読む毒

8歳の女児です。東京大学理科1類を目指して浪人をすることになりました。このブログを読むとあなたの貴重な時間が消えます。

2017年4月1日 無職

昨日は日記を書き忘れた。昨日は電脳九龍城に行き、友達ともつ鍋を食べ、漫画を買って帰ってきた。それ以外のことはしなかった。

 

新年度になり、僕は無職になった。

 

『あそびあそばせ』を読んでみたら、かなり面白かった。

 

友達との会話の途中で、僕のブログの話題が上がった。話の経緯は忘れた。

 

友人が「お前のブログ読むくらいならもっと有意義なものを読むわ」と言っていた。こいつは、なんて至極真っ当なことを言う人間になったんだろうと感動した。

 

一方で、有意義さを求めてカツカツしてばかりいるのも疲れるなと思う。有意義さや効率ばかり求めていると気分は疲れる。だらしなく、また無意義なことをして遊ぶ時間も人には必要だと思う。僕らにだらしなく使う時間がないことも事実だけれど。

 

無意義といえば私の日々だ。今日は何をしたか。何もしなかった。こうやって何もしていないでいると、すぐに退化して老いて死んでしまうだろう。資本主義というルールにおいては、歩みを止めたものはすぐに敗者になってしまう。

 

負けたくなければ、勝利に向かって歩みを続けなくてはならない。自明なことを言ってるが、それでも僕には勝利に向かうモチベーションが得られずに何もしない日を過ごしてしまう。これは言い訳か。

 

僕らは生まれた瞬間から、いや、生まれる前から強制参加のゲームをやらされている。大きく分けて2種類のゲームである。

 

1つは、環境や動物たちと死ぬまで殺し合いを続けるゲーム。自然競争なんて呼ばれたりする。自然競争では人間は強いので、大体の相手には勝っていると言えるだろう。

 

もう1つは、自然競争に内包するゲームであるのだが、人間同士での殺し合いのゲーム。人生という言葉は、これのことを言ってたりすることが多い。


一昔前は銃や火薬を使い、もっと昔には刀や剣を使い、それより昔には石と棒を使って殴り合いが繰り広げられていたが、最近は資本主義なんて呼ばれるルールが広く採用されている。

 

資本主義ルールの中で、僕らはお金と呼ばれるポイントを使う。お金は自由や楽しみに交換ができる。このルールではお金の奪い合いによって、強者と弱者が決まる。であるから資本主義ルールにおいても間接的に殺し合いをやってることに変わりはない。使うのが刃物ではなくお金になっただけだ。まあ火薬や刃物を使うことも全然ある。戦争とか。

 

自然競争、人生、どちらのルールでも、自由や楽しみを得ることが勝ちと言われることが多い。人生つまり資本主義ルールではお金によって勝ちに近づけるので、お金を得ることが勝ちだ。

 

多くの楽しみは、遺伝子によって”これは楽しいものだ”と決められている。生殖とか分かりやすいだろう。つまり生存においては遺伝子がルールの根源にある。これらのゲームは死ぬまで終わらない。

 

雑な記述をしたことについては突っ込まないでほしい。

 

資本主義ルールでは怠けることはそのまま負けに近づいていく。怠けること以外にも敗因要素はある。隕石が家をぶち壊したとか。そもそもこのゲームのスタートは平等ではない。運というパロメータによって、親の資本とか先天性の病気などのハンディキャップが決められる。自然競争ゲームで言えば、人間に生まれるか、野良犬に生まれるかの時点でだいぶ違うだろう。それでも僕らは勝ちを目指して歩み続けることになる。進化をやめれば退化しかなく、退化した人間は資本主義ルールでも自然競争ルールでも敗者に向かっていき、やがて敗者になる。

勝手にハンディキャップが決まっている状態で、手札が悪くてもカードを切らなければならない。でなければ敗北と死しかない。

 

勝者以外べつに面白くないゲームだが、というか勝者ですら面白くないゲームだが、死ぬ以外でゲームを降りる方法はない。最近の人類はその辺に気を遣うことを初めて、弱者の救済策とか、自分たちが殺し合いゲームをしていることを気付かせないようにする社会とかになってたりもする。でもさっきも言った通り、僕らは資本主義ルールで間接的な殺し合いをやってることに変わりはない。自然競争の世界では多くが直接的な殺し合いだ。

 

この無理やり舞台に上がらされて、四方八方から殺意や悪意を感じながら死ぬまでゲームを続けるつまらない営みの中で、僕らは生きる糧や信条を持ってないといけない。でなければ死ぬしかなくなる。生きる理由がないのに、死ぬ理由があるなら死ぬしかないだろう。自殺は合理的な営みだ。

 

大抵のひとは無意識に生きる糧を獲得する。あるいはゲームの苦痛に気付かないので、生きる糧の必要性にも気付かない。動物なんかはきっとそうだろう。ゲームの苦痛に気付いて自殺できるのは、地球上で人間だけが持つアドバンテージだ。

 

在り来たりで子供らしい自明なことを書いた。これを読んだら大概の人は子供が駄々をこねてるだけだと思うだろう。僕は地球というものが憎たらしくてたまらない。地球がもう少し違う軌道で太陽を回っていたら僕らは生まれなかっただろう。とりあえずいまは氷河期を待っている。氷河期より前に死ぬけど。

 

みんなの生きる糧は何だろう。僕は生きる糧が何だか釈然としないな。小さな糧ならいくつか持ってるのだろう。漫画が面白いとか、そういうのの寄せ集めを生きる糧にしている。みんなそうかもしれない。昔の人みたいに強くはない。昔の人が強かったのかは知らない。

 

ちゃんと生きる糧を持っている人たちは死んではいけないと言う。僕もいつかきちんとした生きる糧を得たときのために、絶え間なく進化を続け、お金や楽しみに向かっていくゲームをやるしかない。

 

こんなこと書いて何になるのかもよく分からない。決意表明か、あるいは人間は不合理なので仕方ない。思ったことを書いたと言えば理由になるだろう。最近はPPAPを見た宇宙人は困惑するだろうなとよく思う。終わり。

2017年3月30日 無

そういえば、鈴蘭や水仙が咲く季節になった。花は好きです。静かなので。地球の上で、綺麗な性器を持つ生き物なんて花くらいだろう。

 

今日は何をしたっけ。えーと思い出す。思い出した。ずっと寝ていたな。書くことがない。困った。

 

けものフレンズがどうして人気になったのか、それはこの情報化社会と、娯楽の多様化の流れに理由が見出せると思っている。僕の意見と同じようなことを言ってるひとが見当たらないので、詳細を言う自信はない。今日は書かないでおこう。

 

みんな大学生になっていて、新しい生活への変化を始めている。私だけ何一つ生活が変わっていない。季節だけが変わり、能力は錆び、体は成長していく。こうやってるうちに老いて死ぬんだろうな。

 

どんなに人生に耐えても、いつか自分は死ぬと考えると吸い込まれるような怖さがある。一方で、今僕が自殺したら明日から僕は死んでいると考えると、安心感がある。布団で寝るような安心感。永遠の休憩が得られる。みんなも「石油王から無限に金が与えられたい」なんてよく言うけど、それと自殺は同じじゃないかと思う。


いつか人生が楽になるかも知れないという、コンコルド効果で僕たちは生きている。

 

宇宙検閲仮説とかパリティ対称性の破れとかそういうことを調べていると世界は不思議だなと思う。もっと知りたいと思う。でも腕は動かない。簡単に知れることばかりを調べていく。犬の歴史とか。

 

芥川龍之介の遺書を読んでいたら、自分の子供たちに当てて「辛くなったら俺のように自殺するんだぞ」という旨のことが書いてあって面白かった。

 

自殺をするなら早い方がいい。大人になると、何だか自殺しちゃいけない気がしてくるらしい。僕は大人じゃないので分からないけど。

 

僕が死ぬ予定はあるのか、と聞かれるかもしれない。人間は誰だって死なない予定はないよ、とだけ答えておきたい。終わり。

 

 

 


オススメの音楽:
最近、音楽も聞いてるような聞いてないような感じなので、日記の終わりにオススメの音楽を書くためだけに音楽を漁っている。自分の好きだったものを失わないための措置としては、良い思いつきだったのかな。

 

Joseph-Maurice Ravel - Pavane pour une infante défunte

https://m.youtube.com/watch?v=t3Jv2L7l5p0

 

ちなみに日本語では『亡き王女のためのパヴァーヌ』と言われているが、実は”亡くなっている”のは王女ではなく、パヴァーヌの方だ。

今はもう見られなくなったパヴァーヌであって、昔の王女が踊っていたようなものという意味を表している。

2017年3月29日 けものフレンズ、再考

けものフレンズが最終話を迎えた。良い話だったな。見れて良かった。生きてて良かったな。

 

今日は『けものフレンズ、再考』なんて仰々しいタイトルをつけたけど、けものフレンズの話はそんなにしないし、いつも通りの日記だから、そこを注意してほしい。時間を無駄にしたくないなら、引き返すのが賢明だ。机に向かって、勉強をしなさい。僕はしない。


けものフレンズは良い話だった。えーと、何を良いと思ったのか、それを書いていくか。


まず話の工夫、つまり”伏線”といわれるストーリーの対比構造とか、人間の能力を問い直す話が良かった。この辺はツイッターやってれば見飽きるほどタイムラインに流れてくるだろうから今さら掘り下げるつもりもない。

 

えーとじゃあ他に何があったか。
出会い、友情、別れがあって美しかった。


それから、協力、絆、愛、助け合い、そういうものがあった。うむ。そんな感じ。


僕らはどうして、友情とか絆とかそういった、人と助け合うこと、人と愛し合うこと、人を救うこと、人のためになることを”美しい”とか”良い”と捉えるのだろう?

 

単に僕らはそれが欲しいと思うから、というのもあるけれど、もっと根源的には”そう思うように出来ているから”と言えると思う。

 

つまり人間が持つ社会性を強めていくために、本能的に他人と助け合うことを良いことだと思わされている。脳によって。

 

人間は、同じくらいの体格であるチンパンジーと殴り合って普通に負けるような体力しか持ってないけれど、社会性と知恵で今までどうにかやってきたことはみんな知ってるだろう。

 

それだけ人間にとって社会性というものは大事で、つまり人間は助け合いとかを強いられて生きている。大変ですね。

 

何の話をしてたんだっけ。


友情は美しい、愛は美しい、生殖は気持ち良い、人間は素晴らしい、そう思うのは人間がそう思うように出来ているから、だから人間は美しいみたいな話をしていた。

 

だから、明日から僕も皆んなも、人間は美しいの精神で生きていこう。異を唱えるやつは気にすんな。人間は美しいよ。話は終わり。マジで何の意味もないことを言ってるな。これこそ読む毒らしい。あなたの時間を蝕んでいる。

 

そういえば皆、犬や猫がどうして人間と一緒に暮らすようになったか知ってる?これについてもそこそこ面白い話がある。

 

イヌは昔はオオカミだったが、そのオオカミがどうして人間と暮らし始めイヌになっていったのかというと、これにはオオカミのもつ社会性という性質がすごく関わってくる。オオカミは6〜8匹の群れで、連携して狩りをしていた。連携のためには人間が会話するように、オオカミ同士での意思疎通が必要になってくる。
そのオオカミ同士での感情表現を、人間も同じように迎合して理解できたから、人間とオオカミはある程度協力し得たわけだ。もちろん狩りと餌という報酬の利害一致の形があってこそだが。

 

ネコの場合はイヌとは全く違う。人間が稲作を初めて、コメや麦を倉庫に貯めるようになったとき、コメを食い荒らすネズミが邪魔者になった。そのネズミを狩ってくれることにネコは存在意義を見出された。それと、見た目の可愛さが意味を持っている。

 

絶滅危惧種の動物では、見た目が可愛いほど保護費に当てられる基金が集まりやすいという統計結果があるらしい。人間が恣意的に救う対象を決めているのは面白い事実だと思う。

 

このへんの話は長くなるので詳細は元気のあるときにする。今は眠い。


けものフレンズが終了して、まもなく公式が続編の情報を出してきた。


きっとけものフレンズが終わったことで自殺する人が出ないようにするためだろう。


でもそれだと、けものフレンズは永遠に続かないといけないのかな。聖書も二千年間続編が出てきたし。


今日は何したっけ。


朝起きて、哲学的ゾンビというウィキペディアの記事を見ながら朝食のカップ麺を食べた。朝と言っても14時46分だが。

 

行動的ゾンビはまだ分かるんだが、哲学的ゾンビについてその意味を理解するのは難しかった。

それから、クオリアの記事を途中まで読んで放置した。

 

17時くらいになって、出かけた。


書店で『サピエンス全史』を流し読みしていた。ほとんど読んでないけど、途中で共産主義は宗教だと言っていたのが面白かった。マルクスが宗教家だったことを知った。

 

面白そうだと思った本は、忘れないようにメモする。メモしたらいつか見返せる。見返して、機運があれば買う。

 

メモに名前が積もるだけになるんじゃないかって?それはただの怠惰だ。怠惰の解決方法は努力しかない。そして僕は今のところ怠惰だ。

 

店についてコーヒーを飲みながら、けものフレンズを見直して勉強するつもりだったが、ずっとけものフレンズに見入ってた。


友情は美しい、けものフレンズは美しい。救い合いは美しい。けものフレンズは宗教だな。

 

ブックオフで適当に小説を買った。


ツイッターで「あなたの人格に影響を与えた本ベスト10」みたいなタグを見て、私は何だろう?と思ったけど、該当するような小説が10つも思いつかなくて、本を読みたくなったから。

 

三島由紀夫潮騒とか、安部公房砂の女とかを買ってみた。また散財してしまった。買ったからにはきちんと読まないとな。


家に帰ってから、東京喰種:re 10巻を買ったまま放置していたのを思い出した。
流し読みしたけれど、お腹が空いたので中断した。朝からカップ麺しか食べてない。

 

夕飯は魚介類がメインだった。
僕は魚の刺身でご飯を食べるのは無理だと、もう6年くらいは言ってるのだが、僕の話を祖母が聞いてるはずもないので、テーブルの上には赤やオレンジや白い色をした魚の肉片や、タコとかイカとかの肉片が飾られていたけれど、ほとんど手につけなかった。用意してくれるだけありがたいと思わなければならない。
と言っても、20時から夕飯を作り直す気力もなかったので、ほとんど白米だけを急き立てて食べた。

 

それから入浴して、漫画の続きを読み、今に至る。お腹空いたなあ。コンビニ行くかなあ。でもクソ眠いんだよなあ。栄養失調で死んだらどうしよう。今んところありえそうな死因ランキング1位だ。成長期なのに1日1食相当を半年くらいやってる。わりとヤバイなと思う時期が何度かあり、そういうときはちゃんと食べるようにしてきたが、気を抜いたら本当に倒れて死ぬかもしれない。

 

 

ツイッターで僕が作った問題、
” sin3の値を求めよ ”がちょっと話題になっていたけれど、ぼく自身答えを知らないので申し訳なかった。

 

sin1やsin3は代数的超越数であったので、表現するのは少し難しそうな気もするが、級数表示をいじくっていけば、いい感じに収まってくれたりしないのかな?それを確かめる気力は僕にはない。

 

もう眠いので今日は寝たい。

 

昨日は金曜日にミュシャ展に行くといったが、ウェアハウス川崎店という九龍城みたいな場所に行くことになった。ミュシャ展は今度の楽しみになる。

 


オススメの音楽:


COOL&CREATE - 人間が大好きなこわれた妖怪の唄

 

https://m.youtube.com/watch?v=EfOvFVWAeec

2017年3月28日 オムライス

自分のことが他人に知られるとき、まずは見た目から知られることが多い。
見た目というのは、他人から最も表面的かつ直感的に分析される要素だと思う。

(インターネットを介した出会いや変装、盲目などの要素を除いて)


個人の持つ性質全体を考えたとき、見た目というものがどれだけ大きな意義を持っていると思うかは人それぞれに任されているとは言え、そのような場面では知り合って間もない頃は、他人はあなたについて見た目などの表面的な情報でしかあなたのことを知ってないということは確かだ。

 

そんなわけで、見た目というのは人間を知る際に割と意義のあるトピックだと思うのだが、日本の文化圏のインターネットにおいて、具体的に2chにおいてはファッションに関しての話し合いは不毛を極めている。


そのことに関しては残念だなあという気持ちと、なぜファッションについて建設的な話し合いが出来ないのか?という疑問がある。後者の疑問に関しては一定の結論が出ているが、長くなるのでここでは書かない。

 

 

この分野に関して、にわかで浅知恵しかない僕が言うのも何だけど、最近のadidasのスニーカーの売り方はクソだなと思ってる。希少性を高めたスニーカー(yeezy boost 350とかnmdのbapeコラボとか)を売るのはまだわかるけど、それを安価にしたコピーを自分のブランドで売ってるのが理解できん。

 

いやyeezy自体は良いと思うけどね。crepe bootsとかかっこいいなと思う。

 

(自分も典型的なオタクらしい見た目をしているのであまり調子に乗ったことは言うべきじゃないのかも。インターネット-ファッション警察に晒し上げられてしまうかも)
(見た目によって人の言説の説得力が左右していては、人間もまだまだダメだなと思うけれど)

 

 

街を歩いていたら、並木の染井吉野がつぼみをつけ始めたことに気付いた。場所によっては咲き始めているかもしれない。

諸賢に今さら言う必要もないと思うけれど、染井吉野というのはみんながイメージする”普通の桜”として植えてある桜の品種だ。水彩画みたいな薄い桃色の花弁が5つで花が構成されてるやつ。

 

全国に散らばる染井吉野の成り立ちについては、これも皆知ってると思うけど一応ウィキペディアを引用して紹介する。

 

ソメイヨシノのゲノム構成はヘテロ結合性が高く、ソメイヨシノに結実した種子では同じゲノム構成の品種にはならない。各地にある樹はすべて人の手で接木などで増やしたものである。

 

自家不和合性が強い品種である。よってソメイヨシノ同士では結実の可能性に劣り、結果純粋にソメイヨシノを両親とする種子が発芽に至ることはない。このためソメイヨシノ同士の自然交配による純粋な子孫はありえない。

 

ソメイヨシノ以外のサクラとの間で交配することは可能であり、実をつけその種子が発芽することもあり、これはソメイヨシノとは別品種になる。

 

すべてのソメイヨシノは元をたどればかなり限られた数の原木につながり、それらのクローンといえる。これはすべてのソメイヨシノが一斉に咲き一斉に花を散らす理由になっているが、特定の病気に掛かりやすく環境変化に弱い理由ともなっている。”

 

噛み砕いて言えば、1つの桜(染井吉野)の枝を切って、その枝から木全体を再現したものが全国に植えられているというわけだ。

 

これを思い返す度に、すごく不気味な話だなあと思う。

 

僕が染井吉野だったら自分のクローンを日本中にばら撒かれるなんて絶対に嫌だと思ったろう。残念ながら染井吉野には口も抵抗する術も無かったので、今に至っているわけだけれど。


3月16日の新宿御苑では狂い咲きのソメイヨシノが1つあって、満開の桜の元に人々が集まっていた。

 

狂い咲きっていうのは嫌な呼び方だなと思う。自分のタイミングで咲いてるだけなのに、主流派の染井吉野たちの開花時期とズレてるから”狂い”なんて名前をつけられる。

みんなが狂い咲きの桜だったらどう思う?もっと早咲きとかそういう言い方にしてほしいと思わない?そうだよね。みんなもこれからは狂い咲きのことを早咲きとか遅咲きって言い方にしようよ。約束だよ。

 

 


狂い咲きの桜の下では、(結婚式に使うのだろうか、)記念写真を撮っている花嫁がいた。
知らないカップルを眺めながら、ウェデイングドレスのスカートはどうしてあんなに長いのだろうと思った。


白くて綺麗なスカートの裾が地面について引きずられて汚くなるのは、なんか嫌だと思わないのかな。
平安時代十二単もそうやって引きずっていたらしいし、華やかな女性が布を引きずりながら歩く姿フェチが昔の世界では流行っていたのだろう。

 

ここまで書いて、こんなくだらないことを言うのは僕が斜めに構えた人間になりたがってるからなのかあとか思い始めた。

”斜めに構えた人間”という表現はすごく便利だと思う。自分の基準が水平で、そこからズレた見方をする人間のことを全員”斜めに構えた人間”として笑うことができる。

 


今日の出来事の話をしてないな。何をしたっけ。思い出す。

 

 

風邪は続いている。ほとんど治ったが。

 

(ここから映画の感想なので読み飛ばすと良い)

朝食を食べながら、映画『ハーモニー』を最後まで見終わった。

小説とは全然違うな、というのが率直な感想。
原作の方が良いみたいなことを言って通ぶりたいのではなく、単純に映像の表現が小説で想定されてる世界に追いついてないと思った。特に街のデザインはひどかった。機械のデザインも小説の記述と全然ズレていた。
映像はキャラクターの会話シーンが8割なのだから、キャラクターの絵ももっとなんか良い感じにしてほしかった。ここは好みの問題か?

福祉社会日本の街に関して、誰の目にも優しく感じられるピンク色と曲線的デザインが小説で記述されてるのに対して、映画では近未来感を意識したゴツかったり圧迫感があったりする建物が多かった。

聞いた話によると、この映画は諸事情で公開予定が急に早まったらしい。それを知ると、仕方なのかなとも思えた。

良いところ、御冷ミァハの演技が良かった。
トーリーは百合に偏ってて、ちょっとびっくりした。女と女が絡み合ってることに驚いたのではなく、愛という原作ではあまり出てこなかった動機が映画ではラストシーンで全面的に出てきたからだ。
小説ハーモニーに関しては読み終わってから考えると疑問に思うことも多く、また映画によって新たに生まれた疑問もあるので、また読み直したい。

 

(あんまり書いてても仕方ない。感想はこれ終わり。)


昨日、フクロウカフェの前を通ったときに紐で繋がれたフクロウが飼い主らしき人に対して鳴いていた。
フクロウが鳴くのを初めて聞いた。
「ギェーーー」って感じで、なんか普通の鳥だなと思った。首を絞められたニワトリみたいな鳴き声。首を絞められたニワトリを僕は知らないけれど。


フクロウだし「ホーホー」って鳴いてほしかった。それはミミズクの鳴き方なんだっけ。

 

さらっと言ったけど家の近くにフクロウカフェがある。厳密には猛禽類カフェで、ワシやハヤブサなんかもいる。老人の一人称ではない。僕はまだそこへ入ったことはない。Twitterでカフェのアカウントを覗いてみたが、何人かの飼い主が何匹かの猛禽類を飼っていて、その人たちが集まってカフェを開いてるようだ(?)(間違っているかも)


これ以上のカフェの詳細は僕の住所にまつわる情報になるので言えない。


通販でパーカーを買った。着る服がなかった。zozotownでツケ払い。ツケ払いというのは問題を先送りにしているだけ。最近よく問題を先延ばしにするだけのことをしているので、自分には政治家のセンスがあるかもしれない。
通販で買ってサイズが合わなかったら嫌だなあと思う。

 

いまは輪るピングドラムが見たい。オススメです。

 

妹の友達が家に居候することになるかもしれない。両親が夜逃げしたのだとか。(これ書いちゃダメか?後で消すかも)


汝の隣人を助けることは良いことだと、ソクラテスだかブッダも言っていたらしいけれど、我が家の生態を考えれば、たとえその子が生活費を入れたとしても難しいものがある。
祖母は乗り気だったが、うちの家族の生態は他人と共同生活するのに適してない。生活習慣も全てが我が家以外の人間に適してない。生活が奇妙なバランスの上に成り立ってるから、ここに他人が馴染むのは無理だと思う。家の愚痴をここに書いていても仕方ない。やめる。

 

(1年間でいいので僕を養ってくれる方は随時募集中です。お小遣いは毎月7万円からで良いですよ。必要資格は特にありませんが、石油王などは適した職業ですね)

 

他に書く話はないな。勉強の進捗は生み出せなかった。ジョルダン細胞って知ってる?これ数学の言葉なんだぜ。

 

そういえば、けものフレンズの最終話がこれから放送するなあ。


人はけものフレンズの終焉に耐え切れるほど強い心を持っていなさそうだなと思う。ウェルテル効果みたいな感じで自殺者が出てもおかしくない。黙示録のラッパ。出来損ないどものファンファーレ。

意外と明日から僕の日記の更新が止まってみたり。

 

 

金曜日はミュシャ展に行くことになりそう。タイトルにオムライスとつけたのは特に意味はない。毎日”無”だと、無も疲れてくるかなと思った。終わり。

2017年3月27日 無

9時59分に起きる。風邪がひどい。くしゃみと鼻水と咳と熱がある。

 

風邪をひいたときは家系ラーメンを食べると良いとネットで見たので、昨日予めセブンイレブンで買っておいた家系ラーメンを食べた。

 

それから映画『ハーモニー』を40分くらい見た。百合映画だなと思った。

まだ見終わってないけど、キャラデザも街の雰囲気も、伊藤計劃の小説『ハーモニー』を読んだときに僕の頭で浮かんだものとはズレていた。

というか、小説『ハーモニー』を映画化したときに画面に映るものは、喋っている人間と未来的な街の外見くらいしか無いのだから、そこがアレだと全部アレなのではという疑念があるが、また明日続きを見てみようと思う。

 

週刊少年ジャンプヤングマガジンを読んだ。

今週は手品先輩が面白かったかな。

 

ブックオフに行って生物の参考書と、伊藤計劃の『虐殺器官』を買った。

 

今年は物理と化学で受験したい。現役の頃、いつも化学の勉強をしながら「有機と無機の内容ほとんど意味ないよな〜」と思っていた。

というのも、化学オリンピックの参考書を見て知ったのだが、日本の高校物理の指導要領は海外と比べるとかなり遅れているらしい。海外では日本の高校物理で扱うような内容はやらずに、日本の大学で扱う内容を高校のうちにやるらしい。

 

何となく化学を選択していてそれまで勉強してきたから、今さら科目変更してもなと思って化学選択で受験したけど、浪人した今年はふつうに生物でやって行きたいと思う。そもそも生物のほうが内容的にうんと興味がある。

 

最近になって伊藤計劃のハーモニーを読み始めて、すごく面白いと思ったのだが作者はすでに亡くなってると聞いてすごく惜しいなと思った。こんなに面白いのに32歳で逝去して、たった3作しか公開してないなんて。

 

風邪ひいてる間やることないし暇だなあと思ったので、まだハーモニーを読み終えてないけど虐殺器官を買いに行った。

 

始めて虐殺器官を目にしたときがいつだか覚えてないが、タイトルも表紙も厨二っぽいなと思ってそれ以来、伊藤計劃は何となく手が出なかったが、読んでみたら普通に面白かったのでオススメだ。

 

この間の夢日記を加筆修正した。こういう形式で書くからには、きちんと書かないとなあという気持ちがあった。

http://all-is-vanity.hatenablog.com/entry/2017/03/24/202008

 

明日はけものフレンズ最終話だ。はやく寝て風邪を治さないといけない。

 

オススメの音楽はない

2017年3月24日 小説未満 夢日記1

8時32分に起きて14時まで寝ていた。

おかげで夢を3つ見た。

今日は書くことがないから、見た夢の話をする。
ここから先は長い。しかもどうでもいい。6217文字のオチがない文章が書かれていると思った方がいい。読み飛ばすか、読まない方が賢明だ。

 

これから書く話は僕が見た夢を書き起こしたものなので、小説ではなく小説未満だと思う。整合性が取れてない部分や、覚えてないこと、分からないことが多く、文末も断定口調でなく伝聞口調が多くなっている。そんな曖昧な話でよければ、あなたはこの日記で時間を無駄にすることができる。

 

 

:
私は東京大学本郷キャンパスにいるようだった。しかも東大生になってるらしい。(めでたい。)

見た目は今と違って、2〜3歳くらい老けているようだ。これは数年後の自分を想定した夢なのだろう。


私の髪はサッパリしていた。アルバイトをしているのだろうか。いまみたいに伸ばしっぱなしの髪では無かった。
外には銀杏の並木が見えた。葉が青いので、春か夏あたりの季節らしい。

 

私は1階にあるラウンジでテーブルについていた。私の他に数人の女子生徒が他の席について談笑しているのが見えた。人の出入りはあまり多くない場所だった。


すぐに私の前に一人の男がやってきた。短髪の好青年といった雰囲気だった。そいつは私の友人らしい。

 

私がそいつと何を話しているのか具体的な内容は分からないが、そいつは私のことを気遣っている様子で何か打ち合わせをしていた。

そのときの私は、とにかくここから遠くへ離れたいという気持ちがあったらしい。夢の中の私は、毎日が圧迫されて楽しみのない日々を続けていたようだ。夢の自分が何に圧迫されているのかは、想像もつかない。大学生になった自分には、楽しく過ごしていてほしいのだが。

 

それで、何をやってても思い詰めた顔をしている私にその友人は気を遣ってくれているらしい。


そいつは考古学の専攻で、とある遺跡の調査に一人で行く予定があったが(おそらくその調査は趣味に近い行動だろう)、その調査の役を私に譲ろうかと提案してきた。


私はとにかく東京から離れられれば何でも良いと思っていたので、その提案に乗り、そいつの代わりに遺跡調査へ行くことになった。


遺跡調査で2週間くらい向こうに滞在することになった。それだけの間日本から離れるのに、私は長期休暇を利用したのか、休学したのかは分からない。

 

 

:
あたりは既に暗く、私は砂漠のような場所を車で走っていた。砂漠と言っても、砂があまりないタイプの砂漠。荒野とも表現できるかもしれない。地面が固くて、干ばつ地域みたいな雰囲気だ。

 

車は私一人で乗っている。車は荒野を走るのに相応しい見た目をしていて、タイヤは太い。車体はゴツゴツとしている。また地面は凹凸があり、車はひどく揺れた。タイヤが砂利を踏む音が聞こえる。
2つのライトが道を照らしている。

 

やがて荒野にぽつりと建てられた一軒家にたどり着いた。そこは目的地の宿泊所だった。

 

辺りを見渡すと、数キロ先に繁華街の光がわずかに見えた。それから、遺跡の入口が見えた。


隆起している山のようなものがあって、その内部には洞窟がいくつもあった。その洞窟の内部に遺跡は作られているらしい。

ここはその中でも1つの洞窟の入口から1kmくらい離れた場所に建てられた宿泊施設だった。

宿泊施設は質素な見た目だが少し大きい2階建だった。日本の住宅街でよく見られるような一軒家だ。
(こんな荒野にそのような家があるのはおかしいが、夢なので仕方ない)

 

ここの気候は昼は暑いが、夜は普通に冷えた。半袖の作業着みたいなものを着ている私は普通に冷えていた。

 

宿泊施設の入り口は引き戸で、開けると一人の男性が出迎えてくれた。それからすぐに二人の若い女性も出迎えてくれた。


歓迎の言葉とともに私の荷物を受け取って運んでくれた。


この男性と女性二人は、私の友人を通して私が泊まりにくることを知っていた。
友人は、毎年ここらの遺跡へ調査しにきていて、この宿泊施設には何度も来ているらしい。

 

出迎えてくれた男性は、この宿泊施設の主人だ。また、ここから一番近くにある遺跡の入口の管理人でもあった。私はここから一番近くにある遺跡の入り口を調査することになる。


遺跡を調査する際は、この男性から許可を得る必要がある。それでこの男性はこんな荒野に実家兼ね宿泊施設を建てたらしい。

(細かいことを言えば、この設定は無理がある。車で行ける距離に繁華街があるのに、わざわざこんな僻地に家を建てるのはおかしい)

二人の若い女性は、主人の娘で姉妹だった。
母親は見当たらなかったが、理由は聞かなかった。もしかしたら最寄りの繁華街(十数キロ離れてる)で母親は働いてるのかもしれないし。

 

(これ以降、宿泊施設の主人を単に主人、彼の娘姉妹を単に姉、妹と呼ぶ)
(ちなみに友人も主人も姉妹も現実世界にいない人物で、姉妹に関しては顔はよく思い出せない)

 

3人はコミュニケーション不全な私を親身に出迎えてくれた。まあ友人が予め話を通していてくれたからだろう。


その日は既に出来ている夕飯を私を含めてみんなで食べた。夕飯を一緒にして、その家族のことがある程度見えてきた。
姉妹は私と同じくらいの歳だった。主人は見た目は小太りで、大らかかつ気さくな方だった。

 

姉は髪が少し長めのボブで、妹はロングだった。姉の方はしっかり者で、少し気が強いとも言えた。妹は内気だが、気遣いができて優しかった。二人とも美人だった。


主人は中東らしい(あるいはインド人っぽい?)顔つきをしているのに対して、その姉妹は日本人らしい顔つきをしていた。


宿泊施設の内装も簡素だが日本の一般的な家らしく、この辺は夢のリアリティの限界かなと思われる。私は砂漠地帯の一軒家を知らないし、中東の若い女性がどのようかも知らない。(夢の舞台が中東なのかは分からないが)


それから、私たちは日本語で会話をしていた気がする。あるいは本当に彼女たちは日本人あるいは日系なのかも知れない。

 

姉妹は大学が長期休暇で、帰郷して旅館の手伝いをしているようだった。
とはいっても、この旅館に宿泊利用しているのは私しかいない。


いくつかある(遺跡の)入り口の中でも、ここの入口は10年くらい前に調査され尽くしたらしく、今さら調査に来る人はほとんどいないらしい。
(でも私の友人はここにまだ何かあると睨んでいる、あるいはここの遺跡に興味深いものを見出だしているようだが)

宿泊施設は2階が宿泊スペースになっていて、私の部屋以外は全て空き部屋だった。部屋のドアは右に4つ、左に4つ並んでいて合計8部屋があった。私は右側の一番奥のドアに通された。(誘導してくれたのは妹だった気がする。そのとき妹は一言も話さなかった)

 

私の部屋はシングルベッドだった。簡素で少し埃っぽい気がしたが、気に障るほどではなかった。


他の宿泊用の部屋には2段ベットが2つあり、1部屋で4人収容できた。この施設全体で30人くらいは収容できそうだ。

1階はリビング、キッチン、広間、それから主人や姉妹の寝室などがあった。

姉妹の寝室は1階の奥の方にあり、立ち入れる雰囲気でもないし、そこまで行く理由もなかった。

 

 

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私は昼間は探索に行き、日が暮れるとすぐに旅館へ戻る日々を繰り返したようだ。
洞窟の内部には遺跡らしいものがいくつか立ち並び、また地下水の川のようなものがあった。詳しいことは覚えてない。
探索作業は予め友人から指示を受けたところを調べていたが、とくに進捗らしいものは無かったようだ。ほとんど遺跡を眺めて過ごすだけの日々が続いていたようだ。

 

旅館に戻るとすぐにシャワーを浴び、そのあとリビングでテレビを見たり本を読んだりして夕飯を待った。
スマホは使えなかったが、インターネットと離れることには逆に解放感があったようだ。

リビングでは姉とよく話した。
姉は白く女の子らしい服を好んでいて、白いワンピースとかを着ていた。 妹はパーカーとかTシャツとかラフな服装をしていた。
二人とも薄着なことが多かったが、私は結構着込んでいた。湿気のない暑さなので私からするとそこまで暑くなかった気がするが、夢の中なのでよく覚えてない。

妹は主人と一緒に食事の準備をしていることが多く、妹と話すことはそんなに無かった。
旅館は退屈なのか、姉はよく私に話しかけてくれて、私の話を聞いてくれた。何を話したかは分からない。日本のこととか、大学のことを話した気がする。姉は会話が上手く、教養のある人物で話が面白かった。それでも個人的には妹に好感度が高かった。おっぱいが大きいから。

 

 

 

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それから数日して、私は姉が妹を殺そうとしていることに気が付いた。
何か決定的な動作と、その失敗を私は目撃した気がする。それが具体的に何だったかは覚えてない。夢なので適当だ。

 


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姉が明らかに妹を殺そうとしていることは主人は気付いてなかった。妹と私しか気が付いてないらしい。なぜ姉が妹を殺そうとしているのかは分からない。しかしそれは確かなことだと私は判断しているようだ。また、妹はそのことに抵抗している様子ではなかった。

姉は妹を殺したがっているが、完全犯罪の計画が立てられずに殺しあぐねている様子だった。私はなぜ妹は自分を殺そうとしている姉に反抗しないのか?、どうにかできないか?と思いつつ、また数日過ごした。

 

 

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いつも通り日が暮れてきたので、僕は遺跡から出て、旅館に向かって歩いている途中だった。
日はほとんど暮れている夕方頃で、あたりは暗かった。地平線いっぱいに旅館以外の建物の影がないのが綺麗だった。
下半分が沈んでいる太陽の黄金色を追うように、群青色の夜が包んでいるグラデーションも綺麗だった。

道の脇に人影があるのに気が付いた。
薄暗い中でも見える白いワンピース、短めの髪、手にナイフ。姉が私を殺しにきたのだと分かった。

妹への殺意を私が気付いたからだろうか。なぜ私まで殺す気なのか、その理由は知らないし、興味もあまりなかった。
リビングで私と楽しげな会話を何日もしてくれたのに、妹だけでなく私までも殺そうとするなんて酷いなあと思っていた気がする。姉の表情は暗さでよく見えなかった。

近づいてきた姉は、無言のままナイフで私の土手っ腹めがけて勢いよく突っ込んできた。
どうにか身をかわす。ぞっとした気持ちの後に、さらに怒りがこみ上げてくる。

 

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私は、どうやったか分からないが、ほとんど無傷で姉を殺害したらしい。

 

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私はナイフとかは持ってなかったので、後頭部を鈍器で殴ったか、何かで窒息させたかそんなところだろうか。その辺の描写は夢の中なのでなかった。
それでも確かに私は彼女を殺していた。

太陽がほとんど無くなった荒野で、風が彼女の死体の体温をさらっていく。
彼女の白いワンピースが風ではためいている。
彼女は力なく地面に転がっているので、白いワンピースが土埃で汚れる。

それを横目に、私は穴を掘っていた。
遺跡の外に、スコップがあったのでそれを使って大きな岩の陰に土を掘っていた。私の顔には汗がつたっていて、吹いている風が涼しかった。

死体を見ているとき、間違えをしたような気分は何もなかった。妹を殺そうとする姉なのだから死んで当然だと思っていた。それに加えて、私まで殺そうとしてきたのだ。

 

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私は彼女を埋葬した。
遺跡の洞窟の中には川が流れているので、川に捨てても良いとは思ったが、川に捨てた死体は醜く腐乱する。手間はかかるけど埋葬の方が良いと思った。

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旅館に戻ると、姉がいつも通りに出迎えてくれた。そこに妹の姿はなかった。主人は夕飯の支度をしているらしい。

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私は自分が殺したのが妹だということに気付いた。
私が姉だと判断した人物は、私を殺そうとしてきた白いワンピースの人物は、姉に変装していた妹だった。

なぜ妹が私を殺しにきたのか、私を殺そうとする理由はあったか。考えても想定できない。

 

おそらく、姉が妹に自分の服を着せて、私を殺しに行くように脅しかけたのだろう。それが一番納得のいく考えだった。
殺害時は無我夢中で余計なことを考える余裕はなかったが、彼女は殺される時ほとんど無抵抗だったことを思い出した。

どうやって姉が妹を脅したのかは知る由もない。

姉が私に何か皮肉めいたことを耳打ちしてきた気がするけど内容は覚えてない。

管理人の主人は帰ってこない妹を心配していた。それでも私に疑いの目を向けることはなかった。主人と顔を合わせることはできなかった。姉も妹の行方を心配している素振りをしていたがそれが嘘だと私は知っていた。日程を理由にして、私は荷物をまとめ、すぐに帰国した。

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帰国後に、友人と会った。
また私は大学のラウンジにいるらしい。

その友人は、私が宿泊施設の妹を殺したことを知っていた。そして私を責めた。「なぜ妹を殺したんだ」と。出頭しろとも言われた。

私は「たしかに間違えて妹を殺したのだが死んでしまったし、仕方がないよなあ」なんて言っていた。友人は絶句していた気がする。
海外と日本で距離が離れてるから、私の罪の意識も薄れたのだろうか。リアルな夢だ。その辺で目が覚めた。

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夢を思い返すと、もしかしたら友人は姉の協力者だったのかもしれない。

僕を遺跡調査に送り込むことで、そこで姉妹の事情を知った僕が正義感みたいなものを働かせて姉の完全犯罪に協力することになると思ったのかもしれない。さすがに夢の中ではここまでの設定は出てきてない。後付けだし、自己の正当化だ。

 

目が覚めてすぐに、なんて後味の悪い夢なんだと思った。 

それから何でこんな夢を見るのか見当がつかないと思った。

私は東大生じゃないし、考古学を専攻している友人もいないし、海外旅行の経験もないし、運転免許もないし、ホームステイの経験もないし、人を殺した経験もなければ、こんな内容のドラマを見た経験もない。夢を構成するシーンの全てに心当たりがない。それがすごく不気味だ。


それから妹さんに申し訳ないことをしたなあと思った。夢の中であっても、無実な人を自分が殺したというショックが強くあった。皆も人は殺さないように生きるとオススメです。

このショックと反省を何かの形にしたいと思ってこの日記を書いた。

夢でこれを見た僕からすれば後味が悪くて心に爪痕を残す話だけど、文章としてこれを読む皆からすると最高につまらない話だろうな。読まないことが推奨される。終わり。






:今日のオススメの音楽

amazarashi - 命にふさわしい

https://m.youtube.com/watch?v=HEf7p_7MjkM

『全部を無駄にした日から、僕は虎視眈眈と描いてた。全部が報われる朝を』という歌詞が印象的。努力家なんだなあ。

はやくps4買って『人喰いの大鷲トリコ』と『NieR:automata』がやりたいな〜〜。買う金はない。金を得る予定もない。労働もしたくない。

2017年3月23日 無

今日は何もしてないし、矢のように光陰は過ぎる。

 

浪人報告が辛ぽよ。数ぽよなので大学に落ちぽよ。

1年に1回しかやってこない受験なのに1回だけで受かろうとするとか無理がある。2〜3回くらいやってもいいはず。とか言ってみる。ぽよよ。

 

みんな大学に受かってるし、周りは難しい話をしている。ガウス積分定理ね。はいはい、何だっけそれ。

わいだけ取り残されて遅れがち。人生なんてそんなもん。とか悲観して自己肯定しがち。人間なんてそんなもん。書くことない。終わりぽよ。