを眺めながら、ウェデイングドレスのスカートはどうしてあんなに長いのだろうと思った。


白くて綺麗なスカートの裾が地面について引きずられて汚くなるのは、なんか嫌だと思わないのかな。
平安時代十二単もそうやって引きずっていたらしいし、華やかな女性が布を引きずりながら歩く姿フェチが昔の世界では流行っていたのだろう。

 

ここまで書いて、こんなくだらないことを言うのは僕が斜めに構えた人間になりたがってるからなのかあとか思い始めた。

”斜めに構えた人間”という表現はすごく便利だと思う。自分の基準が水平で、そこからズレた見方をする人間のことを全員”斜めに構えた人間”として笑うことができる。

 


今日の出来事の話をしてないな。何をしたっけ。思い出す。

 

 

風邪は続いている。ほとんど治ったが。

 

(ここから映画の感想なので読み飛ばすと良い)

朝食を食べながら、映画『ハーモニー』を最後まで見終わった。

小説とは全然違うな、というのが率直な感想。
原作の方が良いみたいなことを言って通ぶりたいのではなく、単純に映像の表現が小説で想定されてる世界に追いついてないと思った。特に街のデザインはひどかった。機械のデザインも小説の記述と全然ズレていた。
映像はキャラクターの会話シーンが8割なのだから、キャラクターの絵ももっとなんか良い感じにしてほしかった。ここは好みの問題か?

福祉社会日本の街に関して、誰の目にも優しく感じられるピンク色と曲線的デザインが小説で記述されてるのに対して、映画では近未来感を意識したゴツかったり圧迫感があったりする建物が多かった。

聞いた話によると、この映画は諸事情で公開予定が急に早まったらしい。それを知ると、仕方なのかなとも思えた。

良いところ、御冷ミァハの演技が良かった。
トーリーは百合に偏ってて、ちょっとびっくりした。女と女が絡み合ってることに驚いたのではなく、愛という原作ではあまり出てこなかった動機が映画ではラストシーンで全面的に出てきたからだ。
小説ハーモニーに関しては読み終わってから考えると疑問に思うことも多く、また映画によって新たに生まれた疑問もあるので、また読み直したい。

 

(あんまり書いてても仕方ない。感想はこれ終わり。)


昨日、フクロウカフェの前を通ったときに紐で繋がれたフクロウが飼い主らしき人に対して鳴いていた。
フクロウが鳴くのを初めて聞いた。
「ギェーーー」って感じで、なんか普通の鳥だなと思った。首を絞められたニワトリみたいな鳴き声。首を絞められたニワトリを僕は知らないけれど。


フクロウだし「ホーホー」って鳴いてほしかった。それはミミズクの鳴き方なんだっけ。

 

さらっと言ったけど家の近くにフクロウカフェがある。厳密には猛禽類カフェで、ワシやハヤブサなんかもいる。老人の一人称ではない。僕はまだそこへ入ったことはない。Twitterでカフェのアカウントを覗いてみたが、何人かの飼い主が何匹かの猛禽類を飼っていて、その人たちが集まってカフェを開いてるようだ(?)(間違っているかも)


これ以上のカフェの詳細は僕の住所にまつわる情報になるので言えない。


通販でパーカーを買った。着る服がなかった。zozotownでツケ払い。ツケ払いというのは問題を先送りにしているだけ。最近よく問題を先延ばしにするだけのことをしているので、自分には政治家のセンスがあるかもしれない。
通販で買ってサイズが合わなかったら嫌だなあと思う。

 

いまは輪るピングドラムが見たい。オススメです。

 

妹の友達が家に居候することになるかもしれない。両親が夜逃げしたのだとか。(これ書いちゃダメか?後で消すかも)


汝の隣人を助けることは良いことだと、ソクラテスだかブッダも言っていたらしいけれど、我が家の生態を考えれば、たとえその子が生活費を入れたとしても難しいものがある。
祖母は乗り気だったが、うちの家族の生態は他人と共同生活するのに適してない。生活習慣も全てが我が家以外の人間に適してない。生活が奇妙なバランスの上に成り立ってるから、ここに他人が馴染むのは無理だと思う。家の愚痴をここに書いていても仕方ない。やめる。

 

(1年間でいいので僕を養ってくれる方は随時募集中です。お小遣いは毎月7万円からで良いですよ。必要資格は特にありませんが、石油王などは適した職業ですね)

 

他に書く話はないな。勉強の進捗は生み出せなかった。ジョルダン細胞って知ってる?これ数学の言葉なんだぜ。

 

そういえば、けものフレンズの最終話がこれから放送するなあ。


人はけものフレンズの終焉に耐え切れるほど強い心を持っていなさそうだなと思う。ウェルテル効果みたいな感じで自殺者が出てもおかしくない。黙示録のラッパ。出来損ないどものファンファーレ。

意外と明日から僕の日記の更新が止まってみたり。

 

 

金曜日はミュシャ展に行くことになりそう。タイトルにオムライスとつけたのは特に意味はない。毎日”無”だと、無も疲れてくるかなと思った。終わり。